第23話 食卓

 買い物を終えて家に帰ると、奈々はアニメを見ていた。

 まだ四つほど入っていたはずのケーキボックスは残り二つになっていた。

 ……こいつ、あれからさらに二つ食べたのか。


「もう動けない~」と言ってソファで寝転がる妹を尻目に、俺は夕食の支度に取りかかった。


 米を洗っていると、安城さんがひょこひょこと顔を覗かせた。


「手伝います」


 予想通りの言葉に思わず噴き出すと、安城さんは「な、なにかおかしかったですか?」と狼狽える。

 そんな姿が一層可愛らしい。


「いいよいいよ。今日は俺の料理をご馳走するって約束なんだから。妹と遊んでたら?」


 そう言いながらリビングの奈々に視線をやると、いつの間にかテレビでアニメを見ていた。


「ななちゃん、アニメ見てるときに話しかけると怒るんです……」


「あー……わかる」


 何度邪魔しないでと怒られたことか。

 というか、それ安城さんにもしてたのか。

 この厄介オタクめ!


 内心で毒づいていると、安城さんが「あの」と遠慮がちに口を開く。


「それならお兄さんが料理するところ、見ててもいいですか?」


「別にいいけど……なんの面白みもないと思うよ?」


「だ、大丈夫ですっ」


 むんっと胸の前で拳を握る安城さん。

 まあ本人が良いなら良いけど。


 炊飯器に米をセットして、早速ハンバーグの下ごしらえに取りかかる。


 家庭科の調理実習で教わるとおりの手順で玉ねぎに切れ込みを入れていき、みじん切りにする。

 多少粗めの方が歯ごたえもあって美味しいだろう。


 そばで安城さんがパチパチと手を叩いてる。

 なんか照れるな……。


 それにしても玉ねぎが目に沁みる。

 冷蔵庫で冷やしておいた方がマシになるらしいが、生憎とその時間はなかった。


「ぁぅぅ……」


 泣き声のようなものが聞こえて脇を見れば、安城さんが涙目になっていた。


「大丈夫?」


「だ、だいじょうびゅでしゅ……」


 全然大丈夫そうに見えなかった。


 玉ねぎを丸々一個みじん切りにした後は、それを炒める工程に入る。

 フライパンに軽くサラダ油を入れて火にかける。

 温まってきたら今し方切った大量の玉ねぎを投入。


 シュワァァという音が広がり、俺は焦げないようにヘラで適度に炒める。


「玉ねぎって炒めるんですね」


 ふと安城さんが呟いた。


「そのまま挽き肉と混ぜるやり方もあるけどね。ただこっちの方が玉ねぎの甘みが出るから、俺が作るときはこのやり方」


「お兄さんは甘党、ですもんね」


 安城さんはくすりと笑いながら納得したように呟く。

 ……言われてみれば、俺がこの作り方をするのは甘いのが好きだからなのか。


 安城さんに気付かされたことに妙な照れくささを覚えつつ、「自分好みに作れるのが自炊の特権だからな」と嘯いた。


 しばらく炒め続けると玉ねぎに火が通ってきた。

 バットの上にあけて粗熱をとる。


 それから少し待ち、玉ねぎが触れるぐらいになって、ようやく本調理に取りかかる。


 ボウルの上に合い挽き肉と玉ねぎ、塩に砂糖にパン粉などなどを加える。


 三人前になると結構な量だ。

 そしてそれを、使い捨ての手袋をはめた手で混ぜていく。


「おにぃ、ご飯まだ~?」


「……お前あれだけケーキ食べたのにもう腹減ったのか」


 ソファで殿様のようにふんぞり返る我が妹に呆れつつ、タネを作っていく。


 全体をしっかり混ぜ合わせると、やがて全部の食材が均一にあわせっていく。

 そして徐々に粘りけも出てきた。


「よし、こんなところか。後はハンバーグの形に纏めて焼くだけだ。……がっかりしただろ?」


 自炊、といってもなんてことはない。

 切って焼くだけ。

 しかもハンバーグなんてその中でも簡単な料理だ。


 俺の料理をあれだけ楽しみにしていた安城さんにちょっと申し訳なく思ってきた。


 だが、安城さんは俺の言葉にぶんぶんと首を横に振る。


「そんなことないですっ。手際もすごくよかったですし、料理するお兄さんも素敵でしたっ」


「あ、ありがとう」


「~~~~っ」


 安城さんのお世辞にお礼を返すと、彼女は作業台の影に隠れてしまった。


「奈々のハンバーグにもチーズ入れて良いよな?」


「もちのろん」


 妹に確認してから、ハンバーグの成形を始める。


 男としては大きめのハンバーグに夢を見るところだが、万が一にも火が入っていなかったら怖いので、小さめのを二つずつ作ることにした。


 六等分にしたタネを手にとって形を整えていく。

 もちろん空気を抜くために左手から右手へ、右手から左手へ軽く投げながら。


「なんだか見てて楽しいです」


 いつの間にか復活していた安城さんがぽつりと呟いた。

 その眼差しはキラキラしている。


「……安城さんもやる?」


「っ、やります!」


 最早俺の料理とは、という感じではあるが、これだけ興味津々なのに放っておく方が酷というものだろう。

 安城さんにも使い捨ての手袋を渡し、隣で手本を見せながら一緒にハンバーグを作る。


「っと、……うんっと、こ、こんな感じですか?」


「そうそう、上手上手。あ、残りの三つにはチーズを入れるからまだそのままで」


 ちょっと安城さんの手にはタネが大きすぎたかもしれない。

 一生懸命に形を整える安城さんにエールを送る。


 まるで本当の調理実習みたいだと思っていると、突然前方からパシャリとカメラのシャッター音が聞こえて顔を上げた。


「何してるんだ、奈々」


「え~、楽しそうだから撮ってみただけ~」


 こちらにスマホのカメラを向けていた奈々をジト目で睨むが、にししと悪巧みが成功したみたいな笑顔を返された。


「心配しなくても後で送ってあげるから」


「要らないって。消せ消せ」


「え~ひど~い」


 もしかして牽制のつもりなのか……?

 だとしたら奈々は今浮かべている笑顔に反して内心でめちゃくちゃお冠ってことになるが。


 ……あの般若のような顔が脳裏をよぎり、背筋に悪寒が走った。


「っと、安城さん?!」


「っ、ぁ、ご、ごめんなさい……っ」


 ベチャ、という音がしたので隣を見れば、安城さんが成形していたハンバーグのタネが彼女の手から崩れ落ちていた。

 幸いすぐしたにはバットを敷いてあったので事なきを得るが。


「おにぃ、あーちゃんに謝った方がいいよ?」


「え?」


 なぜか奈々に怒られた。




 ◆ ◆ ◆




 色々あったがなんとかハンバーグは完成した。

 時刻は19時を回ったところ。

 食卓にはご飯と味噌汁、そしてもちろんメインのハンバーグが並んでいる。


 ハンバーグにはケチャップとウスターソースで作った簡単なソースをかけてある。

 付け合わせには冷凍のブロッコリーを塩ゆでしたもの。それからお昼の弁当でもよく使う小さいハッシュドポテト。


 本当に冷凍食品は便利だ。

 ……安城さんの望んだ自炊とは違うかも知れないがまあハンバーグは手作りだから。


 心の中で言い訳をしつつ、配膳が終わり、俺たちは席に座る。

 そうして全員で手を合わせた。


 箸をハンバーグの表面に沿わせて力を入れると、少しの弾力が返ってきて、すっと箸が通る。

 断面からはじゅわりと肉汁が出てきた。


 竹串で確認はしたが、ちゃんと中まで火は通っている。

 一口サイズに切り分けて口に入れると、暴力的な肉の旨味と玉ねぎの甘みが肉汁と共にじんわりと広がってきた。


「ん~、おいし~!」


 奈々は絶賛。

 果たして安城さんは……。


 妙に緊張しながら彼女の方を見る。

 安城さんは頬を押さえて蕩けるような笑みを浮かべていた。


「おいひいですっ」


「それはよかった。といっても、半分は安城さんが作ったものだけどね」


 ともあれ喜んでくれてよかった。


 もう一つのハンバーグにも安城さんは箸を伸ばす。

 断面からチーズがとろりと溢れてきて、「ふぉおお、伸びてる伸びてるっ」と奈々に見せつけていた。


(……なんか、楽しいな)


 二人を眺めながら、俺はふと思った。

 普段家で食事をするときはほとんどが妹と二人きり。

 それがいやというわけではないが、今のこの光景と比べるともの悲しいものはある。


 安城さんがいるだけで、こんなに食卓は楽しいものになるんだな。


 俺は胸中で安城さんに感謝していた。

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