第6話(前編)

 新人戦まであと17日。

 鳩井はといほがらは走りました。今日は、芸能科校舎からスタートして、海岸沿いを端っこまで行き、Uターン気味に大通りを通って、商店街をゴールとするコース。風景を楽しみながら走ればあっという間だと宇留鷲うるわしはじめは笑いました。

(ワシ先輩の嘘つき……)

「だ、大丈夫ですか、鳩井はといくん?」

 本気で心配してくれているのでしょう。鷹峰たかみね千呼ちこは手を所在なく動かして慌てていました。なにせ、たかだか20キロ走った程度で級友がギブアップ状態なのですから。

 荒鳶あらとび可弦かいとはあきれた顔で言います。

「ほっとけほっとけ。鳩ポッポはだいたいいつもそんなツラだろ」

 呆れた声で言われてしまうものの、反論する余裕もありません。

(でも立ち止まったらダメだ……)

 ほがらはグロッキーな顔つきのまま、歩いています。たくさん走った後、急に立ち止まるのは体によくありません。初日に学びました。

 アーケードの下に広がる商店街には、おいしいものがたくさんあります。コロッケ、おにぎり、焼き鳥、お団子、いい匂いがあちこちから漂います。今日も今日とて、芸能科や隣の校舎の音楽科の生徒たちが、この商店街で買い食いをしていました。Rapラプ Bellusベルルス(とほがら)の姿を見つけてひそひそとなにか話しています。

はじめさんだ……」

千呼ちこちゃん、生で観てもかわいい~」

荒鳶あらとび先輩ってサインとかくれないかな……」

「横の死にそうな顔のやつ誰?」

「知らん。お付きのものじゃない?」

 いや誰がお付きのものやねん、とツッコミたいほがらでしたが、無理です。しんどすぎてそれどころではありません。ただ、それはそれとして、改めてすごい人たちに指導されていると思いました。

 はじめ千呼ちこも息も乱さず走り切りましたし、可弦かいとにいたっては後でもう何キロか走るらしいです。一颯かずさに聞いたところ、それぐらいやらないと一日中ライブをするのなんて無理、ということでした。

(俺には無理! 絶対無理!)

 ぐー、と大きくおなかを鳴らしながら、ほがらは考えます。

(なんとか指導方針が変わらんかな。鳩井はといにはまだ早いって気づいてもらえんかな)

「よし、昼にしようか」

 とはじめが言ったので、ほがらの思考は中断されました。

「ワシせんぱいさいこ~!」

 さぁ、本日のお昼ごはんは?


 商店街から少し離れたところにある定食屋さんでした。道一本を越えただけで雰囲気ががらっと変わります。昔からの邸宅が多く、人で賑わう商店街とは違い、静かな空間です。ラジオから聞こえてくる音楽も流行りのヒットソングではなく、落ち着いたトーンの古い曲ばかりが続きます。

「ご馳走様でした。……い、生き返る~」

 おいしくご飯が食べられるならなんでもオーケーです。ほがらは。

「本当に、いい食べっぷりだな。鳩井はとい

「つーか食いすぎだろ……」

 はじめ可弦かいとの言葉ももっともです。ほがらは親子丼と焼き鮭定食とうどんを食べ切りました。しっかりよく噛んで食べたので、ほかの3人は幾分待ちました。もちろん急かすようなことはしません。食は健康の基本ですから。

「あとで腹ァ痛くなっても知らねぇからな」

「だ、大丈夫だよ、カイトくん。鳩井はといくんの胃はすごいんだ」

「……そうかよ。ま、食える時に食っとくべきだな」

 右隣でぐっとこぶしを握る千呼ちこに、珍しく可弦かいとが黙りました。その向かいの席に座っているはじめが笑いました。

「大した健啖家けんたんかだよ。トレーニング次第でどんどん強い体を作れるだろうな」

 お茶を飲んでいたほがらが首を横に振ります。

「いやいや、そこそこでいいです」

「なに、鍛えて損をすることはないさ」

「でもほら時間は有限ですし」

「うまくやりくりしないとな」

 ダメだ逃げられない。

 くぅっと頭を抱えるほがらの横で、はじめはお茶をいただきました。

「この後はどうするんですか……?」

「休みだな」

「……へ」

「俺たちはもともと今日はオフの予定だったんだよ。それに、鳩井はといも昨日今日でかなり疲れただろう? 体を休ませるタイミングは作らないとな」

「ワシせんぱいさいこ~」

 そもそもはじめの決めたスケジュールのせいでヘトヘトなのですが、気づきませんでした。

「なに、気にするな」

 気づいてないことに、もちろんはじめは気づいています。が、別に言いません。マッチポンプでも恩に着せる、というのは帝王学の初歩です。

「カイトはここからが本番だしな」

「ハッ、軽く捻ってやるよぉ」

 可弦かいとがぽきぽきと指の骨を鳴らします。

 ちょうどそのとき、ガラガラっと店の引き戸が開きます。

「へっ、来たか……」

 可弦かいとが好戦的な笑みを浮かべて言いました。

 何事かと思ったほがらが振り返ると……。


 引き戸の向こうにいたのは3人の小学生でした。

 それぞれのランドセルからリコーダー入れが突き出ているのが見えます。ほがらは本州にいる弟妹を思い出しました。元気にやっているでしょうか。

 真ん中で仁王立ちしてる子は、ほがらを見てにやりと笑いました。

「新顔か……」

 まぁそうかも? とほがらは思いました。島に来たのはここ最近です。しかしまさか半袖短パンの小学生に新顔と呼ばれるとは。小学生グループは、真ん中の男の子がリーダーっぽいです。眼鏡の男の子とおさげの女の子も不敵に笑っています。

「よしな。こいつはただの見物だ。今日戦うのは俺だぜ」

 可弦かいとが椅子から立ち上がります。その表情は好戦的なものでした。

「ちょ、トンビ先輩?」

「まぁ落ち着け」

 はじめほがらの湯呑にお茶を注ぎます。

「ただ真剣勝負するだけだ」

「相手は小学生のぼんですよ? タカも止めんと」

「いえ、それは……」

 千呼ちこは眼をそらすばかりで、可弦かいとを止める気配はありません。

「おい鳩ポッポ」

 可弦かいとは振り返らず、まっすぐに小学生たちを見たまま言います。

「こいつらは小学生で、俺は高校生。だからなんだってんだ? 本気にならない理由にはならねぇだろう」

 ぐっと押し黙るしかありません。

「……話は終わったか」

 リーダー格の小学生が言うと、可弦かいとは頷きます。

「待たせたな」

「なに……では始めるか」

 そうして可弦かいとはジャージのポケットから、小学生はランドセルを下ろすとその中から、それぞれ名刺入れぐらいのケースを取り出します。

決闘デュエル!」

 と、2人の声が重なりました。


鳩井はといは、さえずりめんこを知っているか?」

「知らんが?」

 うっかりタメ口で返してしまいました。

「まぁ無理もない。さえずりめんこはメジャーな競技だが、島の外で見かけることはほぼないからな……」

「そういうのをマイナーって言うんですよ」

「ルールは一般的なめんこと同じだから、簡単だ」

「知らんす」

 そもそもめんこは名前は知ってるけどやったことない遊びです。一般的ではないです。ただ、なぜか目を輝かせているはじめに反論しても無駄でしょう。ほがらは口を閉ざします。

「まず、それぞれ場札を1枚出す。そのあとは手番制だ。相手の札をひっくり返すか、枠線から弾けばいい」

 床にはすでにめんこが二枚あります。これが場札です。そしてその周りには四角い枠線があります。

「え……」

 もともとある枠線です。可弦かいとも小学生の子たちも、線を書いている素振りはありませんでしたから。つまりこの定食屋さんは「さえずりめんこ」のために枠線を用意してあるということです。

 厨房の方をちらっと見れば、ご高齢の店主(っぽい人)が鼻の下をこすっていました。

「若いころを思い出すぜ……」

 さようで。

「シュッ!」

 鋭い息を吐きながら、可弦かいとがめんこを床に叩きつけます。めんこと床がぶつかることで風が起こります。風が場札と床の間に入り込むと、場札が見事にひっくり返りました。

 男の子が眼鏡を上げながら呟きます。

「一手目は『風めくり』ですか……。可弦かいとさんの十八番ですね」

 なにそれ技名?

 つっこみたいことは他にもあります。

「めんこの絵って……」

「ああ、芸能科の生徒だな」

 叩きつけられためんこには絵が書いてあります。芸能科の生徒、というか、宇留鷲うるわしはじめの絵が書いてあります。

「なぜ?」

「『さえずりめんこ』とはそういうものだ」

「自分の絵が書いてあるめんこを叩きつける幼馴染ってどう思います?」

「採用されて誇らしいな」

 二人のやり取りを聞いていた女の子が言います。

「はじめくんのめんこは重量級で、ひっくり返されづらいんだよ!」

「そっかー……」

 一縷いちるの望みを託して、千呼ちこに声をかけます。

「どう思うよ、タカ」

「実は先日、サンプルをもらいまして……。今度部屋でやりませんか?」

 カバンからめんこを取り出す同級生を見て、ほがらの希望はなくなりました。Rapラプ Bellusベルルスってもっとクールなユニットじゃなかったっけ。というかなんでめんこがそんなに流行ってるんだろう。疑問が尽きることはありません。

 こんな感じで「小学生と本気でめんこ勝負する先輩を眺める」ことで休日の時間が過ぎていきます。


 可弦かいとが勝ちました。

 リーダー格の子を倒した後、眼鏡の子とおさげの子も倒しました。3タテです。めっちゃ勝ち誇ってました。悔しがる小学生の前で力強いガッツポーズを披露しました。

「俺に勝とうなんて10年早ぇ!」

「くっそー!」

 負けた子たちは膝をつき、床を叩いて悔しがります。

 見かねてはじめに耳打ちします。

「トンビ先輩、大人げなくないですか?」

「まぁまぁ」

 リーダーの子が声を上げます。

「泣くな2人とも! 次こそ勝ってサインをもらうぞ!」

「うん!」

「がんばりましょう!」

 小学生たちが立ち上がり、引き戸を開けます。

「首を洗って待ってろよ!」

「ハッ、いつでも返り討ちにしてやるぜ」

(どっちもめっちゃコテコテやな……)

 子供たちを見送りつつ、新たな疑問をはじめにぶつけます。

「サインって?」

「あの子たちとの約束だよ。自分に勝ったらサインをあげるっていう」

「それぐらい別に書いてあげればいいのに」

 ほがらの呟きに、今度は可弦かいとが答えます。

「サイン会は抽選だ」

 くるりと振り返り、座ってるほがらの眼前まで顔を近づけます。

「ファンの中にゃ遠くから来るやつも、寝る時間を削るやつもいる。俺は俺を安売りしねぇ。『荒鳶あらとび可弦かいとのためになにかすること』を決して貶めたりしねぇ」

 その瞳からは強い意思を感じました。

「だから、ガキ相手でも手は抜かねぇ」

 それだけ言うと、可弦かいとは椅子にドカッと座り、千呼ちこの湯呑でお茶を飲みました(千呼ちこは口をつけていません)。

「カイトくん、それ、僕の……」

 千呼ちこの分の湯呑をはじめが取りに行きます。ついでに一言。

「やれやれ……。まっ、あの子たちの場合は2枚目だしな」

「ぐ、ハジメェッ! それ言うな!」

 少しむせながら、可弦かいとが声を荒げました。

「2枚目?」

「あの子たちには、去年もうサインしてるんだ。2枚目が欲しいって言われたとき、カイトが『さえずりめんこ』で勝ったら、と勝負を持ちかけた」

 こぽこぽとお茶が注がれる音がします。

「そういう意味では大人げないな。いくら練習相手が見つからないからって……」

「うるせぇ。絶対、今年中に勝ち越してやる!」

「カイト、お前に四天王はまだ早い」

 宇留鷲うるわし家次期当主にして、さえずり学園生徒会長の宇留鷲うるわしはじめは、さえずりめんこ四天王の1人として堂々と言葉を紡ぎます。

「上ばかり見ていては足元がおろそかになる。自分のめんこを一度見てみろ」

「はぁ? ……なん、だと」

 可弦かいとは自分のめんこを見て言葉を失います。凹みができていたのです。小さな、しかしめんこという薄い紙片においては深い凹みがあります。

 その様子を眺めながら、はじめ千呼ちこの前に湯呑を置きます。

「次の世代からの追い上げがあることを忘れるな」

「へっ、上等だぜ」

 ゆらりと湯気が動きます。

「年齢も立場も関係ねぇ……俺がトップだってことを証明してやる!」

 決意を新たにする可弦かいとを横目に、ずずっとお茶をすすります。

(今日もいい天気だなぁ……)

 窓から見える空は快晴。鳥が高く飛んでいます。ラジオから流れるのは世の無常を歌う歌謡曲でした。

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