二〇一九年・終
瑠依は一部始終を見ていた。
悪名高き『教授』が、橋姫紫音の肉体を我が物にしようと最期の大魔術を発動しながら、彼女に踊りかかるのを。
身体能力で勝る彼女に軽くいなされ、あべこべに手錠をかけられるのを。
そして、最期の魔術を阻止された教授が、紫音の誇る「バリツ」で滝壺へ投げ落とされるのを。
瑠依は一部始終を見ていた。
見ていたのは、瑠依だけではなかった。葉山が死んで以来、研究所において教授に次ぐ地位を占めていた男もまた、全てを見ていた。
瑠依は左手で指を鳴らすと、男の後ろに転移した。彼は狙撃銃を覗き込んでいた。
「やめたほうがいい」
瑠依が声をかけると、男はバッと振り向き、隠し持っていた拳銃を突き付けたが、声の主を認識すると銃を下ろした。
「どういうことだ。俺は教授が失敗したら橋姫を撃ち殺せと指示を――」
瑠依は人差し指を唇に当て、黙るよう指示した。
「ついさっきロンドンから報告があった。橋姫紫音の迅速な帰還の裏には、玉鬘綾女の存在があると。だから今行動を起こせば、君も無事では済まない。せめて三、四年は身を隠していた方がいい」
「俺がどうなろうが構うものか」
「教授が死んで、他の大半が警察に捕まった今、組織を立て直せるのは実質的ナンバーツーの君しかいない。君は教授が作り上げた組織を見捨てるつもりか?」
男は黙り込んだ。
「それに、もし今回の件に玉鬘綾女が関わっているなら、今撃ったところで跳ね返されるのが関の山だ。次の機会を待つのが得策じゃないか?」
男は不承不承といった様子で頷き、ポケットから転移の
「奴は俺が殺る。お前は手を出すなよ」
瑠依が肩を竦めながら了承すると、男は転移して消えた。
瑠依――瑠璃子は溜息を吐いた。
ようやく終わった。いつまた自分を脅かすか分からない父親を、自らの手を汚さず始末することに成功した。後は適当に身を隠しながら、雅義とゆっくり暮らせばいい。末妹である知花の娘、茉莉花のことは少々気がかりだが、尽くせる手は尽くした以上、なるようにしかなるまい。自分の役目はここまでだ。
予め用意しておいた隠れ家へ帰ろうと踵を返したその時突然、瑠依の右脚が吹き飛んだ。
何が起こったのか。バランスを崩して倒れ込みながら、瑠依は思考を回転させる。
アダマンティンを主とした骨格を持ち、更には幾重にも神秘的な防御が施されたこの身体が、表層の生体組織のみならず内部構造まで一瞬で破壊されるなどまずあり得ない。
体が地面に着くと同時に脚を再生し、立ち上がる。
「ほう、機械であっても自己再生するか。否、破損した物体を修復する魔術があるのだから、驚くには値しないな」
背後からの聞き覚えのない声。当然、教授の手の者ではない。それなら全員記録している。
拳銃を抜きながら振り返る。そこには、小柄な女が立っていた。鮮やかな着物に、紫で化粧された白狐面。その姿を知らない者は、この街の魔術師には一人としていないだろう。
ごく僅かな人間を除けば、実際に見たことがある者はいない。それでも、何世代も前から語り継がれる、妖じみた神。
「玉鬘、綾女……!」
「その通り。名乗る手間が省けたな」
綾女はその手に刀を握っていた。
「……私を排除しに来たのですか」
「否。貴様がどういう者か見に来ただけだ」
綾女はつまらなさそうに言った。
「つい先日、貴様の写しに会ってな。我が町で好き勝手しようという輩は排除せねばと思ったのだが、邪魔が入って果たせなんだ。故に先にこちらを見極めておこうと思い立ったまで。ふむ、彼奴は人間の体に邪神の魂が入って居たが、貴様は邪神の体に人間の魂が入って居る。似ているようで正反対。しかし真逆のようでまるで等しい。……彼奴は最早如何しようもないが、貴様はまだ有用かも知れぬ。しかし、何方が上かははっきりとさせておかなくてはな」
瑠依は戦慄した。綾女から膨大な魔力と殺気を感じたために。
思わず発砲する。狐面目掛けて一直線に飛ぶ.50AE弾を、綾女は難なく掴み取った。
「その程度の飛び道具が、我に通用するものか」
瑠依は歯噛みした。何をしても勝てるビジョンが見えない。一切魔術も使わずこの脚を斬り、同様に銃弾を素手で止める者を相手に、何をどうやればいいというのか。転移で逃げたところで、逃げ切れる筈はない。教授の追手より執拗かつ的確に追って来ることは目に見えている。裏面世界に逃げたとて、そこへすら追ってくるのではないかという思いが身を凍らせる。
最悪なのは、雅義がこちらの状態に気が付いてしまったということ。彼はすぐに来る。だが来たところで何も事態は好転しない。
「来ちゃ駄目だ!」
瑠依は叫んだ。真摯に必死に。
『それでお前が死んだら何の意味もない』
雅義の返答はある意味では正しい。全ては彼女あってのこと。しかし綾女に彼女を殺す気は無いようだ。なら自分一人の方がまだ損害は少なく済む気がする。雅義を見逃してくれるとは限らないのだから。
瑠依の想いも虚しく、雅義は転移で現れた。右手に剣を持った臨戦態勢で、綾女のすぐ後ろに。そのまま綾女が何かをするよりも早く、その背に剣を突き込む。
「―――」
雅義の胸を、綾女の刀が貫いていた。
彼とて構造上は瑠依と同じ機械の肉体だ。そんなことそうそう起こる筈はない。だがその刃は的確に動力部を破壊していた。
見えなかった。状況から判断するに、雅義が剣を突き立てるよりも速く、刀を持ち替え背後に突き込んだのだろう。動き出しは確かに雅義の方が早かった。だが、綾女の方が速かった。その一切を視認出来なかった。
乱雑に引き抜かれる刀。胸部の半分程を斬り裂かれ、崩れ落ちる雅義の身体。舞う鮮血。全てがスローモーションのように見える。
思考が加速し、脳が沸騰するような感覚が全身を駆け巡る。
「ああああああああああああ!!」
最早言葉ではない叫び声をあげながら、綾女へ向けて吶喊する。綾女の持つ刀を自らの手元へ転移させて奪うと、そのまま左袈裟に斬り込む。
するりと刃がすり抜けた。
綾女の手が上がるが、斬りつける為に踏み込んだ体はすぐには体勢を変えられない。先に躱すことを考えたことによるタイムロスが、転移の為の時間を奪う。
トン、と綾女が瑠依の胸を突くと、その動作の軽さからは想像出来ない程の威力で後方へ跳ね飛ばされた。
「先の彼奴との時は少々遊び過ぎた故この面を割られるという失態を晒したが、此度は違う。真正面から向かって来られて何もせぬ程我も愚かではない」
綾女は相変わらず淡々と言った。
「そもそも、架空の神の化身と、今や一族の者のみとは言え信仰する者を持つ神とでは、何方の方がより強大な力を持つかなど、今更言って聞かせるまでもあるまい。何方の方が立場が上か、はっきり判っただろうな?」
瑠依は力なく頷いた。
「判れば善い。それからこの男、相手が我と判った上で尚、貴様への愛故に剣を振るった事は賞賛に値する。此度は特別に不問とし、元通りに直してやる故、よく躾けておけ」
綾女が手を翳すと、雅義の体はたちまちのうちに修復、復元された。まるでただ眠っているかのように穏やかな姿で横たわっている彼に、瑠依はよたよたと這い寄った。
雅義が目を開いた時には、そこには既に玉鬘綾女の姿はなかった。
裏面世界 竜山藍音 @Aoto_dazai036
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