第26話 誤解

 ……き、気まずい。


 勉強会二日目の朝。

 おにぃの用意してくれた朝ご飯を食べながら、あたしは居心地の悪さを覚えていた。


 テーブルを挟んで向こう側に座るおにぃは、さっきから縮こまるようにして黙々とご飯を食べているし、あたしの隣に座るあーちゃんは目元を真っ赤にしてすっかり無口になっていた。


 二人の険悪、というよりもよそよそしい空気は朝起きてから続いているもので、朝の挨拶もおざなりだった。


「お、おはよう」


「おはよう、ございます」


 今まで通りに振る舞おうとしていたけど、その声にはいつもの元気がなく、表情には怯えが見えて。


 あたしはこうなった理由を、今日の朝方あーちゃんから聞き出していた。




 どうやらゲームをしている間に寝落ちしてしまっていたらしいあたしは、突然ベッドに襲いかかってきた衝撃に目を覚ました。

 突然のことに驚きながら辺りを確認すると、あたしのベッドに入り込んで泣きじゃくるあーちゃん。


 泣いている理由を訊ねても、あーちゃんは何も答えてくれなくて。

 結局日が昇るまでそっと背中を撫で続け、ようやくあーちゃんがポツポツと話し始めた。


「……私、お兄さんにフラれちゃったよぅ……」


「えぇ?!」


「……ななちゃんが寝ちゃってから、私、勢いでお兄さんに……す、好きって、言っちゃって……っ」


 言いながら、またあーちゃんの声が震え出す。


 しどろもどろで絶え絶えになりながらのあーちゃんの話しを纏めると、どうやらあーちゃんは子ども扱いされることが嫌になって、何も考えずに告白しちゃったらしかった。


 昨日まであんなにおにぃにアタックすることを躊躇っていたのに、どこにそんな行動力が……。

 恋する乙女の爆発力はとんでもない。


 そんなことを思わなくもなかったけど、当事者としては笑い事ではなかった。


 でもあのおにぃがいきなり女の子をフルなんてことするかなぁ。

 それもあーちゃんみたいに可愛い子……恋愛感情がなくても、とりあえず付き合おうってなりそうなものだ。


「あーちゃん、おにぃに本当にフラれたの?」


 酷な話だけど、あたしはきちんと確認する。

 ようやくベッドの上で上体を起こし、ぺたんと座っていたあーちゃんは、あたしの問いにこくんと弱々しく頷いた。


「お兄さん、嫌そうにしてた。……そりゃそうだよね。あーちゃんも言ってたもん。私が告白しても、近所の子どもに告白されるみたいなものだって。……なのに私、わけもわからず泣きじゃくって……フラれるに決まってるよ」


 またじんわりとあーちゃんの目尻に涙が。

 しかし、あーちゃんの話を聞いてあたしは首を傾げる。


「……それ、本当にフラれたの?」


「っ、あーちゃんのばかぁ!」


 確認のためにさらにもう一度訊ねると、どうやら怒らせてしまったみたいだった。

 あーちゃんはベッドに倒れ込むと、壁際の方を向いて丸まってしまった。


 ……なんだか妙なすれ違いが起きている気がする。


 後でおにぃに確かめないと。


 そう思って迎えた朝だった。

 二人の距離感に気まずさを覚えて、一向に話す機会が得られずに午前中の勉強会が始まる。


 そこでも気まずい空気は続き、ぶっちゃっけ勉強どころではなかった。

 ……というか、そこはおにぃがあーちゃんに話しかけるべきでしょっ!

 などという憤りも抱きつつ。


 本来の予定では今日の夕食まで勉強会は続く予定だったけど、まだ昼前のタイミングであーちゃんが切り出してきた。


「ご、ごめんね。……私、今日はもう帰るね」


 こうして、勉強会はお開きになった。




 ◆ ◆ ◆




 帰り支度を進め、家に来たときと同じ格好で玄関に向かう安城さんを、俺は呼び止めることもできずにいた。

 こういうとき、気の利いた男なら気遣って何か声をかけることができるのかもしれないが、俺はいまだにあの衝撃を引き摺っていた。


 事は今日の夜中に遡る。

 奈々をベッドに運んだ後、俺は安城さんに誘われて二人でゲームをしていた。

 それ自体はいい。……良かったはずだ。


 問題はその後。突然安城さんが泣き始めたのだ。

 まるで迷子になった幼子みたいに目元を両手で拭い、それでもあふれ出る涙を今度は腕で受け止めて。


 ……いや、たぶんこういう考え方が彼女を傷つけていたのかも知れない。


 ともかく泣きじゃくる安城さんは剥き出しになった感情をそのままに、俺に尋ねてきた。


「もし私がこのまま寝ちゃったら、お兄さんはお布団まで、運んで、くれますか……?」


 俺はそれに間髪入れず、「もちろん」と返していた。

 奈々がそうだったように、ちゃんと寝床まで運ぶという想いを込めて。

 しかしそれが彼女の地雷だったらしい。


 彼女の口はさらに加速した。


「私はお兄さんにとって、ただのななちゃんの友だち……なんですよね」


「私がお兄さんに女の子として意識してもらうことは、できないんですか……?」


 その言葉を聞いて、俺の中に嫌な予感が巡った。

 慌ててその場を終わらせようとする俺に、彼女は逃げ場を与えてくれない。


 一度キッチンへ逃げようとする俺を、安城さんは掴む。

 そうして泣きすぎて赤くなった目元、潤んだ瞳、涙の跡が残る真っ赤な頬。

 およそただの妹の友だちが向けてくるものではない表情で、彼女はその決定的な言葉を口にした。


「私、お兄さんのことが好きなんですっっ!!」


 頭の中が真っ白になって立ち尽くしているうちに、安城さんは「ごめんなさい!」と叫んで立ち去っていく。

 情けないことに、俺はそれを留めることができなかった。


 だって、安城さんの告白は、俺の中で禁忌としていたこと。

 百合の間に挟まる男そのものだった。


 それから一人自室に戻った俺は、ベッドの上で悶々と考えていた。


 奈々と安城さん、二人の邪魔をしないように精一杯振る舞っていたつもりだった。

 それがなぜ、どうして……俺は、何を間違えたのか。


 そもそも安城さんの告白は、二股しようと言っているようなもので。

 とても安城さんがそんなことをするようには見えなかった俺は、ますます混乱して。


 気が付いたら朝を迎えていた。


 奈々に相談するわけにもいかず、かといって安城さんに話しかけることもできず。


「ありがとうございました」と言って玄関先で頭を下げてきた安城さんに、「気をつけてね」と声をかけるだけで精一杯だった。




 玄関の扉が閉まって、安城さんの姿が消える。

 奈々が鍵をガチャリと閉めた。


 少しホッとしていた。

 状況が整理できていなくて、少し一人になる時間が必要だった。


「それじゃあ、俺は部屋に戻るよ」


 そう言って自室に向かおうとした俺の手を、奈々が掴んだ。


「おにぃ、あーちゃんに告られたんだって?」


「っ、なんでお前が知ってるんだよ!」


 安城さんが話したのか?

 なんで?


 頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされていく。


「あーちゃんから聞いたよ。おにぃに告白してフラれたって」


「別にフッたわけじゃないって」


「そっか。やっぱりあーちゃんの早とちりかぁ」


 うんうんと頷く奈々に、俺は恐る恐る訊ねる。


「ていうかお前、何平然としてるんだよ」


「……?」


「この状況で一番ショックを受けるのはお前だろ? ……俺が言えたことじゃないけどさ」


「あたしが? なんで?」


 わけがわからないと、俺の手を掴む力を緩めながら奈々は不思議そうに首を傾げる。


 もしかしてこの状況でもまだしらを切るつもりなのか?

 ……だとしたら、ここは一度ハッキリさせておいた方がいいだろう。


 俺はずっと触れずにいた二人の関係性について切り出すことにした。


「だって、お前と安城さんは付き合ってるんだろ。それをこんな、浮気みたいな……っ」


 正直殴られる覚悟はしているつもりだ。

 結果的にとはいえ、二人の間に割って入る形になったんだから。


 だが、奈々の反応は予想に反して穏やかなものだった。

 彼女はただただ困惑している様子で、


「……は?」


 と疑問に満ちた声を零した。


 ……俺は妙な違和感を抱きながら主張を続ける。


「だから俺は二人の間に挟まらないように、邪魔をしないようになるべく距離を取ろうとして――」


「待って待って、おにぃ、さっきから何言ってんの?」


 俺の顔の前で手のひらをヒラヒラと動かして訊ねてくる。

 なんで奈々にこんな反応をされないといけないんだ。

 そもそもの発端はこいつじゃないか。


 俺は憮然としつつも、あの日の記憶を掘り起こす。


「だってお前、百合の間に挟まるなって……」


 そう言うと、奈々は固まった。

 それからゆっくりとその表情に理解の色を宿し始め――深く息を吸い込んだ。


 そうして吸い込んだ息を吐き出すように、奈々は叫ぶ。




「いやそれ、二次元の話だから!! 現実と二次元は違うでしょ!!!!」 




 正論が、俺の頭を貫いた。

 ばっかじゃないの、とでも言いたげな目で睨み付けてくる奈々に、俺は恐る恐る訊ね返す。


「……え、じゃあ安城さんと奈々は本当に付き合ってないってことか?」


「ただの友だち。ずっとそう言ってるじゃん。……はぁ~なるほどね、だからおにぃことあるごとにあーちゃんのこと避けてたのかぁ」


 訳知り顔で頷き始めた奈々は、ピンと人差し指を立てる。


「いい? おにぃ。あーちゃんはおにぃのことがずっと好きだったんだよ。オープンスクールの時におにぃに助けてもらってから」


「っ!」


「初めて家に遊びに来たとき、偶然おにぃが助けてくれた人だって気付いて。それからはおにぃと仲良くするために遊びに来てたの。なのにおにぃ、連絡した時に限っていつも遅くなるからどうしてだろうって思ってたけど……」


「……じゃあ、安城さんが遊びに来るときに連絡をくれなくなったのは?」


「あーちゃんをおにぃに会わせてあげるためじゃん」


「安城さんとの約束を忘れて、家で俺と二人きりにしたのは」


「わざとに決まってるじゃん」


「……もしかして水族館も?」


「お父さんに言ってペアチケット用意してもらったんだよ」


 自身の犯罪の証拠を一つ一つ突きつけられた容疑者みたく、俺はその場に崩れ落ちた。


 それから俺は弱々しく呟く。


「……あれ? 俺もしかして安城さんにすごく悪いことした?」


「もしかしてじゃなくて確実にね」


「っ、と、とりあえず連絡しないと」


 俺は慌ててスマホを取り出して、安城さんにメッセージを送る。

 ……だが、中々既読は付かない。

 今まで安城さんとは一度も使ったことのない通話機能も試したが、一向に出る気配がなかった。


「っ、ちょっと出てくる」


「はいはい、いってら~」


 なんだか嬉しそうな奈々の声に押されながら、俺は家を飛び出していた。

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