第三話

 知っての通り、僕はサイボーグの類だ。

 あの教授、名前は松風まつかぜ純一郎じゅんいちろうと言うんだけど、まあ見ての通りちょっと狂っていてね。神に届き得る肉体に、自分の精神を移し替えることを目的に日々研究を行っている。

 ま、そんな肉体そうそう造れるものじゃあないよね。普通に考えれば夢物語。でも、それを実現させる技術を彼に貸した存在が居たんだ。

 その名をナイアルラトホテップという。宇宙の外、どころか『世界』の外に棲む邪神さ。正確には、その化身なんだけどね。ソイツの目的は、この世で最も邪神そのものに近い化身を創ることだった。

 そうして最悪のコンビによって生み出されたのがこの僕だ。ルイという名前は、この世で最も栄華を極めた王、太陽王ルイ十四世から取ったとか。

 僕の体は完成したが、一つだけ問題が有った。いつ目覚めるか、誰にも分からなかったということだ。しかも、邪神の化身は僕の体が完成したことを確認した後、すぐに姿を消してしまったという。

 教授は僕を安置している部屋に入浸り、何度も起動実験を繰り返した。邪神の化身が完璧だと言った以上、いつかは目覚める筈だと信じて。

 ある時、僕は突然目覚めた。部屋に教授はいなかった。代わりに、彼の娘、夢見川瑠璃子が居た。彼女は教授の第一子だったけど、両親は結婚してなくて、母親の姓を名乗っていた。当時母親はもう亡くなっていたから、彼女が夢見川家最後の一人だったね。

 僕は起き上がるなり彼女を殺した。

 目覚めたらまず目の前の人間を殺害するようにプログラムされていたんだ。そうすることで、殺した相手の魂を吸収出来る機能があった。だから教授がいない間に僕が目覚めたら、すぐに教授に連絡をすることになっていた。ただ、僕の動きは彼等の予想を遥かに上回り、教授が到着する時間は疎か、瑠璃子が退避する時間さえなかった。

 そうして僕は夢見川瑠璃子の魂を手に入れた。そしたら体が変化を起こして、彼女と同じ外見になった。それが今の僕さ。

 おまけに、彼女の持ってた魔術も手に入った。それが裏面世界への移動と、あんまり使う機会はないけど、金属物体の転移だよ。ま、今は金属主体の体だから、自分の転移には使えるけどね。


「大体こんな感じかな、僕の話は」

 ルイはそう締め括った。

「それで、あの教授とやらの目論見は失敗したわけか」

「まあ、僕に関してはね。あの人は他にも色々やってるから」

 そうだろうな、と雅義は思った。でなければ、わざわざ自分を拉致して何かしたりはしないだろう。

 これで、あの教授という巫山戯た男がルイを瑠璃子と呼んだ理由も分かった。娘の魂と外見を持つ者を娘として呼んでいるだけのことだ。最高の身体を娘に奪われたことになるが、教授自身の見込みの甘さもまたその原因であるのだから、強くは責められないのだろう。

「そうか。大凡理解した。お前のことは」

「随分理解が早いね」

 ルイは皮肉めいて言った。

 実際雅義はナイアルラトホテップなる邪悪存在のことをよく知らない。だが、それはこれから調べればいい。当座の問題はそこではないし、自分とて善人ではない。彼女が裏切らなければそれでいいし、裏切られたとしても今更どうにもならない。

「誰か他に、脱走に成功した奴はいないのか」

 思い出したことを尋ねた。

「いるにはいるよ。瑠璃子の末の妹さ。つい先日僕が逃がした。でも同じ方法は使えない。僕は性行為は出来ても妊娠は出来ないから」

「どういうことだ」

「僕の体は通常の人間と同じように機能するように出来ているから、食事や睡眠は勿論、性行為も出来る。でも減数分裂が出来ないから――」

「違う、そこじゃない。子供を作ることになんの意味があるのかを訊いているんだ」

「嗚呼、簡単なことだよ。彼女に特別な処置を施して、彼女が次に産む子供は僕のコピーになる」

「何?」

「勿論クローンとかそういうことじゃない。僕の魂の一部を写した子供が産まれるのさ。そのための父親も用意した。ナイアルラトホテップは土属性を与えられているから、同じ土を司る魔術家の空蝉家の現当主と結婚する予定だ。ま、彼の今の奥さんが死んでからの話だけど。多分あと二、三年もすれば、もう一人ナイアルラトホテップの化身が産まれるはずさ」

 雅義は絶句した。それを全くもって平気な顔で、一切の罪悪感を感じさせない態度で口にする彼女に。教授やその助手達を狂人と評した彼女とて、同じ穴の狢ではないだろうか。

「それを、その妹は知っているのか」

「いいや、知らない。何もされずに逃されたと思ってるだろうね」

「それじゃ詐欺師だ」

「そりゃそうだ。詐欺師ならまだ良い。僕は山に入れば山賊になり、海に出れば海賊になるだろうってならず者だよ。ご立派な倫理観なんか持ち合わせてないし、平気で人は騙すし、君にしたように誘拐すらする最低な奴だ。でも彼女の件については三つ反論がある」

「何だ」

「第一に、自分の子供が邪神の化身だなんてことは、知らないほうがいい。それについて深入りすると正気を失うことになるから。第二に、逃がしたということは事実だ。教授は彼女を手元に置いたまま子供を産ませるつもりだった。それを僕が執り成して彼女に自由を与えた。第三に、さっきも言ったが僕はそもそも人間じゃない。人間の価値観と僕の価値観との間には、決定的な溝がある」

 雅義は再び沈黙した。彼女との関係性を見直す必要があると考えたから。

 沈黙が支配する部屋に、外の音が侵入する。雨と風。大宅市ではさして珍しくないが、今日もまた大いに荒れ始めていた。

「でも、」

 先に沈黙を破ったのはルイだった。

「恋人を裏切ったりはしないよ。それは僕の中の瑠璃子の魂がそうさせる。年頃の乙女だったから、そういうのには弱いんだ。だから僕の意思でどうこう出来ることじゃない。保証するよ」

「……恋人になった覚えはないが」

 実際互いに相手を恋人として扱ったことはない。だが見方を変えると、雅義のこの言葉は些か冷淡だった。それは雅義も自覚している。彼女からの好意を利用して脱走した自分に、どうこう言う資格はあるまい。

 ルイは自分の想いを打ち明けた上で、共に二人で逃げ、ずっと二人で暮らそうと提案したのだ。それに乗った時点で、生涯の伴侶たることを約束したようなもの。恋人より重い存在とも言えるだろう。

「じゃあ今からはそうだ」

 ルイはあっけらかんとして言った。

「そうだな」

 雅義の返事も呆気なかった。或いは素っ気なかったと言ってもいい。

 これは先述した心境によるものであって、雅義に彼女への恋愛感情がある訳ではない。そもそも雅義には恋愛感情というものが分からない。それでも、少なからず彼女の想いに応えようという意志が芽生えたのは確かだった。

「大体ね、さっき君は僕が『もうお嫁に行けない』って言った時『俺が貰ってやる』って言ったんだよ。事実上の婚約者でしょ、もう」

「そんなこと言ったか?」

「言った」

 ルイはハッキリと断言したが、雅義には記憶がなかった。多分その場をやり過ごすために適当に言ったのだろう。そんなやり取りを一々覚えていられる程余裕のある状況ではない。

 居場所はバレているし、今にも誰かが追ってくるだろうという意識が、彼の脳を殆ど支配している。この状況でそんなことを覚えていられるルイは、緊張感がないのか余程図太いのかと考えて、やめた。彼女はサイボーグだ。機械的に記録されているのだろう。それはそれとして、それを口にすることが出来る辺りは図太いのだろうが。

 ふと思う。彼女の精神は誰のモノなのだろうか。

 神秘世界においてヒトは、肉体、魂、精神によって成立する。肉体と精神を、魂によって繋ぐのだ。

 彼女の場合、肉体は邪神の化身であるサイボーグ、魂は夢見川瑠璃子から吸収したものだ。では精神は? 自我を持って行動している以上、何かしらの精神を持っていることは疑いの余地がない。それともSFじみた高度な人工知能だとでもいうのだろうか。もう百年もすればそういうものも実用化されるかもしれないが、二十世紀をあと一年残したこの時代にそんなものはないだろう。待て、彼女の体は明らかにオーバーテクノロジーだ。では頭脳も?

 考え込む雅義を現実に引き戻すように、部屋のドアが大きな音を立てて震えた。しかし人の気配はない。風の悪戯だろう。向かいに腰掛けるルイも一瞬緊張を表情に表したが、すぐに元の落ち着いた顔に戻った。

 改めて眺めると、ルイはかなりの美少女だ。産まれる世界が違えばアイドルにでもなっていたかもしれない。そんな彼女に純粋な好意を寄せられてるということは果たして幸運なのだろうか。厄介事の種ではないだろうか。

 だがそれは己自身もだ。原理は知らないが使える力。それが彼らの関心の的であり、自分が拐かされた原因であることは疑いようがない。自分が他人と違う点といえばそれだけなのだから。

 魔術というものは万能だ。彼は生まれつき持っていたこの力で数多くの魔術を己のものとし、自前の術がなんであったかすぐには思い出せぬ程の種類の魔術を扱える。それが彼の強みであり、魔術師を相手に情報屋をやっていられる理由でもあった。

 よもやそれが裏目に出る日が来ようとは。来たのは一ヶ月も前だが。

「……!」

 周囲の魔力に乱れを感じ、雅義は顔を玄関へ向けた。ルイもほぼ同時に同じ動きをしていた。

「来たな」

「そうみたい。どうする?」

 ルイが尋ねるが、きっと彼女は気付いていないのだろう。魔力の流れを荒らした者が、部屋の鍵をゆっくりと開けていることに。

「逃げる」

 雅義は端的にそう言うと素早くルイの手を握り、彼女が何かを言う前に転移魔術を使用した。

 再び彼らが姿を現したのは、雅義の家から一キロ程離れた路地だった。

「返り討ちにすれば良かったのに。佐久間みたいにさ」

「敵は解錠の魔術ではない手段で俺の部屋の鍵を開けてようとしていた。勿論物理的なピッキングでもない。どういう魔術師か不明である以上、一旦は逃げて様子を見た方が――どうした?」

 ルイの顔が真っ青になったのを見て、雅義は尋ねた。

「それは多分最悪の相手だ。教授以上に僕に執着している」

「というと?」

「わた……瑠璃子の婚約者だ」

 ルイは苦々しげにそう言った。

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