第31話 父の話

 その後、安城さんを送り届けてから家へと帰る。

 玄関で靴を脱いでいると、トントントンという軽快な音と共に奈々が二階から降りてきた。


「おかえり~」


「おー、ただいま」


 何やら上機嫌な奈々は、背中に両手を回したまま俺の手元を見てニマニマとした笑みを刻む。


「それ、どしたのさ」


 そう言って指差したのは安城さんから貰ったチョコブラウニーの入った紙袋。

 わざとらしいその態度に、俺は睨み返す。


「全部お前が計画したくせによくとぼけられたもんだな」


「ありゃ。あーちゃん話しちゃったのか」


「ああ。『俺は単純だから物よりも甘いお菓子の方が喜ぶ』だって? 俺のことよくご存じで」


 皮肉のつもりで言ったが、奈々はむしろ得意げにふふんと鼻を鳴らす。


「何年の付き合いだと思ってるのよ。あたしはおにぃのことならなんでも知ってるんだから」


「……はぁ」


 どうやら相手をするだけ無駄らしい。

 俺は鞄を廊下に置き、その上に紙袋を載せてから靴を脱ぐ。


「ね、あーちゃんのチョコブラウニー、どうだった?」


「すごい美味かったよ」


「ふふん、そうでしょそうでしょ」


「なんでお前はそんなに得意げなんだ」


 呆れつつ再び荷物を持って奈々の隣を抜けようとする。

 すると、奈々が俺の進行方向に腕を突き出して通せんぼしてきた。


「んっ」


 よく見ると、奈々の手に何かある。

 安城さんに貰ったチョコブラウニーの入っていたビニール袋と同じだ。

 口を止めているひもも同じ。


「なんだこれ」


「あたしからのプレゼント」


「お、おう。ありがとうな。……マフィンか」


 袋の中を見ると小さなマフィンが三つ入っていた。

 奈々はどこか照れくさそうに言う。


「やー、あたし今月色々と入り用でさー。困ってたんだけど、あーちゃんが手作りのお菓子作るっていうから、一緒にね。安く済んで助かる~」


「お前そんなことプレゼントした相手に言うなよ……。というか、もしかして今日安城さんと作ったのか?」


「うん。あーちゃんのおうちで。すごいんだよ、あーちゃんち。大きいオーブンがあってさ、キッチンも広いんだから」


「まあ想像に難くないな」


 この間リビングに上がらせてもらったときに安城さんの家の広さは知っていた。

 うちだと二人揃って別々のお菓子を作れるほどのキャパはないだろう。


「……で、食べないの?」


 催促するようなその声に、俺は苦笑い。

 今日は生徒会のお菓子パーティーでお菓子をたくさん食べた後、安城さんのチョコブラウニーまで食べた。

 この後は父さんが帰ってきて一緒に夕食をとるんだが。


 ……そんなにうずうずとした目で見られて、断れるはずがないよな。

 折角のプレゼントだし。


「んじゃ、いただきます」


「ん、どぞ」


 ぱくりと一口。

 表面からはわからなかったが、中にはイチゴが入っている。

 イチゴの甘みと生地そのものの甘みが融合する。

 くどくならない、ちょうどいい甘さだ。


「美味いな」


「ほんとっ?」


「ああ。イチゴもいいな。マフィンってバナナとかレーズン、あとはチョコ系のイメージだったけど」


 俺がそう言うと、奈々は前のめりに捲し立てる。


「レーズンとかバナナも美味しいけど、甘さがちょっと足りないかなって思って。チョコだとあーちゃんと被っちゃうし、それにおにぃ、イチゴ大好きじゃん。だからイチゴにしたの」


「我が妹ながらナイスチョイスだな。完璧だ」


「ふふん、でしょでしょ」


 またしても得意げな奈々。

 ただ今回に関してはその表情をするに値する。


 ……しかし、イチゴってそれなりに高いよな。

 手作りにしてもこのマフィン自体結構材料費がかかったんじゃないか?


 ……いや、よそう。

 プレゼントの価格を予想するなんて無粋な真似は。




 ◆ ◆ ◆




 父さんが帰ってくるのを待ちながら、俺は奈々とテレビを見ていた。

 夕食前だから控えておこうと思ったのに、すっかりチョコブラウニーもマフィンも平らげてしまった。


 奈々も奈々で、少し焦げたり見栄えの悪いマフィンを食べていた。

 一応、俺にプレゼントするものは出来のいいものを選んでいたらしい。


 そんなこんなで、外から車の音が聞こえてきた。

 家の前で停まり、脇の駐車場へ入庫する独特のバック音。


 その音を聞いて奈々が俺を見る。

 俺は頷きながら二人して立ち上がった。


 やや待って、玄関の扉が開き、父さんが現れた。


「ただいま。すまんな、待たせたみたいで」


「いや大丈夫。奈々と一緒にお菓子食べたから」


「もうおなかいっぱ~い」


 俺たちがそう言うと、父さんはきょとんとした顔で手に持っている袋を掲げる。


「なんだなんだ、今日は透の誕生日だから寿司にするって言っただろ?」


「大丈夫だって、あたし、美味しいご飯は別腹だから」


 そんな会話をしつつ、落ち着いたところで夕食の席につく。

 父さんは珍しくビールを開けていた。


「しかし透ももう17歳か。……色々と迷惑をかけたな」


 父さんが買ってきてくれた寿司の桶の中が半分ほどなくなり、父さんの顔もだいぶ赤らんできた頃。


 父さんがしみじみと呟いた。


「やめてよ、父さん。迷惑なんて、むしろ俺の方が」


 言いながら、ふと父さんの顔を見て思った。

 前よりも白髪がだいぶ増えた気がする。

 俺が年をとるように、父さんも年をとる。

 そんな当たり前のことを今さらながらに痛感した。


「もー、お父さん飲み過ぎだって。ほらお水~」


「うぅっ……皆立派になったなぁ……」


 あんまり父さんが酒を飲んでるところは見ないけど、もしかして泣き上戸ってやつなのか……?


 その後も酒を飲み続けた父さんは、ふらふらとリビングのソファへと向かった。

 こんなに無防備な父さんを見るのは初めてだからなんだか新鮮だ。


「ん? これはなんだ?」


 ソファに腰を下ろした父さんは、ローテーブルの上を指差す。

 そこにはさっきまで俺と奈々が食べていたチョコブラウニーとマフィンの包装や袋が置かれたままだった。


「あ、それあーちゃんと一緒におにぃに作ったの。誕プレで」


「あーちゃん?」


「うん、あたしの友だち。高校でできたんだよね」


「……奈々に、とも、だち……?」


 とんでもない衝撃を受けているようだった。

 さっきまで焦点が怪しかった目が見開かれている。


「あたしにも友だちぐらいできるってば! ……あ、そうそう。そのあーちゃんね、実はおにぃのことが好きなんだよね。この間おにぃに告ったりしてさ」


「おい」


 勝手に喋りすぎだぞと小突くが、なんだか浮ついたこの場の空気に当てられてるみたいだ。


「っ、透にも彼女ができたのか」


 ……今日二度目のやり取りだ。


「彼女じゃないって。……その、今は返事は保留って形にしてもらってて……でもまあ、仲良くしてるよ」


 なんで父親に恋愛事情を明かさないといかないんだ。

 俺は奈々を睨み続けた。


「……そうか、…………そうか。もう、十七だもんな。うん」


 父さんは独り言のように呟く。

 それから何やら覚悟を決めたような目で、俺と奈々を交互に見つめた。


「もう、話してもいいのかもしれんな」


 そう言って、父さんはソファからゆっくり立ち上がると、そのまま真っ直ぐにさっきまで座っていたダイニングテーブルの席に座り直した。


 そうして両手で対面の二席を示し、俺たちに座るよう促してくる。


 なんだか突然冷静に、というか真剣になった父さんの空気に戸惑いつつ、俺たちは顔を見合わせながら恐る恐る椅子に座った。


「いつか話そうと、思っていたことだ」


 さっきまでの浮ついた空気はどこへやら。

 重々しい口調で父さんが話す。


「母さんとも話してはいたんだ。いつ二人に明かしたものかと。大人になってから……いや、二人のどちらかに恋人ができてから。そんな曖昧なことを言い合って……だけどたぶん、父さんたちはただ先延ばしにしていただけでな」


 何の話なのか、俺たちはまったくわからなかった。

 だけど口を挟めないような真剣さが父さんにはあった。


 そこで一度、父さんは水を飲んだ。

 味わうように。何かを振り返るように。


 そうして、また俺と奈々を見て、ゆっくりと口を開く。


「心して聞いて欲しい。そしてこの話を聞いても、今までと何も変わることはないということを、先に言っておく。いいな?」


「あ、ああ」


「うん、わかった……?」


 いまだ困惑の中にある俺たちに、父さんは衝撃の言葉を突きつけてきた。






「――実は透と奈々、二人は血が繋がっていないんだ」

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