第24話 奈々の想い
ご飯を食べ終えた私たちはそれからまた少しの間勉強していた。
その間にお兄さんがお風呂を入れてくれていたみたいで、勉強もそこそこに切り上げてお風呂に入ることになった。
ななちゃんとは別々に入るつもりだったのに、「一緒に入ろ」というななちゃんの声に押されて、私たちは二人で脱衣所にいた。
「あーちゃん何やってるの。脱いで脱いで」
「せ、急かさないでよぅ……」
堂々と一枚ずつ脱いでいくななちゃんに対して、私はのそのそと隠れるように服を脱ぐ。
ふと視線を感じて見れば、先に服を脱ぎ終えていたななちゃんが私をジーッと見ていた。
「っ、もう! 先に入っててっ」
「ごめんごめんって~」
ななちゃんは笑いながらお風呂場の中折戸を開けて中に入っていった。
ザバァンという水音が聞こえる中、私も服を脱いで脱衣かごに仕舞う。
それからようやくお風呂場に入り、かけ湯をしてから一緒に浴槽に浸かった。
「ふぁぁ……」
勉強もしたというのもあるけど、お兄さんとずっと一緒にいて肩肘が張っていたのか、湯船に浸かると同時に声が出る。
じんわりとした温もりが全身を包み込む。
……今日一日、楽しかったなぁ。
しみじみと感じていると、隣でななちゃんが呟く。
「あーちゃん、首尾はどう?」
浴室内でななちゃんの声はびっくりするほどよく響いた。
私はななちゃんの方を見る。
長い黒髪がお湯に浸からないように頭のてっぺんで纏めているななちゃんは、なんだかとても大人っぽく見える。
私はななちゃんの質問に首を傾げた。
「首尾?」
「もう忘れたの?! 今日のこれは勉強合宿の皮を被ったおにぃ攻略作戦ってことをっ」
「こ、攻略って言われても……」
「折角あれだけ一緒にいられたんだから、もうちょっとおにぃにアタックしないと。勉強の時だって、『もうちょっと近くで教えて貰って良いですか?』みたいに密着していけば男なんてコロッと行くに決まってるんだからっ」
「こ、コロ……っ?! お、お兄さんは違うもん! ……そ、それにそんなの無理だよぉ。私、いっぱいいっぱいで……っ」
湯船の水面をパシャパシャとしながら話すと、ななちゃんは深くため息を零した。
「あーちゃん、可愛いんだからもっと自信持って行かないと。心配しなくてもあーちゃんみたいな可愛い子にぐいぐい来られたら、誰だって好きになっちゃうって」
「お兄さんも……?」
「うんうん、絶対そうだよ。今はあーちゃんのこと女として見てないかもだけど、おにぃだって所詮は男なんだから、一度でもそういう目で見ちゃったらもうイチコロ。女の子同士の堅い絆に比べたらチョロいもんよ」
「ななちゃん、思想が漏れてる漏れてる……」
なんだか怖い笑みを浮かべているななちゃんに少し引いてしまう。
ななちゃん、アニメ見るとき女の子が会話してくるシーンに男キャラが割り込んできたらすっごく怒るからなぁ……。
それはそれでななちゃんらしい、と割り切りながら、ふと私は前々から不思議に思っていたことを聞いてみることにした。
「ねえ、ななちゃん」
「ん?」
「ななちゃんはどうして私がお兄さんと付き合え――仲良くできるように協力してくれるの?」
こんなにも真剣に色々とサポートしてくれている。
その必死さは、もしかしたら当事者である私よりも強いかも知れない。
私が訊ねると、ななちゃんは「んぅ~」と悩ましげな声を絞り出しながら、浴槽の縁に両腕を乗せる。
そうしてその上に顎先も乗せながら、浴室内を向いて呟くように言う。
「あたしが小学校に入学した年にお母さんが亡くなったって話はしたでしょ? それからさ、おにぃはあたしのことをお母さんの代わりに育てるんだーみたいな気概で面倒を見てくれたの」
ななちゃんの目は浴室の壁を見ている。
だけどたぶん、そこには別の景色が映っているんだろうなと、ななちゃんの声音から察した。
「おにぃが空手始めたのもさ、あたしが何かトラブルに巻き込まれたときに守るためなんだよね。本人は体力作りの一環だーとかなんとか言ってたけど」
「そうなんだ……」
「まあそんなシスコンのおにぃだからさ、小学校の時も中学校の時も学校が終わるとすぐに家に帰ってきて、友だちとはたまの休日に遊ぶぐらいでね」
ななちゃんは懐かしむように話す。
その声は、浴室内で悲しいほどに反響していた。
「当時のあたしはそんなこと気にしてもなかったんだよね。おにぃが家にいることが当たり前だと思ってたし、それが嬉しかった。だけど流石にこの年になると色々と考えちゃうんだよね……」
しみじみと話すななちゃんの声音には、どこか後悔のようなものが滲んでいる。
「今日さ、おにぃの部屋に入って思わなかった? 物少ないなーって」
「それは、ちょっとだけ思ったけど……。お兄さんらしいかなって」
「それね、あたしのせいなの。あたしが色々と物を欲しがる度におにぃが自分のお小遣いから出してくれたから、そのせいで自分の欲しい物を買うお金がなくて。お父さんに話したらお小遣い増やしてくれるだろうけど、そこはほら、あのおにぃじゃん? 言うわけなくてね」
ななちゃんはそう話しながら泣きそうな顔で笑った。
一連の話を聞いて私は思う。
お兄さんはお兄さんらしくて、ななちゃんはななちゃんらしいな――と。
微妙に空気が湿っぽくなったのを感じてか、ななちゃんが笑い飛ばすように言う。
「そんなわけでね、可愛い可愛い妹としてはおにぃには幸せになって欲しいなーって思ってるわけ。あーちゃんみたいな可愛くて良い子がおにぃの彼女になったら最高でしょ? だから手伝ってるのっ」
満足? とでも言いたげにななちゃんは胸の前で腕を組む。
お風呂で全裸だから、全然格好が付いていなかったけど、その感想は胸の中で仕舞っておく。
代わりに私は思ったことを素直に呟いた。
「ななちゃん、かわいいね」
「~~っ、な、なに急にっ」
「お兄さんのこと大好きなんだね」
「――――! あーもう! あーちゃんのくせに生意気だぞぉ! このこのぉ!」
「ちょっと、ななちゃん、あぶな、あぶ、も、揉まないでってばぁ」
「うるさいうるさいっ。おにぃなんてこのおっきな胸でイチコロなんだからっ」
「お兄さんはそんな人じゃ、だからやめ――っ」
さっきまでの真剣な空気はどこへやら。
浴室内に、私たちの笑い声が木霊した。
◆ ◆ ◆
「賑やかだなー」
静かになったリビングでのんびりとテレビを眺めていると、離れた風呂場から奈々と有栖の叫び声が聞こえてきた。
流石に何を話しているかまでは聞こえないが、その盛り上がりように苦笑する。
一体風呂場はどんな惨状になっているのやら。
そんなことを思った時だった。
不意に、今日俺の部屋で遭遇した光景を思い出してしまった。
あれは飲み物を取りに一度キッチンへ向かった時だった。
自室に戻ると、俺のベッドで奈々が安城さんを押し倒していたのだ。
流石の俺も叱るに叱れなかった。
だけどさ、あんな短い間でおっぱじめるかね、普通。
しかも兄貴の部屋で……。
二人が上手くいっていることへの安心よりも心配の方が勝った。
「~~~~~~! ~~~~!」
またひときわ大きな声が聞こえてくる。
悲鳴のようなその声は安城さんのものだろうか。
……もしかして、風呂場でもそういうことしてたりしないだろうな?
気が気でなかったが、流石に様子を見に行くわけにもいかず、俺は一人悶々と過ごしていた。
そうして三十分ほどして、廊下の方が慌ただしくなってくる。
どうやら風呂から上がったらしい。
リビングの扉が開いてほかほかと蒸気に包まれる二人が現れた。
「おにぃ、おまたせ~」
「おー。ちゃんと髪乾かしたか?」
「あとであーちゃんと乾かすって」
いつもの会話を挟みつつ立ち上がる。
二人は寝間着に着替えていた。
奈々はいつもの半袖短パンというラフな格好。
そして安城さんはピンクを基調としたシルク生地のパジャマを着ていた。
「お風呂、気持ちよかったですっ。ありがとうございました……」
頬を火照らせた安城さんが律儀にも頭を下げてくる。
俺はそれに笑いながら応対し、入れ替わるように風呂場へと向かった。
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