第27話 告白
どうやって家に帰ったのかもわからない。
遠くからママが心配するような声をかけてくれたような気がしたけど、気のせいだったかも知れない。
私はただ、ふらふらとした足取りで自分の部屋に入ると、そのままベッドに倒れ込んだ。
……何もしたくない。
……何も、考えたくない。
考えたくないのに、頭の中では渦を巻くようにして色々なことが浮かんできていた。
その多くは後悔。
どうして私はお兄さんに気持ちを伝えちゃったんだろう。
ななちゃんも言っていたのに。今の私が告白しても相手にされないって。
わかってた。わかってたのに……。
今さら悔やんでもどうしようもないことなのに、夜のことを思い出して泣きそうになる。
できるなら、昨日のお昼に戻ってすべてをやり直したかった。
今の私ならできる。
お兄さんに子ども扱いされても、我慢できるはずだ。
……だって、お兄さんに拒絶される方が何十倍、何百倍もつらいってわかったから。
「ななちゃんにも……謝らないと……」
私のために色々と準備してくれたのに、全部無駄にしちゃって。
今日だってなんの途中で帰っちゃって。
……本当に、自分が嫌になる。
「――っ」
ベッドに倒れ込んだままどれだけそうしていただろうか。
不意に、扉の近くに乱雑に置いたままだったリュックサックから、ヴーヴーというバイブレーションが聞こえてきた。
のそのそと起き上がってリュックからスマートフォンを取り出す。
画面をタップすると、お兄さんからメッセージが届いていた。
「……っ」
優しいお兄さんのことだ。
私を気遣って、メッセージを送ってくれたんだろう。
だけど今の私にはその優しさが何よりもつらくて、私はお兄さんからのメッセージを確認しないでスマホをポケットにしまう。
そうしてベッドに仰向けに寝転がる。
見慣れた天井が、いつもよりも色褪せて見える。
「……っ!!」
何度かバイブ音を発していたスマホが落ち着いたかと思うと、今度は通話の着信音が鳴り響いた。
お兄さんからだと、確認するまでもなくわかって。
私はスマホを床に放り投げると、耳を塞ぐように布団を被る。
そうしてどれだけの時間が経っただろう。
スマホはすっかり音を発しなくなっていた。
(……わがままな私に、お兄さんも愛想を尽かしたんだ)
さっきまではあれだけ耳を塞いでいたのに、静かになった途端猛烈な不安が襲ってくる。
そんな私の浅ましさに落胆していると、コンコンと扉がノックされた。
「有栖~? 日下部くんが来てるわよ?」
「っ、ぇ、お兄さん……? どうして……っ」
予想だにしなかった言葉に頭が真っ白になる。
「有栖に話があるんだって。リビングにお通ししてるから、早く降りてきなさい」
「……っ、い、行かない!」
「有栖……?」
「か、帰ってもらってっ」
反抗期の子どもみたいな癇癪を起こす。
お兄さんとまともに話せる気がしない。
……昨日までどうやって話していたのかさえ、思い出せなかった。
私が悲鳴のような声を上げると、ママはそれ以上何も言ってこなかった。
扉の前から気配がしなくなって、私はホッとする。
そうしてから、またどうしようもない不安が襲ってくるのだった。
◆ ◆ ◆
「はぁ、はぁ……っ、はぁ――ッ」
家を飛び出した俺は、全速力で走っていた。
目的地は安城さんの家。
この間、安城さんを家まで送った記憶を頼りに走り回る。
夜道、それも一度だけということもあって、記憶はだいぶあやふやだ。
途中何度も道を間違えながら、それでも俺は走り続ける。
今朝までわけもわからなかったが、奈々の話を聞いた今、これだけはハッキリとわかる。
俺は、安城さんにとんでもなく酷いことをしたということだ。
許して貰えるかはわからないが、とにかく俺にできることは一刻も早く誠心誠意彼女に謝ることだ。
「はぁ、はっ、はぁ……着いた……っ」
昼に見る安城さんの家……もとい洋館はまた違った印象を与えてくる。
俺は息を整えるのもそこそこに、門扉脇のインターフォンを押した。
『はぁ~い? あら、あなたは……』
カメラ越しに俺の姿を確認したのだろう。
スピーカーから女性の声が聞こえてくる。
たぶん、安城さんのお母さんだ。
「は、初めまして。安城さんの……友だち? の、日下部透です。その、安城さんとお話がしたいんですけど……」
なんとも胡散臭さ全開の自己紹介になってしまった。
門前払いをくらったらどうしようとも思ったが、意外にも明るい声が返ってきた。
『あらあら、今出るわね』
プツリとマイクが切れる音がする。
少しして、玄関の扉がガチャリと開いた。
「お待たせしてごめんなさい。どうぞ、上がってちょうだい」
現れたのは、この間安城さんを送り届けたときにちらりと見えた女性だった。
安城さんと同じ、亜麻色の長髪に青い瞳。
とても綺麗な人だった。
「っ、お邪魔します」
俺は慌てて頭を下げて、門をくぐった。
外観から想像できる通り、家の中も広々としている。
俺の家の三倍ほどはある広いリビングに案内された。
ソファにかちこちになって座る。
ようやく息も落ち着いてきた。
「あの、安城さんは……?」
俺の前に飲み物を置いてくれた安城さんのお母さんに会釈しながら訊ねる。
「今は自室にいるわ。ちょっと呼んでくるから待っててちょうだいね」
「お願いします」
言われたとおり、一人でリビングで待つ。
視線を彷徨わせると、至る所に高価そうな調度品が置いてある。
以前、安城さんはお母さんの仕事の都合で日本に帰ってきたと話していた。
もしかして安城さんのお母さんはすごい人なのか……?
好奇心から生まれた疑問を、しかし俺は自重する。
ここに来たのは妙な詮索をするためではなくて、安城さんに謝るためだ。
今はそれ以外のことを考えるべきじゃない。
程なくして。
リビングへと戻ってきたお母さんが、申し訳なさそうに告げてきた。
「ごめんなさいね。有栖、部屋から出てこなくて。日下部くんにも帰ってくれって言って聞かないのよ」
「……そう、ですか」
ニャインのメッセージにもいまだに既読はついていない。
俺の勘違いから負わせてしまった傷は相当深いもんなんだろう。
だからこそ、このまま引き下がるわけにはいかなかった。
「あの、差し出がましいお願いだってことはわかっているんですが……安城さんに会ってもいいですか?」
俺は必死に思いで頭を下げる。
よくわからない男が娘に会わせてくれと言ってきても、普通は断る。
娘から拒絶されている相手ならなおのこと。
それでも、俺はただただ頭を下げるしかなかった。
「ふふっ、私、真っ直ぐな男の子は大歓迎よ」
頭上から、楽しげな声がかけられた。
「会ってあげて。娘の部屋は二階の一番奥の部屋だから」
「っ、ありがとうございます!」
俺はもう一度お母さんに深く頭を下げて、リビングを飛び出す。
廊下の奥。人三人は並べるほどの階段を上がり、二階へ。
そうして言われた部屋の前に行き、俺はコンコンとノックする。
「安城さん? 俺、だけど……」
部屋の中から息を呑む気配を感じた。
「入ってもいいかな?」
「…………っ」
返事はない。
俺は少し躊躇いながら、「開けるよ?」と断って扉を引いた。
部屋の電気は付いていなかった。
カーテンは締め切られ、広い室内は薄暗い。
奈々の部屋とはまた違った女の子らしいなんだかふわふわとした内装。
そんな部屋の奥にあるベッドの上がもぞもぞと動く。
まるでミノムシみたいに掛け布団を被った状態で、その隙間から僅かに目元だけを覗かせた安城さんが怯えた様子で口を開く。
「帰ってって、言ったのに……っ」
その声は悲痛なほどに弱々しい。
「ごめん。でも安城さんに言わないといけないことがあるから」
そう言いながら、俺はベッドに歩み寄る。
びくりと安城さんが震えた。
布団の中から視線を感じつつ、俺は姿勢を正してから頭を下げた。
「ごめん! 安城さん……っ」
「っ、……わかってます。お兄さんが私のこと、女の子として見れないことぐらい」
「違う、そうじゃないんだ」
どうやらまた何か勘違いが起きているらしい。
俺は否定をしながら、順序だって説明する。
「俺、安城さんが奈々と付き合っていると思ってたんだ。それで君から距離を取ってた。二人の邪魔をしないようにって。……君を必要以上に子ども扱いしてたのは、きっとそのせいで」
「……え?」
俺の言葉に戸惑いの声が漏れ出た。
ばさりと、彼女の頭にかかっていた掛け布団が落ちて、ボサボサの髪と目元を赤く腫らした安城さんの顔がようやく見えた。
「安城さんの気持ちに戸惑ったのは、そんな事情があって……。君のことが好きとか嫌いとか以前に、奈々のことを考えてしまって……それで何も返せなかったんだ」
「じゃ、じゃあ、お兄さんは私のことが嫌いなわけじゃないんですか……?」
「俺が安城さんのこと嫌いなわけないだろ?」
「…………そう、だったんですね」
ポツリと、消えそうな声で呟く。
そんな彼女に、俺は改めて頭を下げる。
「変に勘ぐって、安城さんのことを子ども扱いしてごめん。……これから、安城さんのこと、しっかりと女の子として見るから」
言ってから、まぁまぁきもい宣言だなと思った。
だが、安城さんは俺の言葉にくすりと笑う。
「本当、ですよ。……私とななちゃんが付き合ってるなんて、とんだ誤解です」
「それに関しては返す言葉もない……」
安城さんはふらふらと立ち上がる。
そうして、そっと俺の手を取った。
「……私、お兄さんのことが好きです。優しくて、頼りになって……私を助けてくれたお兄さんが、大好きです」
「うん」
安城さんが今度はハッキリと俺の目を見つめて、一言一言、大切に慈しむように言葉を紡ぐ。
「これからお兄さんは私のこと、女の子として見てくれるなら……私も、お兄さんに――透さんに好きになってもらえるように頑張りますっ」
「……わかった」
安城さんの真っ直ぐな告白に、今度こそ俺はハッキリと返事をしていた。
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