第25話 暴走

 風呂から上がるとリビングで奈々と安城さんがスパブラをやっていた。

 風呂に入ったばかりなのに「うりゃ! おりゃ!」と叫びながら奈々が動き回っている。


 ……フルダイブ技術ってもう実装されたんだな。


 冷蔵庫で冷やしていた麦茶を呷りつつくだらないことを考えていると、勝負が決したようだ。

 奈々がコントローラを手にしたままソファに頽れている。


「流石のお前も安城さん相手にはリアルファイトはしなかったか」


 レースゲームであるパリカでもそうだったが、この格ゲーのスパブラでも、奈々のリアルでの妨害は起こる。

 飛んでくるのだ、拳が。


 俺が空手を囓っていなかったら怪我してたぞ、といつも文句を言っていたものだ。


 敗北のショックからようやく立ち直った奈々が、ソファの背にだらりと両手を下げながら顔を覗かせた。


「そんなずるいこと、するわけないでしょ。おにぃはあたしをなんだと思ってるのよ」


「……え、でもななちゃん、この間パリカしたとき邪魔してきて……」


「あーあー、きこえなーい」


 ……こいつまじか。

 流石の俺もどん引きである。


「そうだ、おにぃも一緒にやろーよ。2対1のチーム戦」


「それもうチーム戦じゃないだろ。片方個人じゃねえか」


「ちなみにおにぃが1の方ね」


「お前もしかしてちょっと怒ってるだろ!」


 俺が叫ぶと奈々は「べっつに~」と言ってソファに座り直した。

 ……完全に拗ねてしまったらしい。


「ちょっとだけだからな。一応勉強会なんだし、実際中間試験も近いんだから」


「はいは~い」


「ご、ごめんなさいっ」


 奈々に言ったつもりだったが、安城さんが恐縮したように頭を下げてくる。


「ああいや、安城さんはいいんだよ」


「えー不公平だぞー」


 ぶーぶーと不平不満を零す妹をよそに、俺はテレビ台からもう一つコントローラを取り出す。

 そうして床に座ろうとすると、安城さんが奈々の方へ詰めて端を空けてくれた。


「ど、どうぞ」


「ごめんね、ありがとう」


 お礼を言いつつ安城さんの左隣に座る。

 ここなら奈々の拳も飛んでこないだろう。安心だ。


 かくして、夜中のゲーム大会が始まった。





 2対1で勝ってしまい、負けず嫌いな奈々が「もう一回」を繰り返すうちに夜が更けてきた。


 流石にこれで終わりにするかと思いながらゲーム画面を見ていると、不意に奈々が操作していたキャラが動きを止めた。


 ふと奈々の方を見る。

 間に安城さんが座っているから、まず先に彼女の無防備なうなじが目に入って、慌てて奥を覗き込む。


「……寝てやがる」


 奈々はすーすーと、ソファの肘置きに垂れ下がるようにして寝落ちしていた。

 あれだけ「勝つまでやるから!」と息巻いていたのに。


「安城さん、終わろうか」


「そうですね……」


 安城さんも困った様子で笑っている。

 奈々を起こさないように静かにゲームを消す。


「たくっ、いつまで経っても子どもなんだから……」


 文句を言いつつ、俺はそっと奈々の肩と足の下に両腕を滑り込ませる。

 そうしてゆっくりと持ち上げた。


「~~~~っ!」


 息を呑むような声がして安城さんを見れば、彼女は顔を真っ赤にして両手を口に当てていた。

 不思議に思うが、今は奈々をベッドに運ぶのが最優先だ。


「ごめんだけど、階段の電気つけてくれる?」


 俺が囁くような声量で頼むと、安城さんはこくこくと激しく頷いて廊下に出た。


 パッと明かりが付く。

 安城さんはすでに階段を上っていた。

 俺もゆっくりと、奈々を揺らさないように慎重に彼女の後を追った。


「ありがとう」


 奈々の部屋の扉を開けてくれた安城さんに例を言いつつ部屋に入る。

 物の多い妹の部屋の床には何やら色々と転がっている。というか散らかっていた。

 踏んでしまいそうで少し怖い。


 足下に気をつけつつ、なんとか奥のベッドに辿り着いた。


「よっと……」


 ゆっくりとベッドに寝かしつけ、上から布団をそっとかける。

 俺の気苦労なんて知ったことかと、奈々は口元をもにょつかせながら気持ちよさそうな寝顔を浮かべていた。


 なんだかんだで憎めないのはやっぱり妹だからだろうか。


 俺は奈々の乱れた前髪を軽く整えてから部屋を出た。


「ななちゃん、どうでした?」


 廊下で待っていた安城さんがひそひそ声で訊ねてくる。


「心配しなくてもぐっすりだよ。あれはもう朝まで起きないな。……それにしても困ったな」


「どうかしたんですか?」


「いや、まだ安城さんが今日寝る布団を敷いてなかったからさ。あの調子だと妹の部屋は使えなさそうだし……父さんの部屋でもいいか?」


 訊ねると、安城さんは俯いた。

 さらりとした亜麻色の髪から除く耳が真っ赤に染まっている。


「ぁの、……お兄さんの部屋で寝てもいい、ですか?」


「うん?」


「いえその、……一人きりなのは寂しい、ので」


 もじもじと指を弄りながら安城さんは呟く。


 ……まあ確かに、友だちの家に泊まりに来て一人で寝るのは寂しいと言えば寂しいか。

 だからって男の俺と同じ部屋で寝て良いのかという疑問は残るが、……逆になんでもない男と寝る方が安心という可能性もあるな。


「うん、わかった。じゃあちょっと布団敷いてくるよ」


「……っ」


 俺がそう答えると、なぜか安城さんは表情を歪めた。

 何かに耐えるように口元を引き結び、悲しそうな目で俺を見る。


「安城さん……?」


 心配になって声をかけると、不意にシャツの裾をちょんと摘ままれた。


「あの、寝る前に……もう少しだけ一緒にゲーム、しませんか?」




 ◆ ◆ ◆




 二人きりのリビングで、私はお兄さんとスパブラをしている。

 お兄さんも寝たいはずなのに私の我儘に付き合ってくれていた。


 お兄さんは優しい。

 ……そんな優しいお兄さんに対して、私は言葉にできないもやもやを抱えていた。


 お兄さんが私のことを異性として見ていないことはわかっている。

 それは、水族館に一緒におでかけした日の夜にななちゃんの指摘。

 だけど私はずっとわかっていた。


 今日だってそうだ。


 スーパーでの帰り道。

 お兄さんは私に「偉いよ」と言ってくれた。


 その褒め言葉自体は嬉しいし、そういう言葉をかけてくれるお兄さんが優しくて好きだ。

 だけど、お兄さんの声音も態度も、小さい子どもが背伸びしていいことをしたときにかけるもので。


 ハンバーグを作っているときにななちゃんが悪戯で写真を撮ったときも、お兄さんは「要らないって」と一蹴して。


 ……そしてお風呂上がり。

 私はななちゃんに言われたとおり、私が持っているパジャマの中で一番可愛いものを持ってきた。


 なのにお兄さんはまったく意識した様子もなくて。


 ……今日一日、楽しいという気持ちと悲しい思いが交互に押し寄せてきて、私の感情はぐちゃぐちゃになっていた。


「うぉお、あぶないあぶない、落ちるところだったぁ~」


 お兄さんがゲームをやりながら楽しそうに声を上げる。

 たぶん半分ぐらいは私を気遣って大袈裟にリアクションしてくれている。

 ……お兄さんはそういう人だ。


 どこまでも優しくて、どこまでも私を子ども扱いしている……。


 さっき、お布団の敷き場所を訊ねてきたお兄さんに、私は意地悪なことをしてしまった。


 一緒の部屋で寝たい――なんて言ったら、お兄さんはどんな反応をするのかが気になって。


 お兄さんは少し戸惑っていたけど、すぐにその、小さい子どもへ向けるような笑顔で快諾してくれた。


 ……それが、なんだかとっても悲しかった。


 ――あーちゃんみたいな可愛くて良い子がおにぃの彼女になったら最高でしょ?


 お風呂場での、ななちゃんの言葉を思い出す。

 思い出して、とても情けなくなった。


 ……今の私は、お兄さんのお眼鏡にも適っていない。

 そうだ。お兄さんはかっこよくて、絶対に女の人から人気なんだ。

 私なんかが下手な小細工を弄しても、振り向いてくれないに決まっているんだ……っ。


 徐々に卑屈な私が頭をもたげてくる。

 視界に映るゲーム画面はなんだか滲んで見えた。


「っ、安城さん?!」


「……へ?」


 突然、お兄さんのぎょっとした声が耳朶を震わせた。

 その声にびくりと震えると、つぅと頬を何かが伝っていた。

 コントローラーを置いて、手で拭う。


(ぁ、私、泣いて……)


 頬を伝う何かが涙であるとわかるや否や、一気にポタポタと溢れ出す。


「っく、ひぃ、っ、くぅ……んで、なんでぇ……」


 慌てて両腕で目元を覆って止めようとしても、堰を切ったように止まらない。


「大丈夫? なにか温かいものでも飲む?」


 お兄さんの優しい声が、嗚咽混じりに聞こえてくる。

 その声が、より一層私の涙を加速させていた。


「っ、……もし」


 恥ずかしさでいっぱいになった私は、わけもわからずに口走る。


「もし私がこのまま寝ちゃったら、お兄さんはお布団まで、運んで、くれますか……?」


「もちろん。……だから安心して泣けるだけ泣いた方がいい。泣き疲れちゃったらそのまま休んでいいから」


「――っ」


 私の質問をお兄さんはどう受け取ったのか。

 その返事はいつも通りの優しさに満ちていて……いつも通り、私を子ども扱いしていた。


 わかってる。怒るのは筋違いで、悲しむのも理不尽で。……だから、私の中からあふれ出るこの気持ちは、胸の中に仕舞っておくべきもののはずで。


 だけどもう、押さえつけられなくなっていた。


「っ、私はお兄さんにとって、ただのななちゃんの友だち……なんですよね」


「え?」


 お兄さんが困惑した声を零す。

 私は俯いたままただただ言葉を吐き出していた。


「私がお兄さんに女の子として意識してもらうことは、できないんですか……?」


「ええと、安城さん、さっきから何を……」


 お兄さんがあたふたとするのがわかる。

 私が何を言っているのか、何が言いたいのかわからないという様子で。


「そうだ、一旦落ち着こう。まだ安城さんのお母さんからいただいたケーキが残ってるから、それでも食べて――」


「――っ、お兄さんっ」


 立ち上がろうとしたお兄さんの服を掴んで引き留める。


 そうして、私は決定的な言葉を口にした。


「私、お兄さんのことが好きなんですっっ!!」


 言っちゃった、言ってしまった。


 私はお兄さんの服を掴んだまま、足下を見つめていた。


 沈黙が続く。

 世界が停まってしまったみたいな時間が流れて、私は耐えられなくなって顔を上げた。


「――っ」


 そこで、私はようやくお兄さんの顔を見た。


 お兄さんの顔は、困惑に染まっていた。

 いっそ拒絶と言っていいかもしれない。

 お兄さんは困った様子で、所在なげに私を見つめていた。


「ぁ、私、その、……ごめんなさい!」


「安城さんっ?! まっ――」


 私は逃げ出すようにしてリビングを飛び出すと、二階へ駆け上がる。

 そうしてななちゃんの部屋に飛び込んだ。


「! え、えぇ、あーちゃん?! ど、どうしたの?!」


 ベッドに飛び込むと、その反動でななちゃんが目を覚ます。

 困惑するその声を聞きながら、私はベッドのシーツに顔を押しつける。


 さっきは、わけもわからずに泣いていた。

 だけど今は、この涙の理由がわかる。


 私は、お兄さんにフラれたんだ。

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