第72話 彼女がうちに来た

 僕の彼女は彩香という。


 僕たちの学年ではかなりの有名人で、彼女のことを知らない人はいないんじゃないかな? 何しろ、僕たちの学校は進学校で、その入学式で答辞を読んだのだから。つまり、一番の成績で合格したってこと。

 しかも彩香はちっちゃくてかわいくて、賢いくせにぜんぜん気取っていなくて、むしろ天然ぽいところがあって、男子には人気があった。僕は密かに憧れていたから、告白されてほんとうにびっくりしたんだ。「弘樹くんの顔が好き」とか「なんでも言うこと聞いてくれそう」とか言われて、ちょっと微妙な気持ちになったけれど、つきあってからの彩香を見ていると、ちゃんと僕のことが好きなんだって分かって、僕はとても嬉しかった。


 さて。

 彩香はうちに来ることになった。僕しかいない家に。

 僕は、いちおう、あの、家の人がいるときの方がいいかなって思ったんだけど(だって、ねえ?)、彩香は「弘樹くんがいるならいいじゃない!」とか言うので。

 ……僕たちはまだ、手を繋ぐところまで。

 キス、も、まだしていなかった。

 僕はほんのり期待してしまっていた。だって、家の人がいないところに遊びに来たいって言うんだよ? えーと、それって、いいのかな? て思っても仕方がないよね?


 当日、彩香を駅まで迎えに行った。

 彩香はミニスカートをはいていて、僕は彩香が動くたびにどきどきしてしまった。

 ごはんを食べ終わり、ソファに並んで座ってサブスクで映画を見る。

 脚! 脚がくっつくんですけど! しかも、生足。うう。


 彩香はいろいろコメントをはさみながら映画を見ていて、僕の方を見たりしていた。ああ、この無邪気さが怖い。彩香が動くたびに、身体のあちこちがくっついて、えーと、僕は全然映画に集中出来ないんだけど! ええい!

「ねえねえ、あれおもしろいね」と彩香が言って、僕の肩を叩いた。僕は彩香の手を取って、――キスをしようとした。いいよね?


 そうしたら、ちょうどそのとき玄関で鍵を開ける音がして、「ただいまー!」っていう母さんの声がした。ちょっと! 何このタイミング! せめてキスしてからにして欲しかった。しかも、帰って来るの、早い。絶対に早い。急いで帰ってきたな、さては。

 彩香は緊張しながら挨拶をして、それからみんなでケーキを食べた。父さんが意味ありげな視線を送ってきたけれど、無視した。とりあえず、平和で楽しい時間だった。


 彩香を駅まで送って、帰ってきたら母さんが言った。

「いい子じゃない! 一番の子だって言うから、どんな子かと思ったけど」

「うん」そうなんだ、とってもいい子なんだよね。……天然だけど。

「だいじにしなさいね」

「うん、してるよ」しているけど、でも。


 キス、したかったなあ。

 でも、駅でぎゅってしたから、まあいいかな? 

 僕は、抱きしめたあと、赤くなった彩香を思い出して、こころがあったかいもので満たされるのを感じていた。……ほんとうにかわいい。





  「彼女がうちに来た」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る