第7話Ep7.甘い


 ――「なぜ」そんなことをしたと思う?


 レナの問いにサトルは初めて押し黙った。再び手の中のココアをクルクルと揺らす。エミも同じようにしようとして、いつの間にかココアがなくなっていることに気が付いた。


「――正直」


 やがてサトルはゆっくりと顔を上げた。横でエミはカップを握りしめる。始めは熱々だったはずなのに、空のカップはひんやり冷たい。


「それがわかりませんでした。だから本人に直接聞こうかと」

「……あはぁ。正直だね」

「もっと言えば、このタイミングで僕らにそれを打ち明けようとした理由もわかりません。……レナ先輩は、シュンスケ先輩とお付き合いされてることを公言してませんよね? この学校のことならなんでも知ってるはずの生徒会長でさえ知らなかった、それくらいうまく隠してた。隠そうとしないと、そうはなりません。――でも、エミさんにシュンスケ先輩のことを聞かれたとき、適当なことを言ってはぐらかさずにわざわざ僕の元へとけしかけた。――相談部へ相談されたらこのカラクリが暴かれるって、それくらい想定してたでしょう?」

「そうだね」


 レナは机に肘をついて、組んだ両手の上に顎を乗せた。にこにこと穏やかな眼で後輩を見つめる。

 見られている方は反対に、顔を逸らすみたいにココアを見つめた。冷めきった茶色の液体がグルグル揺れる。


「エミさんに『ヒントは文車妖妃』だなんて言ったのもそうです。文車妖妃は一般に、恋文にまつわる妖怪――色恋沙汰が関わってるって言ってるようなもんです。だから僕はあなたとシュンスケ先輩が付き合っていると仮定して、そう考えると何かとうまくいった。だからやっていることはわかったけれど――、なぜそんなことをするのかはわからなかった。なぜそれを僕らに打ち明けようと思ったのかも」

「だから私に直接聞こうと」

「そうです、先輩。教えてくださいますか?」


 サトルはレナと視線を合わせた。ふたりはほんの少しだけ見つめ合い、やがて「ふっ」とレナは息をこぼした。


「よろしい。ではそんな後輩に、私直々にレクチャーしてあげようではないか」

「お願いします」

「しかし始めに言っておくよ、サトルくん。この理由は恋愛映画ほど大層ではなく、ミステリー小説ほど劇的ではなく、君が期待しているほど深くはない。ごくありふれて、ひどくちっぽけで、呆れるほど浅い理由さ。聞いてため息をつかないと約束してくれるかい?」

「ええ、必ず」


 サトルに合わせてエミもこくこくと首を縦に振る。

 レナはそんなふたりを見てまた笑い、手のひらをこちらに向けた。


「では始めに、少しばかり質問だ。君たち、誰かと付き合ったことは?」

「えっ!? ないです!?」


 予想外の質問につい先輩より先に答えを口走ってしまう。サトルもその横でゆるゆると首を振った。


「僕も、ないです」


(え、先輩、ないんだ。こんなにかっこいいのに)


「へぇ、意外だね。ふたりともないんだ。サトルくん、君はモテるだろうに」

「はあ。告白されたことはありますけど……。そういうのに興味が持てなくて」

「ふぅん、それもまぁ君らしいか……。ではふたつ目の質問だ。私とシュンスケくんが付き合っていると知って、どう思った?」


(どうって言われても……)


 空のカップを睨んでエミは眉を寄せた。

 どう、と言われたって、自分はシュンスケ先輩の顔と名前くらいしか知らないし、そもそも委員長のことだってよく知らない。だから感想も何もないのだけれども。


(どうしよう、『お似合いです』とか言った方がいいのかな……?)


 恨みもないのに睨まれるカップに申し訳なくなってきた頃、エミの様子に気付いたレナが「ああ」と笑いかけた。


「ああ、すまないエミちゃん。君はシュンスケくんはおろか私とも会って数ヶ月だ。どうも何もないね」

「あ、はい……」

「――で、サトルくん。君はシュンスケくんのことも知っているし、私とも一年の付き合いがある。君はどう思った?」

「……なんというか」


 サトルはそこで言葉を区切り、ゆっくりとココアをすすった。そしてまだほんの少しだけ残っているそれを見つめながら、


「意外、でした」


 一音一音ゆっくりと吐き出した。

 それは吐き出す台詞を考えているというより――、現状を受け入れたくなくてわざとのろのろと喋っているようにエミには見えた。


「シュンスケ先輩は結構ボーっとしてるタイプで……。ハキハキしてるレナ先輩とはちょっと、違うというか。さっきそんな話をしたけれど、先輩は合理性を追求するタイプでしょう? 意味のないことをやるとは思えない」

「私がハキハキしているかは疑問が残るが――まあいい、それは置いておこう。つまり、アレだ。言ってしまえば。――釣り合わないと思った?」

「釣り合わないだなんて、そんな。そんなことを言える立場じゃ僕はないですけど……。でも、なんていうか――似合わないな、とは思いました」


(それは釣り合わないと大差ないのでは……?)


 内心肝を冷やすエミをよそに、サトルはそのまま訥々と言葉を落とした。それを聞くレナの表情は変わらない。興味深げに目を細めながら耳を傾けている。


「というか、そもそもレナ先輩が誰かと付き合うというのも意外でした。レナ先輩も僕と同じで――そういうのは興味がないと思ってましたから」

「……そうだね」


 レナはカップを手に取り中身を見つめた。深い茶色の液体はさざ波だって、なにも映らない。

 エミにも彼女が本当は何を見つめていたのかわからなかったけれど――、ただ、彼女の顔は優しく柔らかかった。

 沈黙がグルリと一周する。

 後輩たちが見守る中、やがてレナは手の中のココアをごくごくと飲み干した。


「――では、後輩諸君」


 コツン。カップを置く音が響く。

 口の中が甘い。唇についたそれをペロリと舐めとり、レナはふたりを見つめた。


「答え合わせをしようじゃないか」


 そう言う彼女の眼には、また爛々と楽しそうな光が灯っていた。

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