第30話 サプライズ

「今日はありがとうございました」


 最終下校時間の予鈴のチャイムが鳴り始め、パーティーもお開きとなる。

 後片付けを手伝おうとしたが、「主賓は帰った帰った」という先輩たちの言葉に甘えることにした。


 生徒会室を出た俺は、今朝約束したとおり、奈々に連絡する。


『今生徒会室を出たところ。このまま帰る』


 既読はすぐに着いた。

『りょっ』というメッセージと共に、敬礼をした猫のスタンプが送られてくる。


 ……え、それだけ?


 待っていても特にそれ以上の連絡が来る気配はない。

 一体なんなんだ……。


 困惑しつつ、昇降口に向かって歩き始めた。

 すると、少ししてまたスマホにメッセージが届く。


 奈々からの追加の連絡かと思って画面を見れば、差出人は健介だった。


『俺は安城のこと、チラッと話しただけなんだぜ? それを姉貴が早とちりしたみたいでさ。……まあなんだ。わりぃっ!』


 わりぃっ! じゃねえ……。


 たぶん俺が生徒会室を出た後、紅羽先輩が健介に連絡したんだろう。

 ていうかこいつ、今部活中じゃないのか。


「明日、覚えとけよ……っと」


 返信だけ送って、通知をオフにする。

 これぐらいはしないと気が済まない。


(……それにしても、彼女か)


 健介のニャインで先ほどの会話を思い出す。


 今日はたくさんの人に祝ってもらった。

 だが、俺は安城さんに自分の誕生日を伝えていない。

 意図的に避けていたというよりも、伝えるタイミングがなかったというか、わざわざ自分から言い出すことでもないように思えたからだ。


 だけど、


 ――そういえば透くん、今年は彼女にお祝いしてもらわないの?


 紅羽先輩の言葉が脳裏をよぎる。


 彼女ではない。安城さんは断じて俺の彼女ではない。

 わかってはいるけど、彼女に祝ってもらえないのは少し寂しく思えた。


「――っ、毒されすぎだろ、俺」


 きっと二組のカップルがいるあの空間にいたせいだ。

 どこか女々しい気持ちになっている。


 邪念を追い払おうと頭を勢いよく左右に振る。

 ……クラクラしてきた。


 自分でも馬鹿なことをやっている自覚はあった。


 日の沈むのがだいぶ早くなってきた。

 先月と比べると、窓から差し込むオレンジ色の光が強まっている気がする。


 この時間、校内に残っているのは部活生ぐらいなもので、昇降口に人はいなかった。


 靴を履き替えて校舎を後にする。

 そうして正門前に向かうと、見知った人影がぽつんと門の近くに佇んでいた。


「安城さん……?」


 彼女は、当たり前だが夏服を着ていた。

 白の半袖のブラウス。

 細く、白い二の腕が露わになっている。

 ブレザーを着ていない分、彼女の華奢で、しかし女性らしい体つきが強調されていた。


 俺に気付いた安城さんが、ゆっくりとこちらを向く。

 夕日が彼女の亜麻色の髪に溶け込むように差し込み、青い瞳がきらりと光る。

 そうして、彼女は笑顔を咲かせていた。


「――っ」


 無意識のうちにその場で立ち止まっていると、安城さんがパタパタという擬音が似合う足取りで駆け寄ってきた。


「こんにちは、透さん」


「こ、こんにちは。どうしたの、こんなところで」


「透さんを待っていたんです」


「俺を? ならニャインをくれれば」


「それだと、サプライズにならないので……」


「サプライズ?」


 疑問に思って眉を寄せるのとほとんど同じタイミングで、俺はもしかしたらと思った。


 彼女は鞄を持っていないようだった。

 だけど、その手に小さな紙袋を持っていた。


「……その前に、透さんは私に言うことがあると思います」


 突然、むぅと頬を膨らませて安城さんがジト目で睨んできた。


「え、言うこと……?」


 突然の問いかけに困惑する俺だったが、ちょうどその時、帰宅途中の生徒が校舎から歩いてきた。


 道の真ん中で話しているのもなんなので、俺たちは少し脇へと避ける。


「…………もしかして、さ」


 その間も考えていた俺は、一つの可能性に行き着く。


「俺が今日誕生日だってこと?」


「正解、です」


 正解したのに、安城さんはなんだか一層不機嫌になる。

 餅みたいにぷぅ~と膨らみきった頬を突いてみたくなった。


「どうして教えてくれなかったんですか……?」


「いや、こういうのって自分から話すものでもないし……それに、聞かれなかったし……」


「…………」


 安城さんの視線が痛い。


「……私だって、透さんのお誕生日、お祝いしたいです」


「ご、ごめん……」


 しょんぼりと俯いた安城さんが、あの夜の安城さんの姿と重なって胸が締め付けられる。

 どう慰めたものかあたふたとしていると、安城さんがパッと顔を上げて笑いかけてきた。


「お誕生日、おめでとうございます。透さん」


「あ、ありがとう。……もしかしてそのために正門に?」


「はい。……あと、これを渡そうと」


 そう言って、安城さんはおずおずと手に持っていた紙袋を胸の前に持ってくる。


「喜んでいただけるか、わかんないですけど……その、プレゼント、です」


「えぇっ、いいの? ありがとう、嬉しいよ」


 本当に嬉しくてハイテンションにお礼を言うと、安城さんはくすりと笑った。


「開けてもいい?」


「は、はい」


 紙袋を開けると、中には可愛らしい縞々模様のビニール袋が入っている。

 そしてその中に、丁寧に包装されたチョコブラウニーがあった。


「これ、もしかして手作り……?」


 ビニール袋を取り出しながら訊ねると、安城さんは恥ずかしそうに頷く。


「……そのっ、ななちゃんが、透さんは単純だから物よりも甘いお菓子の方が喜ぶって。……それで、今日の学校終わりに急いで家に帰って、頑張って作ってみました」


「え、じゃあ安城さん、家に帰ってからまた来たってこと?」


 こくこくと、安城さんは頷く。


「それで奈々のやつ、俺の帰る時間を気にしてたのか……」


 帰るのが早すぎたら安城さんが間に合わないし、かといって遅すぎても困る。

 納得しつつ、俺はビニール袋を縛っているひもをほどく。


「いただきます」


「っ、ど、ど、どうぞ……っ」


 チョコブラウニーを取り出すと、安城さんはパッと俯く。

 だが、ちらちらと窺うように顔を何度も上げている。


 俺はチョコブラウニーを一口。


 しっとりとした歯触りと食感が伝わってきて、それを追いかけるようにチョコと砂糖の甘みが広がる。

 俺好みに調整しているのか、随分と甘い仕上がりだ。

 さっき作ったということもあって、まだほんのり温かい。


 俺はゆっくりと味わうように咀嚼して、飲み込んだ。


「ど、どうですか……? その、お菓子作ったの初めてで、でもブラウニーは作りやすいお菓子で、だからそんなに大きな失敗はしていない、はず、なんですけど……」


 不安そうに捲し立てる安城さんに苦笑いしながら、俺は素直な感想を口にする。


「すごく美味しいよ。安城さんが作ってくれたからかな。ずっと食べていたいぐらいだ」


「――!」


 安城さんはパァッと笑顔を咲かせると、嬉しそう胸の前でギュッと両手を握り込んだ。


「わ、私でよかったら、いつでもお菓子、作ります」


「あはは、じゃあまた何かお願いしようかな」


 そう言いながら、俺はもう一つ食べる。


「あ、そうだ。安城さんの誕生日はいつなの?」


「私の誕生日、ですか?」


「そう。俺も安城さんの誕生日、お祝いしたいしさ」


「…………秘密、です」


「えぇ、なんで?!」


 予想外の返答につい大きな声を出してしまう。

 だが、くすくすと笑う安城さんに、からかわれていたのだと察した。


「透さんが教えてくれなかったから、意地悪しちゃいました」


「ごめんって……」


 安城さんに告白されて以来、彼女はこうして俺をからかう頻度が増えたような気もする。

 妹の悪い影響でも受けているのだろうか。


 だがまあ、安城さんが楽しそうならそれでいいかと思う自分もいた。


「私の誕生日は7月7日です」


 ひとしきり笑った後、安城さんがぽつりと呟いたああああ。


「へぇ、七夕なんてロマンチックだね」


 俺がそう言うと、安城さんは目をぱちくりとさせる。


「ん、どうかした?」


「……いえ。私が住んでたところは、七夕なんてなかったので……」


「そっか。安城さんは海外で暮らしてたんだよね」


 織姫と彦星の話なんて、確かにヨーロッパの国とかにはなさそうだ。


「でも、そうですね。確かにロマンチックです……」


 安城さんは、どこか嬉しそうに繰り返す。

 その笑みがなんだか印象的で、俺は目を離せなくなる。


 そんな俺の視線に気付いたのか、安城さんは軽く小首を傾げてきた。

 俺はハッとしながら会話を続ける。


「じゃあ、今年の七夕は楽しみにしててよ。俺、精いっぱい安城さんの誕生日をお祝いするからさ」


「……っ、わかりました。楽しみにしてます……っ」


 仲間の誕生日を祝うのは良いこと、と紅羽先輩は言っていた。

 確かにその通りだ。仲間に限らず、誰かの誕生日を祝うのはそれだけで楽しいし、祝われるのは嬉しい。


 こんなことならもっと早く安城さんに誕生日を伝えておけばよかった。

 甘いブラウニーを囓りながら、俺はそんなことを思っていた。

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