第9話 金の葉に込めた決意

 白っぽい青空に、薄雲が棚引いてイチョウの木がさわさわと黄金色の葉を揺らした。落葉にはまだ早く、樹木が風の歌を奏でているようだった。スマホで写真を撮る人も多く、わたしは写真に写り込まないようにしながら、待ち合わせの場所まで歩いた。


 待ち合わせ場所に彼はまだ来ていなかった。

 わたしはスマホを見て、彼からの連絡がないことを確認した。待ち合わせの時間にはまだ十分くらいある。鞄から文庫本を出して読むけれど、なかなか頭に入って来なかった。スマホをまた取り出して見る。まだ五分しか経っていなかった。


 待つのは得意だった。得意なはずだった。


 わたしは道行く人を眺めた。

 なぜだかみな、幸せそうに見えた。薄い青空。金色の葉っぱ。澄んだ空気。足音。

 わたしはどうしてここにいるのだろう?

 ときおり、もう待てないという気持ちがわたしを支配して、縛り上げる。ぎりぎりと音を立てて。最近そういう音をよく聞くがする。ぎりぎりぎり。


 彼とは仕事を通じて知り合った。そして、もう好きになってしまってから、実は妻がいるんだ、と知らされた。妻。まるで宇宙から降って来る言葉のようだった。

 妻とはうまくいっていないんだ、もう別れるから。

 彼は、「待っていて」という言葉の代わりにわたしにキスをする。わたしはキスを受け留める。そうして、何も考えられなくなってしまう。指先。舌。彼はわたしの躰をすみずみまで知っている。


 だけど、わたしのこころは外殻しか知らない。

「好き」という言葉で、わたしのこころのやわらかいところを全てコーティングして、彼に向かう。「好き」だけ。あなたに見せるのは、「好き」という、その部分だけ。


 ふいに目の前にひらひらと舞うものがあった。

 金色の葉だった。

 落葉にはまだ早く、樹木によってはまだ黄緑色が残っている。だけど、わたしの目の前に落葉した、黄金色の一葉。わたしはそれをそっと拾った。そのとき、「遅れてごめん!」という彼の声が聞えた。わたしは、金の葉をポケットにしまい、「ううん、だいじょうぶ」と優しい顔をして彼を見た。


 彼はほっとした顔をした。この顔が好きだ、と思った。

 家庭を優先させたいとき、妻には絶対にバレたくないという気配が滲み出ているとき、いいのよ、分かっているわ、とわたしは言う。その度に見せるその顔が愛しくて。妻とは出来ないあれこれをしたいんだ。いいのよ、なんでも好きにして、だいじょうぶよ。その、顔。だけど、分かっている。彼は妻と別れる気はない。少しも。「待っていて」とすら言えない、弱い人。でも同時に愛しい人。その弱くて甘い武器で、彼はわたしをからめとった。わたしはからめとられて、甘く痺れた。


 でもイチョウの黄金色が美しい今日、わたしは彼に別れを告げる。彼の顔は悲しみで歪むだろう。その悲しみは本当だろう。愛しいと思うのだろう。だけど、わたしは彼に背を向けると決めている。


 ポケットから葉を取りだして、そっと捨てた。




  「金の葉に込めた決意」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!

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