第32話 変わらない朝

 どれだけ眠たい朝でも、キッチンに立って弁当や朝ご飯の支度をしていると自然と目が覚めてくる。

 レンジの音とコンロでお湯が沸騰する音、それからまな板の上で食材を切る音。

 それらに混じって、階段を降りる音が聞こえてきた。


「おにぃ、おはよ~」


「お~」


 愉快な寝癖と共に寝ぼけ眼を擦りながら現れた奈々は、くんくんと猫みたいに鼻を動かす。


「お、今日は味噌汁だ」


「昨日父さん結構呑んでたからな。味噌汁、二日酔いには良いだろうと思って」


「さっすがおにぃ。お父さんまだ寝てるけど起こしてくる?」


「いや、せっかくの休みだしそのまま寝かしといてあげよう」


「ふぁい」


 欠伸なのか返事なのかよくわからない声を残して奈々が再び廊下に出て行く。

 洗面所に顔でも洗いに行ったんだろう。


 その姿を見届けつつ、俺は少しだけホッとした。


 俺たち兄妹の関係は何も変わっていない。

 今さら揺らぐはずもないと確信していたが、心のどこかで不安を抱いてもいたんだろう。


 何はともあれ、杞憂で済んでよかった。




 17歳の誕生日を迎えた昨日の夜。

 父さんが告げた真実はそれなりに衝撃的なものだった。


 ――実は透と奈々、二人は血が繋がっていないんだ。


 物心ついた頃から一緒にいて、兄妹と信じて疑わずに過ごしてきたのだ。

 血が繋がっていないと聞いて、何の冗談をと思った。

 だけど、そんな反応をする俺たちに父さんは重々しく語り聞かせてきた。


 俺も奈々も、一歳になるよりも前に実の片親を亡くしていたらしい。

 俺は父親を、奈々は母親を。


 そしてシングル同士であった父さんと母さんが出会い、俺たちが物心つくよりも前に再婚した。


 父さんの話を纏めるとこういうことらしい。


 俄には信じがたい話ではあるけど、父さんの真剣な表情はとても嘘を話しているとは思えなかった。

 何より、納得する部分もあった。


 幼い頃から俺と奈々は度々、「兄妹なのに似ていないね」と言われることがあった。

 俺たちはそう言われる度に「そうなんだよ」と笑って話のネタにでもしていたものだ。


 だが、そもそも血が繋がっていないのなら似ていなくて当然だ。


 納得と混乱、それらが入り交じって頭の中がぐちゃぐちゃになる中、俺は辛うじて父さんに訊ねていた。


「どうして今教えてくれたんだ? ……というか、もっと早くに話してくれたら――」


 そう訊くと、父さんは苦々しい表情で答えた。


「父さんも母さんも心配だったんだ。……年頃の息子と娘が……わかるだろう? でも、透に彼女が……いや、親しい異性ができて安心したんだ」


 父さんの話は少し要領を得なかった。

 それでも、父さんが意図するところは察した。

 だからそれ以上追求するのはやめた。


 正直なところ、言いたいことは色々とあった。

 だけど苦しそうにしている父さんを見ていると、何も言えなくなったのだ。


 覚えていないとはいえ、俺は実の両親をどちらも亡くしたことになる。

 そのことに対するショックは当然大きい。


 しかし、父さんは奈々の実の母親を、そして再婚後に俺の実の母親を亡くしている。

 立て続けに奥さんを二人も亡くす苦しみは想像に難くない。


 そのお陰、というわけではないけど、父さんのことを考えるとショックもすぐに乗り切ることができた。

 父さんが言ったように、俺たちが血が繋がっていないとしても今までと何も変わることはないんだから。


 父さんも奈々も変わらずここにいて、俺の大切な家族。

 それだけで十分だと思った。




 朝食と朝の準備を終えて再びリビングへ現れた奈々は、カウンターに置いてある弁当箱の包みを開けて覗き込んだ。


「心配しなくてもちゃんと箸は入ってるって」


 洗い物をしながら俺は思わず苦笑する。


「いやいや、こういうのはセカンドカンパニーが大事だから」


「それを言うならセカンドオピニオンな。……いやまあ、それもちょっと意味が違うけど。というか奈々、お前絶対最近見てたバレエアニメに引っ張られてるだろ」


 半眼で睨む俺の視線を無視して、奈々は弁当箱に向けて「お箸、よし!」とサムズアップしていた。


「おにぃありがとね」


「おう」


 弁当を鞄にしまい、ひらりと反転。

 家を出ようとする奈々は、不意に足を止めた。


「あのさ、おにぃ」


「ん?」


 顔を上げると、奈々はこちらに背中を向けたままだった。

 ジャーッという水音がうるさくて声がよく聞こえない。蛇口を捻って水を止めるが、それでも何も聞こえてこない。

 どうやら話していなかったらしい。


 訝しむ俺に、奈々はくるりとこちらを向くと挑発するような笑みを浮かべた。


「や、なんでもないよ。んじゃ、おっさきぃ~。おにぃも遅刻しないようにね~」


「そう思うんなら皿洗いぐらい手伝え」


「きっこえな~い」


「……こいつ」


 パタパタと逃げるように玄関へ向かった奈々を睨みながら、俺は蛇口を捻った。




 ◆ ◆ ◆




「げっ」


 朝。学校の昇降口で靴を履き替えていると、すぐ後ろから悲鳴のような声が聞こえてきた。

 振り向くと、そこには健介の姿がある。


「おはよう。いい朝だな、なっ、けんすけ~」


「お前の目、いい朝って感じの目じゃねえよ。こえぇ、まじこええ」


 震えながらも靴を履き替えるために近付いてくる健介。

 そんな彼の肩に俺は腕を回した。


「この口か。紅羽先輩にあることないこと言い触らす悪い口はこの口なのかぁ~?!」


「いで、いで、いひゃい、だから謝っただろ、いででででっ」


 健介の頬を両側から抓む。

 こいつには俺が安城さんと付き合っているなんて誤情報を紅羽先輩に吹き込んだ罪状があった。


「ひゃっておまえ、仲よさそうだったじゃ――」


「まだ罪を認めないつもりか、んん?」


「こーさん、こーさんだっ!」


 両手を上げる健介。

 ふと視線を感じて顔を上げると、そこには安城さんの姿があった。


 彼女も今登校したらしい。

 こちらを見てくすりと笑っている。


「…………」


 なんだか猛烈に恥ずかしくなって、俺は健介を解放する。

 安城さんがこちらへ軽く会釈をしてきたので、俺も手を振った。


 階段へ向かって姿を消した安城さんを見届けつつ、健介へ視線を戻すと、にんまりと笑っていた。

 俺が睨むとすぐに口元を引き結んだが、目は笑い続けている。親友の俺が言うんだから間違いない。


「健介、まじで紅羽先輩に余計なこと言うなよ」


「わーってるって」


 まったく安心できない健介の返事を聞きながら、俺たちも教室へと向かった。

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