第99話 家へ帰れない
その、工場跡地に開発された住宅地は、中央に広場を据え、同心円状に戸建てが立ち並んでいた。しかも、道の間隔は一定ではなく、歩いているとふいに道が細くなったり行き止まりになったりして、自然の街並みを再現しようとする試みがなされていた。
しかし、戸建ての家はみな同じ工務店で建てられていて、ほとんど同じ形状だった。
同じような家々。庭はほとんどない。駐車スペースは一台。自転車は二台とめるのがぎりぎり。どの家も、玄関近くにはシマトネリコの木が植えられていて、それも混乱を招く原因だった。
美代子はここに引っ越してきたとき、初めはすごく嬉しかった。
子どもが出来たから、思い切って戸建てを買うことにしたのだ。持ち家! 駅から少し遠いけど、緑と調和した、新しい町の中の家。統一性を持った家並み。ヨーロッパ風の石畳の歩道。
「自然な町を意識して作ったんですよ」と、不動産屋は言った。そして「でも、統一された美しさもあります」とも。
確かに、統一されている。多少の差はあれども、ほとんど同じ家だ、みんな。
だけど、美しくはないと美代子は思った。全然美しくない。まるで広大な社宅だ、これでは。それに「自然な町」でもなかった。公園を中心にして同心円状に広がる町並みは、不自然に曲がりくねった道で、まるで迷路のようだった。
迷路。
そう、美代子はいつも自分の家に帰るのに苦労していた。いつもスマホのグールグルマップを使って、家に帰っていた。そうでもしないと、この迷路の町の中で自分がどこにいるのか分からなくなってしまうのだった。中央の公園に行くときも買い物に行くときも、保育園に子どもを送って行くときも、もちろん会社に行くときも、必ずスマホのグーグルマップを開いていた。
しかし、ある休日の午後、美代子はうっかりスマホを持たずに家を出てしまった。ちょっとコンビニに行きたかったのだ。小銭入れと家の鍵だけ持って、家を出てしまった。目印の階段を下りて、迷路の町を抜けることは出来るようになっていた。だからうっかりスマホを持たずに町を出てしまったのだ。帰る段になって、固まってしまった。
スマホがない。――どうしよう? 帰れるだろうか?
町の入り口まで辿り着いた美代子は意を決して町に入った。
数十分後。
美代子は泣きたい気持ちで歩いていた。ここがどこだか分からない。家の近所はこんなふうな景色だった、ご近所さんの家かもと思って表札を見ると違う家だった。目印の階段がどこにあるのかすらも分からない。戻ることも出来ないし、知っている家がどこかも分からない。当然、自分の家がどこかも分からない。どうしよう? いったいどうしたらいいの。帰り道が分からない。歩いていたら、道が狭くなり行き止まりになってしまった。他の道を探す。少し戻っても、自分がどこにいるのか全く分からない。周りは同じような家の群れ。立ち並んで美代子を取り囲んで、迷路から出さなくする。日はどんどん傾いて行き、町は他人の顔になっていく。薄暗さがますます焦燥感を駆り立てる。
家へ帰れない。どうしよう?
「家へ帰れない」 了
*ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。
1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。
毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!
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