じゃあね


 その日は僕にとってごく普通の日だった。今日も部活をサボって、愛夏羽かのじょに会いに行こうかな。


 でも、サボりすぎると先生にも愛夏羽おまえにも怒られるな。


 そんなことを考え、結局僕は君に会いに行こうとした。


 ドアを3回、ノックする。


 やっぱりドアのノックは3回が適切なそうだ。

 


        「おはよう」



 明るく澄んだ声で言った。


 はずなのに。


 彼女からの「おはよう」は帰って来なかった。そのときの僕はまだ彼女がもういないなんて思ってない。


 あれ?出かけてるのかな?検査とか手術?


 妙に病室が片付いているのは気にせず呑気にそんなことを考えてた。


 そしてしばらく、そこで待つことにした。今日はどんな話をしようか。そうだ、もうすぐクリスマスだし。彼女になんか買ってあげようかな。


 1時間くらいしても戻って来る気配は全くなかったので、今日は諦めて帰った。ずっと病室にいるのもなんか悪いし。


「またね」


 それだけ無音で誰もいない空間に置いて帰った。





 家について自分の部屋に入った途端、僕のスマホが鳴り出した。愛夏羽かのじょのお姉さんからだ。


「はい。どうしたんですか?」


 一応、年上の人なので敬語を使う。


『ごめんね』


 お姉さんは急に謝る。声が震えていた。


「え?」


智栄ちえくんは、今日病院に来た?』


 なんでわざわざこんなことを訊くんだろう。


「はい。そういえば愛夏羽あの人いなかったけどどうしたんですか?」


 思い出せば、なんでこんな質問をしてしまったのだろうと後悔する。


『ごめんね……』


 と、また。お姉さんは謝る。声の震えが強くなって鼻をすする音も聞こえる。


 そしてお姉さんはゆっくりと、こう言った。


『今日のお昼くらいにね。……愛夏羽あげは、死んじゃった……』


「――え?」


 死んだ?


 今、死んだって言った?


 愛夏羽あいつが死んだ?


 もういない?


 もう会えない?


 もう「おはよう」って聞けない?


『ごめんね……。ずっと黙ってて。』


「ごめんって……お姉さんが謝らなくても……!」


 僕は無意識に声が大きくなる。


 こんなの。何かの勘違いに決まってる。いや、悪い夢だ。こんなくだらない夢からは覚めてやる。


 だって、出会ったときからずっと、ずっと、昨日だって元気だったじゃないか……。


『最後に、愛夏羽あげはが目を覚ましたときに、私は智栄ちえくんを呼ぼうとしたのね。でも愛夏羽あげはは呼ばなくていいって』


「……え?」


智栄ちえには悲しい思い、させたくないって』


 もう、悲しいよ。


 なんで、最後に話させてくれなかったんだよ。


「おはよう」も「またね」も「ありがとう」も「好き」も言い足りないよ。


 僕は気付いたら涙が出ていた。


 あまりにも急な好きな人の死なんてそんな簡単に受け入れたくない。きっとまだどこかに居る。今はここにいないだけ。この世界のどこかに絶対いる。


 僕もお姉さんも電話上で泣くことしかできなかった。


 無意識に電話を切ってしまった。現実逃避だ。





 あれから僕は外に出る気力もないくらい落ち込んだ。今までずっと僕を照らしてきた太陽が急に消えたから。


 1日中、自分のベッドで天井を眺める日々が続いた。寝ることだけが得意になる。


 愛夏羽かのじょは何故、急に死んでしまったのだろう。ああ。あの向日葵みたいな笑顔を浴びたい。もう一度。

 


──生まれ変わったらわたし、ちょうちょになりたい。



 かつて愛夏羽きみはそう言った。確か、初めて会ったときだよね。そのときから僕は君のことが好きになったのかもしれないな。だから僕は無意識に動いたのかな。



──智栄ちえの夢は?



 あのときは嘘吐いてごめん。でも、君の代わりが僕でいいなら。僕は必ずピンクのちょうちょを見てあげる。



──……ありがと!



 お礼を言うのはこっちの方だよ。こんな僕にかまってくれて。仲良くしてくれて。人生で一番幸せなのはたぶん、君と一緒にいた時間だ。



 


 僕は窓の外に目線を移す。


 窓越しに帰宅中の小学生が楽しそうに話す声が染み出る。



       『智栄ちえ!』



 愛夏羽あげはの声がどこからか聞えた。確か窓の方から聞えた。空耳なんかじゃない。


 窓の外には、ピンクの蝶が桜の花びらのように舞っていた。まるで僕を誘い出しているかのように。


「……愛夏羽あげは?」


 僕はベッドから身体を起こす。



       『智栄ちえ!』



 今度こそ、はっきり愛夏羽あげはの声が聞えた。


愛夏羽あげは!」


 僕はその蝶に触れたくて、会いたくて思わず家を出る。


 僕は外に出るとその蝶はひらり、と移動する。


「どこ行くの?」


 僕はそも蝶を追いかける。


 間違えない。あれはきっと愛夏羽あげはだ。ピンクの蝶に生まれ変わったんだ。ちゃんと、空を飛べてるよ。


 僕は泣き出しながらその蝶を追いかける。絶対に見失わないように。






 その蝶がたどり着いたのは僕と愛夏羽あげはが初めて出会った、あの公園だった。


 そして蝶は芝生の地面に止まる。確かそこは愛夏羽あげはがいた場所。ここで僕と愛夏羽あげはは初めて話したんだ。


 よく見ると芝生の地面には1つのスマホが落ちていた。間違いなくこのスマホは愛夏羽あげはのだ。僕より一回り小さくてピンク色のスマホ。


 僕は無意識にそのスマホに電源を入れる。スマホを操作する手に蝶が乗る。


「……中村智栄ちえくんへ?」


 スマホのメモ帳アプリにはそのファイルしかなかった。僕はそのファイルを開いてみる。



◤─────────────────────◥

│                     │ │                     │

│       中村智栄くんへ       │   │                     │              │                     │

│                     │   │                     │

│                     │  │                     │

│   最初に謝りたいです。ごめんなさい。 │  │                     │

│                     │  │                     │

│ 実はわたし、ずっと前から病気でした。いつ│

│かわなきゃって思ってました。でも、直接話せ│

│る勇気がなくてこのお手紙で伝えたいと思いま│

│す。                   │

│                     │  │                     │

│ わたしの余命もお医者さんから言われてま │

│した。                  │

│あなたに出会う前は「どうせ死ぬんなら早く死│

│たい」とかバカなことを考えてた。     │  │                     │

│                     │  │ かつていたお友達を悲しませないようにわた│

│しはなるべく1人で過ごしてた。でも、あなた │ 

│がこんなわたしに話しかけてくれてとっても嬉│

│しかったよ。               │      │                     │

│                     │  │ わたしのおかしな夢も聞いてくれてドジなわ│

│たしに付いてきてくれてありがと。     │    │                     │

│                     │  │ もしわたしが本当にちょうちょになってた │

│ら、その子を可愛がってあげて(自分で言うの│

│はなんか嫌だな……)。          │       │                     │

│                     │  │ あ、あとこれも言わなくちゃ。わたしの口か│

│じゃ言えない。              │  │                     │

│                     │  │                     │

│                     │  │         好き。         │

│                     │  │                     │

│                     │  │                     │

│ 気付いたら敬語じゃなくなっちゃった。  │

│                     │ │                     │

│ 元気でね。じゃあね。          │  │                     │

│                     │  │                     │

│                     │  │                     │

│       松永 あげは        │  │                     │

│                     │  │                     │

◣─────────────────────◢



 その手紙は間違いなく愛夏羽あげはが書いた文章だった。本当に愛夏羽あげはが話しかけてるようだった。


 そしてピンクの蝶は僕の手から飛び立ち、僕の周りをくるくる周る。


 愛夏羽あげは


 君はもう、立派なピンクのちょうちょになれてるよ。大空を飛べる、可愛いちょうちょに。


愛夏羽あげは


 僕はピンクのちょうちょに話しかける。



『なあに?』



「すっごく楽しそうだね。何してるの?」


 今度は無意識なんかじゃない。



『嬉しいから飛び回ってるの。ちょうちょってあんまり良くないイメージもあるらしいけど、やっぱりわたしはちょうちょ大好き!』



 彼女は僕の肩に乗る。


「うん。僕も好きだよ」


 

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それでもわたしは、ちょうちょになりたい。 ここあ とおん @toonn

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