二〇〇〇年・五
それから一ヶ月。
雅義の所有する隠れ家を転々としているとは言えども追手はなく、いい加減諦めたのかと思い始めた頃、事は起こった。
未だ表通りを征くことに抵抗感があり、二人は努めて薄暗い路地を選んで歩いていた。それを塞ぐように数人の半グレ達が立ちはだかった。
「七人か」
雅義は素早く男達を数え、呟いた。
「いいや、後ろにもう三人いる。全部で十人」
ルイが応えた。雅義は肩を竦めた。
「いけるか」
「もち。前は僕がやるよ」
「なら俺は後ろだな」
二人が背中合わせに立ったのを見て、何かを喚きながら半グレ達は襲い掛かってきた。当然そのくらいは想定通りなので、各々の方法で対処する。
知っての通りルイの使える魔術は極めて少ない。だが、転移するモノが金属なら何でもいいというのは非常に有用だ。
例えば、先頭の男が持つ金属バットを、自分の手元に転移させることも可能だ。そしてそのままフルスイング。人間の域を軽く超えた膂力で振られたバットはまっすぐ元の持ち主の顔に当たり、そのままそれをかっ飛ばした。
その様を視界の端に捉えながら、雅義は魔術を組み立てる。同時に三つ。行動の阻害、爆破、そして防御。男達は、身動き一つ出来ないまま爆発四散した。防御魔術で男達の四方を囲っていたので、周囲に被害はなし。転移も防御も出来ない低レベルの魔術師が相手なら、雅義が苦戦する理由はない。
こんなことなら自分が人数の多い方を担当すれば良かったと考えながらルイの方を見やると、彼女は最後の一人の胸を安い日本刀で貫いたところだった。
「銃があれば、このくらいは楽勝だよ」
左手に持ったリボルバーをぶらぶらと揺らしながらルイは言った。
「そんなもの持ってたのか」
「僕じゃなくて、あいつが持ってた」
彼女が指した先には、額を撃ち抜かれた男の死体が転がっていた。
「コルト・パイソンか。この程度じゃお前の体は壊せないだろうに」
「そんなこと考えちゃいないでしょ。金属バットで突っ込んで来るような馬鹿なんだから」
ルイは呆れたような調子で言った。
その直後。ルイが目にも留まらぬ速度で回し蹴りを雅義に放った。
路地の壁に叩きつけられる。
右半身はもう駄目だろう。直感的にそう思った。それは同時に、右側に割り当てられている魔術の全てが使用不能になったということを指す。
衝撃で臓器もいくつかやられたらしく、口から血が溢れた。蹴りが直撃した左腕は、普通曲がらない方向へひん曲がっていた。脳が認識出来る痛みを通り越し、もはや何も感じない。
「そんな、雅義!」
ルイが叫ぶが、雅義は殆ど聞いていなかった。
考えろ。状況を打破する方法を。まず間違いなく、先の一撃は葉山がルイの体を操作して行ったものだ。もしルイが自分の意志で蹴っていたなら、体が上下に分かれていてもおかしくない。ただ彼女のサイボーグボディが持つ質量を高速でぶつけられたことによるダメージがこれなのだ。彼女の意思が働いていないなら、操作されていたのは確実だ。
操作系の魔術には効果範囲がある。それは術者によって変わるが、前回葉山から写し取った術式を考えると、射程は精々二十メートル。つまり、葉山自身もルイから二十メートル以内の何処かに隠れているということだ。
人間のものより遥かに優れた感覚器官を持つルイですら気が付かなかったとなれば、何か魔術を使ったのだろう。拠点にいる時なら兎も角、こんなところでは魔術や魔力を感知するのは難しい。
では、敵が何処にいるのか分からない状態で、如何にして撤退するか。転移は右半身が潰れたことで使えなくなった。裏面世界も駄目だ。ルイは常に右手の指を鳴らしていた。雅義も同じ様にしなければ写し取った魔術の行使は出来ない。
「追手を撃退した直後なら、多少なりとも気が抜けるってもんだ」
視界の外から声がした。やはり葉山だ。声の方向からして、向かっていた方で待ち伏せていたようだ。
なんとか視線をそちらに向けると、以前のように尊大な態度で、白スーツの彼が立っていた。
「さあどうする瑠璃子。男はお前のせいで瀕死だ。だが大人しく俺と一緒に来ると言うなら、研究所で助けられる可能性もある」
ルイは葉山を睨み付け、頭を振った。
「断る。彼処に戻るくらいなら、雅義を殺して僕も死ぬ」
ルイは未だ手にしていた銃を雅義に向けた。しかし、その引き金を引く前に手を離した。
「そんな真似はさせない。お前が来ないというのなら、その男は俺が殺す」
ルイは葉山に飛びかかった。そのまま彼を殴り倒そうとして、彼女自身が地に倒れた。
「無駄だ。この世で唯一お前の体を自由に操作出来るこの俺を、魔術無しでどうこうする術はない。勿論、お前の魔術では俺の武器を増やすだけだ。諦めろ」
ルイは何も言わなかった。ただ左手の指を鳴らすと、彼女の姿は消えた。すぐさま葉山の背後に現れたルイは、そのまま彼を殴りつけた。今度こそ。
雅義のすぐ横まで飛ばされる葉山。だが致命傷には程遠い。
「まあ、そうするだろうとは思っていた。俺に限らず、操作系の魔術は対象を認識していなければ効果を発揮しない。転移で瞬時に場所を変えてしまえば、再度認識し魔術をかけるまでのタイムラグが生じる。だから予め防御の術を張っていた。操作に影響が無いようかなり低出力だったが、おかげでこの通り五体満足だ」
ルイは目を剥いた。
「防御の術なんか使えなかったはず……!」
「この男のおかげで使えるんだよ。それと、コイツを拾って来たお前のおかげでな」
「――まさか、根源魔力注入装置を、持ち出したのか」
「賢いな。そう、魂を変質させる機能を持つ根源魔力を注入すると同時に、コイツの魂の情報を取り込んだ。だから俺はコイツと同じ力を持っている。一度見た魔術を自分のものにする能力をな。そしてさっきの戦闘でコイツは、変な使い方だったが防御魔術を使った。だから俺も使える」
葉山は得意気に語った。
「……僕を連れ帰って、何の意味がある。一ヶ月も放置していたんだ。もう秘密の保持なんか考えちゃいないんでしょ。このボディは瑠璃子の魂が入ってるから、教授の計画は頓挫したはず」
ルイは尋ねた。その目は鋭く、口では会話をしながらも、攻撃の隙を伺っているのは明白だった。
「いいや、まだ計画は続いている。お前は最後の見張り以外携わっていないから知らないだろうが、その体には魂を収容するユニットが二つ付いている。機能としては一つあれば十分だが、万が一お前や俺がルイに殺されたとしても教授の分を残せるようにな。だからお前にはまだ利用価値がある。もう一つのユニットに教授の魂を容れて、お前の魂を別のボディに移せば、晴れて教授が神の肉体を手に入れることになる。それで計画は完成する」
雅義は話を聞き流しながら、そっと左手の指を鳴らした。ルイの金属転移。狙いはルイが落とした拳銃。左手の内に現れたそれを力なく握りながら、彼もまた隙を伺う。
葉山はまだ防御魔術をかけ直していない。チャンスは一度きり。左半身でかけられる限りの魔術をかけ、弾丸を強化。射撃補助の魔術も使える。後は激痛に耐えるだけ。
「分かっただろ。お前にはまだ役目がある。だから生かされてるんだ。ただ教授が進行中の実験を止めたくないから先送りにされているというだけに過ぎない。それが済めばお前はもう要らなくなる。そうしたら俺が貰ってやる。何の不都合も無――」
銃声。一定距離までなら理屈を無視して必中させられる魔術を帯びた弾丸が、葉山の側頭部に着弾すると同時に、小規模の爆発を起こす。
「……悪足掻きを。言っただろうが。俺は死なない。瑠璃子の処女を散らすまでな」
頭が半分吹き飛んでおきながら、葉山はまだ喋っていた。余りにも強力な呪いが、それを可能としているのだ。
「……生憎、それはもう効かない。お前がまだ知らないから、辛うじて機能してるだけだ。彼女は、何度か、俺と寝ている」
葉山は一瞬ギョッとした顔を浮かべ、そのまま斃れた。呪いが解かれたのだ。
一方、雅義ももう限界だった。ただでさえ半身が潰れているところに、更に魔術を行使し、あまつさえ折れた腕で銃を撃ったのだ。魔術師で無ければ死んでいる。彼の持つ魔力が、生命力という神秘が、無理矢理彼の命を繋いでいた。
「雅義!」
ルイが駆け寄り、雅義の無残な体をそっと抱きしめた。泣き出す寸前の顔で、今にも崩れそうな彼の体を支えていた。
雅義のほぼまともに機能しなくなりつつある頭に、最低でこの上なく残酷な考えが浮かんだ。それを口にしてルイがどう思うかなど、考える余裕はなかった。
「ルイ……。頼む。俺を、殺してくれ。ただ魔力が生かしてるだけの体を、もう止めてくれ。俺を、開放して、くれ……」
やっとのことでそれを言い切った。
ルイはついに涙を零した。彼女にも分かっている筈だ。助かる方法はない。このまま放置しても、もう五分と保つまい。ただ、その五分が、耐え難い苦痛に苛まれ、ただ死を待つだけの恐ろしい時間になる。それなら、せめて彼女にすぐ殺されたい。そして楽になりたい。そんな思い、彼の最期の希望が。
ルイは涙ながらに頷いた。
「あり……がとう……」
もう声も殆ど出なかった。
ルイは泣きじゃくりながら首を振った。礼なんか要らないと言いたいらしい。
彼女はそっと雅義を抱き起こすと、そのままゆっくり唇を重ねた。左腕で彼を支え、右手を手刀に構える。
ルイ手刀が心臓を貫き、雅義の生涯は閉じた。
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