二〇〇〇年・四

 親である教授よりルイに執着する婚約者。

 それがどれ程ルイにとって恐ろしい存在なのか、それは彼女の顔を見れば明らかだった。

「ハッキリ言ってアイツは異常者だ。度を越した嗜虐嗜好があって、瑠璃子の魂に深いトラウマを残している。おまけに、奴の使う魔術は今の僕と相性がめちゃくちゃ悪い」

 ルイは青い顔でそう捲し立てた。

「というと?」

「奴は金属を操作する魔術を使う……こんな風に」

「?」

 ルイの右手が握られ、ゆっくりと振りかぶられていく。

「……悪いんだけど、避けてくれる?」

 ルイがそう言い終わると殆ど同時に、その右拳が雅義の胸部目掛けて飛んで来た。否、そう表現したくなる程の速度で殴りかかってきただけだ。

 雅義は転移の魔術で少し距離を取り、何の問題もなく回避した。

「随分ご機嫌だね、葉山」

 ルイが言った。その声は気丈だったが、強がっているのは雅義にも分かった。

 その彼女の背後。およそ三メートル程離れたところに、一人の男の姿があった。体格の良いその男は白く上等なスーツに身を包み、凶暴さをその目にありありと浮かべていた。ハッキリ言ってヤクザにしか見えない。

「生意気言うじゃねえか瑠璃子。また調教が必要かァ?」

 男――葉山が口を開いた。

「人の体を無断で操っておいて、好き勝手言ってくれるね」

 相変わらずルイは強がりを見せた。ようやく体の自由を取り戻したらしく、ゆっくりと葉山の方へ向き直った。

「俺の他に男作って、無断で出て行って、好き勝手やっているのはお前の方だろ。お前にその男を殺させるのも一興かと思ったがな」

「生憎、僕は瑠璃子じゃない。彼女の見た目を借りてるだけだ」

「知るか。教授が瑠璃子だと言うならお前は瑠璃子だ。俺のものだ。男を殺して連れて帰る」

 葉山はスーツの内ポケットから何枚かの魔術巻物スクロールを取り出した。書かれた文字が妖しく輝き、日本刀が召喚される。計五振り。

 その鋒が一斉に雅義の方を向き、弾丸のように飛来する。咄嗟に守護の魔術を展開し、刀を弾き返した。

「面倒くさい奴だな。大人しく串刺しになっていればいいものを」

 葉山が苛立ち混じりに言った。

 その間も彼の攻撃は止まらない。驚くべき速度で幾度も雅義を貫こうと、或いは斬殺しようと迫って来る。その幾つかが、雅義の皮膚を浅く切り裂いた。正面から真っ直ぐ飛んで来た初撃は兎も角、全方位からバラバラに飛来する刀を全て防ぎ切るのは、魔術を以てしても簡単なことではない。相手が魔術師でなければもう少しやりやすかっただろう。今のところは致命的な攻撃を避けることに専念することで何とかやり過ごしている状態だ。

 一方のルイはといえば、再び体の主導権を葉山に握られ、彼の下へ歩かされていた。体のどこにどんな金属が有り、どこをどう操作すれば彼女の体がどう動くのか熟知している葉山を相手に、為す術もなかった。

 為す術もないのは雅義にとっても同様である。

「ぐっ……」

 立て続けに繰り出される攻撃の一つを防ぎ切れず、肩口に深く刺さった。それをきっかけに防御が乱れ、次々と刀をその身で受ける。ルイの操作に意識をある程度割いているのが原因だろう、雑な攻撃だったことが幸いして致命傷はない。猛烈な痛みが全身を苛んでいることを除けば、大したことはない。時間はかかるが治療は可能だ。

 だがその為には、この場を切り抜けなければならない。

 既に金属操作の魔術は使える。だが、どうやら相手の方が操作術師として上手のようだ。何度試してもルイの操作の主導権を握ることが出来ない。刀の方なら何とかなるかもしれないが、数が多く飛び回っている物の操作権を瞬時に奪い取れる技量はまだない。勘付かれてとどめを刺しに来られても厄介だ。

 しかし、それならそれでやりようはある。

 体勢が乱れてよろめいたかのように、近くの建物の壁に手をつく。一秒の後、同じ壁面のずっと奥、葉山のやや斜め後ろから棒状の塊が急速に伸び、葉山の後頭部を強かに打った。

 葉山の意識がルイからも五振りの刀からも外れる。当然だ。意識の外からぶん殴られれば、誰だってそちらに意識が向く。気絶でもしてくれれば尚良かったのだが、しなくても十分目的は達成された。操作の魔術が途切れたのだから。

 身体の主導権を取り戻したルイが、葉山の鳩尾目掛け強烈な蹴りを見舞う。思わずたたらを踏んだ葉山に、雅義の魔術が炸裂した。人を丸ごと飲み込む大きさの火球である。

 大技故、そうポンポンと撃てるものではない。魔術を組み立てる時間も必要だ。それ故防御に徹する必要があった先程は使えなかったが、攻撃が止んだ今なら使える。

 蹴りの反動を上手く使って後方へ飛び下がったルイと入れ替わるように飛来した火球を、葉山はまともに受けた。

 それも当然だろう。魔術は万能でも、魔術師は万能ではない。使える魔術には限りがある。普通一つか二つ。多くても三つだ。他人の魔術を盗める雅義だから数多くの魔術を行使可能なのであって、葉山はそうではない。使える二つ目の魔術が防御だったとしても視界を奪うには十分だとこの方法を選択したが、結果から察するに彼は防御の魔術が使えないようだ。

 火球は着弾とともに爆ぜ、その大部分は彼のスーツに燃え移った。たちまち火達磨になって転げ回る。

「ルイ、裏面世界へ。コイツを片付けたら俺も行く」

 雅義は早口で指示した。ルイは頷きを返すと指を鳴らし、直後その姿は消えた。

 言わなくとも意図は伝わっただろう。悪足掻きにルイの操作をされては厄介だ。彼女がすぐ隣にいる以上、不意に殴られたりすれば避けようがない。彼女が裏面世界に行けば、葉山はもう彼女を操れない。後は理想的な一騎討ちだ。

 とどめを刺すべく同じ火球の魔術を組み立てようとして、ふと気が付いた。スーツに燃え移った火がどんどん消えていくことに。

 ゆらり、と葉山が立ち上がる。その顔は焼け爛れ最早見るに耐えない状態となっているが、その目にはハッキリとした生気があった。

「やってくれたな、小僧」

 憎悪の籠もった声で葉山は言った。それは見るも無惨な外見と合わさって、地獄からの使者の如き様相であった。

「だが俺は死なない。瑠璃子の処女を散らすまで決して死なない。どれほどこの身が傷付こうと、生命の火は消えない。これは俺が俺自身にかけた呪いだ」

 雅義は思わず舌打ちした。呪い破りは彼の使えない魔術に含まれる。よしんば使えたとて、これほどの執念を以てかけられた呪いを解くのは極めて難しい。想いの強さは神秘の強さだ。単純な神秘力で勝る相手であれば簡単に無効化出来るだろうが、残念ながら現在の雅義では分が悪い。

 同じ手では撃退も難しいと判断し、使用する魔術を切り替える。まずは大地を操り、転がっている刀を地面に縛り付ける。そして葉山が次の武器を用意するよりも速く、次の大魔術を行使する。

 突風が吹いた。否、突風という表現では生ぬるいだろう。竜巻の如き暴風が、雅義から葉山へ一気に駆け抜ける。それは人間が抵抗出来る風ではない。ましてや防御の魔術を持たない葉山には。

 一瞬のうちに彼の両足が地面から離れ、路地の最奥の壁に叩きつけられる。脳が震え、体の自由が奪われた。

 今度こそ決める。佐久間に使ったのと同じ雷撃で。向けた指先から放たれる稲妻。

 しかし、その直撃を受け、衝撃で舞い上がった土埃が落ち着いた時、そこに葉山の姿はなかった。

「転移で逃げたか……。まだそんな力が残っていたとはな」

 誰もいなくなった路地で一人呟くと、ルイがやるように指を鳴らし世界を裏返した。

「雅義!」

 ルイはすぐそこにいた。移動のために裏面世界へ行ったのではないのだから、当然といえば当然なのだが。

「無事?」

「嗚呼。だが奴は取り逃がした。最後の最後で転移されたからな」

 ルイは首を傾げた。

「アイツ、転移は使えなかったはずだけど」

魔術巻物スクロールが燃え残ってたんだろ。あのスーツ、燃えにくい素材みたいだったから」

 ルイはなおも釈然としない様子であったが、それ以上何も言わなかった。指を鳴らして表面世界へ戻ると、疲れきった様に地面に座り込んだ。雅義はその隣に腰を下ろした。

 ポン、と肩にルイの頭がもたれかかるように乗せられた。フローラルな香りが鼻腔をくすぐる。ただの人間にしか見えない彼女の体温を、まるでヒトでしかない温かみを感じながら、雅義はじっと動かなかった。

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