第53話 月のきれいな夜に棘さえ溶けて

 僕は高二の秋休み、祖母の家に泊まりに行った。そうして、そのまま滞在している。祖母は気が済むまでいればいいと言ってくれたし、僕の両親は忙し過ぎて僕の真意には気づこうとしなかった。僕が「学校に行きたくない」と言ったときも、「そのうち行くんでしょ? 進級出来る程度なら休んでもいいわよ」と言っただけだった。


 祖母の家でのんびり過ごしていたある日、来客があった。

「美帆ちゃん!」

「巽くん、どうしたの?」

「美帆ちゃんこそ」

「あたしは、ちょっとおばあちゃんちでゆっくりさせてもらおうかと。……巽くんも?」

 僕らは顔を見合わせて笑った。

 僕らが笑っていると、祖母が来て「よう来たなあ」と優しく笑って、「ささ、疲れただろ? お茶を入れようね」と言った。


 祖母は数年前夫に先立たれ、広い古い家でのんびりと一人暮らしをしている。

 祖母が怒ったところを僕は見たことがなかった。だからか、祖父がまだ生きていたころから、祖母の家には人が集まった。ふらりと立ち寄って、祖母のごはんを食べると、なんとなく元気になるのだ。祖母には三人の子どもがいて、僕と美帆ちゃんはいとこ同士だった。とはいえ、美穂ちゃんは僕よりも一回り年上だった。美帆ちゃんは小さなスーツケースと肩掛け鞄を持っていた。しばらく滞在するのだろう。僕と同じように。


「何もないけど」と祖母が出してくれる料理は、裏の畑で採れた野菜で作られた料理だった。魚は近所の人からもらったりするらしい。海が近いこの街で、釣りを趣味にしている人は多かった。僕と美帆ちゃんは、たくさん食べた。笑いながら。

「おいしいね。おばあちゃんの料理、大好き!」

「嬉しいねえ」祖母は目を細めた。


 月のきれいな夜だった。


 夜、窓から月を見ていたら、襖の向こうから泣き声が聞こえた。

 美帆ちゃんだ。

 僕はどうしようか悩んだけれど、そっと襖を開けた。美帆ちゃんは布団の上に座って泣いていた。膝を抱えて。静かな嗚咽。こんなに悲しい泣き方を、僕は見たことがなかった。


「……巽くん?」美帆ちゃんは顔を上げてこっちを見た。

 月明かりだけの蒼い部屋で、美帆ちゃんの姿はぼんやり浮かんで見えた。

「美帆ちゃん」


 僕は美帆ちゃんのそばにいった。一回りも年上の美帆ちゃんが、小さな女の子のように見え、肩を抱いて頭を撫でた。美帆ちゃんはただ泣いていた。僕はただ、肩を抱いてときおり頭を撫でた。


「巽くん。あたし、また別れちゃった。……どうしていつも、うまくいかないんだろう? あたしの何がいけないんだろう?」

「……何もいけないこと、ないよ。美帆ちゃんはきれいだし」

「巽くん」

 月明かりの中で、見つめ合う。

 美帆ちゃんが僕にキスをした。僕は初めてのキスを月に誘われるように受けとめ、そして熱い気持ちになりながら、キスを返した。僕たちは、何度も唇を求めあった。

 月が、僕たちを見ていた。カーテンのない小さな窓から、月が光を滲ませていた。


 僕たちはそれぞれにこころが痛く、そして熱い身体を持っていた。その上、僕たちは互いに気心が知れていた。どこかで、細く長く恋に似た気持ちを持ってもいた。

 互いの体温を感じて互いの吐息を絡ませて、僕たちはまるで子宮の中の双子のように、寄り添って夜を過ごした。体温が絡まる吐息が、傷を癒すように感じた。こんなにも、こころと身体は繋がっているんだ。不思議だ。棘さえ溶けていくようだ。ずっと抜けなかったのに。


 窓から見えていた月は傾いていき、いつしか光だけ残して姿は見えなくなっていた。





  「月のきれいな夜に棘さえ溶けて」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る