第22話 スーパーにて

 勉強会を始めて二時間ほどが経った。

 三時のおやつ、というには少し遅いが、俺たちは休憩も兼ねて安城さんのお母さんがくれたケーキを食べることにした。


 ダイニングテーブルに皿を並べ、父さんが置いていった茶葉を使って紅茶を入れる。


 準備が整い、ケーキボックスを冷蔵庫から出した。


「うわぁ、おいしそ~!」


 テーブルの真ん中に置いたケーキボックスを開けると、奈々が覗き込むようにして歓声を上げる。

 箱の中にはモンブランやショートケーキ、チョコケーキやチーズケーキ、タルトやムースケーキなどなど。

 ……というか、めちゃくちゃ入ってるな。


「ママ、張り切ったみたいで……」


 俺が考えていることが伝わったのか、安城さんが照れくさそうに笑う。

 張り切るって、何で……?


 一層不思議に思いはしたが、美味しいケーキにありつけるならありがたくいただこう。


「あたしモンブランね!」


 言うが早いか、目にもとまらぬ早さでモンブランをかっさらっていく。


「安城さんはどれにする?」


 奈々の右隣にちょこんと座る安城さんに尋ねると、彼女はぶんぶんと首を横に振った。


「お、お兄さんがお先にどうぞっ。……このケーキは、お兄さんたちへの贈り物なので……」


 恐縮した様子で言われては選ばない方が申し訳ない。


 俺はもう一度ボックス内を眺め、「じゃあこれにしようかな」と言ってショートケーキを取り出した。


「お兄さんはショートケーキが一番好きなんですか?」


 安城さんが興味ありげに訊ねてくる。


「俺は基本甘いケーキなら何でも好きだけど、ショートケーキはお得感ない?」


「お得感?」


「ほら、イチゴがのってるじゃん」


 俺がそう言うと、安城さんは目を丸くする。

 それからくすりと笑った。


 ……なんだかちょっぴり恥ずかしいな。


「ええと、じゃあ私はこれで」


 安城さんはタルトにしていた。

 全員の取り皿の上にケーキがのったのを確認して、手を合わせた。


「いただきます」


 ショートケーキの先端部分を三角に切り取るようにフォークを入れ、一口サイズに切り取る。

 それをそのまま口に運ぶと、しつこすぎない生クリームの甘みとふわりとしたケーキ生地、そしてイチゴの甘みと酸味がほどよく口内に広がってきた。


「うまい……」


 思えば、ケーキを食べるのは随分久しぶりな気がする。

 甘い物が好きとはいえ、ケーキなんて誰かの誕生日ぐらいにしか買わないし。


 夢中になって食べ進めていると、ふと正面から視線を感じて顔を上げる。

 すると、安城さんがこちらを見つめていた。


「ど、どうかした?」


「っ、ぁ、ぃぇ……」


 俺が訊ねると、安城さんはパッと俯く。

 それから遠慮がちに顔を上げ、上目遣いのような目線を送ってきた。


「その、お兄さんは本当に甘い物が好きなんだな、って。お兄さんが喜んでたって、ママに伝えておきますね」


「……なんだかちょっと恥ずかしいな」


 そんなに喜んでいるように見えただろうか。

 妙な照れくささを覚えるが、嬉しそうに微笑む安城さんの笑顔を見てどうでもよく感じた。




「そういえばこの後買い出しに行ってこようと思ってるけど、安城さんは何が食べたい?」


 ケーキも食べ終え、紅茶を飲みながら団欒する中。 俺は安城さんに訊いていた。


「わ、私ですか?」


「うん。今日は安城さんにご飯をご馳走するっていう約束を果たすのも兼ねてるから。安城さんが食べたいものを作るよ。……作れるものにも限度はあるけどね」


 流石にレストランレベルのものを要求されたらお手上げだ。


 安城さんは「んぬぅ……」と可愛らしい声と共に悩んでいる様子だった。

 もしかしたら試験勉強よりも悩んでいるんじゃないか?


 程なくして、若干前のめりになりながら安城さんが答える。


「ハ、ハンバーグが食べたいですっ」


「ハンバーグ? ……わかった。じゃあ今日の夕食はハンバーグにしよう」


「お、お願いしますっ」


 思っていたよりも簡単な料理で助かった。


 ちらりと時計を確認する。

 時刻は17時。今から買い出しに行けばちょうど言い時間か。


「じゃあちょっと買い物に行ってくる。食器は流しに置いといてくれ」


 そう言って廊下に出ようとした俺を、安城さんが呼び止める。


「わ、私も一緒に行きますっ」


「え?」


「その……ご飯をご馳走になるのに、買い物まで任せるのは……その」


 前から思っていたが、安城さんは真面目なんだな。

 こういう細かいところを随分と気にしている。


「わかった。じゃあ一緒に買いに行こう」


「はいっ」


「奈々はどうする?」


「ん~」


 いつの間にか二つ目のケーキに手を伸ばしていた奈々が、フォークを口にくわえたままこちらを見る。


「あたしはきゅうけ~。いってら~」


 椅子に座ったままヒラヒラと手を振る奈々に見送られる形で、俺と安城さんは家を出た。




 ◆ ◆ ◆




 スーパーは歩いて五分ほどの場所にある。

 住宅街がほど近く、他の競合店は距離があるため、土曜日のこの時間は人でごった返していた。


 特売品に我先にと押し寄せる人垣から距離をとりつつ、俺は安城さんとスーパーを回る。


「ええと、挽き肉に玉ねぎにパン粉……あと牛乳も切らしてたな」


 冷蔵庫の中を思い出しながら食材を一つずつ手に取る。


「あ、そうだ安城さん。チーズは入れる?」


「! チーズインハンバーグ、作れるんですか?」


「もちろん。ハンバーグの形に整える時に中にチーズを入れればいいから。……じゃあチーズも買おう」


 チーズの必要性への返答は、彼女の態度を見ていればわかった。

 キラキラとした目で、ピンとつま先立ちしている。


 聞いたところによると、安城さんは学校で曖昧な立ち位置にいるらしい。

 健介曰く、天笠高校二大美女に数えられる安城さんは、その異名通り特に男子からの人気があるのだそう。

 ただ、その人見知りなところもあって話したいけど話せない、という存在になっているのだそう。


 もったいないな、と思う。


 なるべく彼女と関わらないようにしている俺が言えた話ではないが、こうして少ない時間を共にしているだけでもわかる。

 安城さんが取っつきにくいなんてとんでもない。

 本当はこんなにも表情で溢れているのに。


「……? お兄、さん?」


 食材を手にしたまま彼女を見ていたからか。

 安城さんがこてんと小首を傾げた。


 可愛らしいその仕草に俺は慌てて食材をかごに入れた。


「っと、さっさと買わないと遅くなっちゃうね」


 何かを誤魔化すように、俺は慌てて食材コーナーを巡る。

 パン粉も入れ、挽き肉も入れ、チーズも入れた。


「……あれ?」


 ふと立ち止まって後ろを見ると、そこにいると思っていた安城さんの姿がなかった。

 元来た通路を引き返しつつ彼女の姿を探していると、すぐに見つかった。


 彼女はお菓子コーナーにいた。

 ただし、小さな女の子と共に。


「安城さん……?」


 俺が声をかけると、彼女は不安げに顔を上げた。


「その、この子、お母さんとはぐれたみたいで……。一人で泣きそうだったから、声かけたら……」


 それだけで事情はわかった。

 女の子は安城さんのスカートを不安げに握っている。

 俺が食材を探し回っている間、安城さんはこの女の子を見つけたんだろう。


 遠くで特売セールを知らせる店員の声が響いている。


「たぶん、お母さんは今買い物中なんじゃないか? レジに並ぶときにははぐれたことに気付くだろうから、このままここにいた方がいい」


「そ、そうですよね。大丈夫だからね」


 俺には不安げな表情を見せていたが、安城さんは女の子に優しく声をかけている。

 その声に女の子はこくりと頷いていた。


 程なくして。

 レジカートを引いたお母さんが焦った様子で現れて、俺たちは何度も頭を下げられた。


 別に俺は何もしていないので妙に居心地が悪く、安城さんも照れくさそうにもじもじしていた。


 そうして食材を買い終えた俺たちは家への帰路につく。


 なんだかんだで色々と買っているとエコバッグに収まらなくて、レジ袋も一枚買ってしまった。


 重めのものを詰め込んだエコバッグを俺が、そして「荷物持ちますっ」と譲らなかった安城さんがレジ袋を持っている。


 安城さんは結構強情なところがある。

 自分がやるべきだと決めたことは、頑なに譲らないところが。

 それもまた、学校の皆が思い浮かべている彼女とは違ったところかもしれない。


 ……それにしても、と。

 俺はスーパーでの迷子の一件を振り返る。


 人見知りな彼女が迷子の子に話しかけるのには相当な勇気がいるはずだ。

 だけど彼女は迷わずに行動していた。

 俺に声をかける時間も惜しんで。


 隣を並んで歩く安城さんを眺める。

 ちょうど夕焼けが差し込むようにして、安城さんの亜麻色の髪を照らしていた。


「ぁの」


 不意に顔を上げた安城さんと目が合う。

 青い、綺麗な瞳。

 その瞳が不安なげに揺れていた。


「お兄さんは、やっぱり凄いです。……私、あの女の子に声をかけてから、どうしていいかわからなくて……もしかしたら当てもなく彷徨うことになってたかも」


「そんなことないよ。あの子は安城さんに感謝してるはずだよ」


「そう、でしょうか」


「絶対にそうだって」


 何をそんなに不安になっているんだろう。

 あの女の子を助けたのは間違いなく彼女なのに。


「安城さんは偉いよ」


 彼女を自信づけるためにそう呟くと、安城さんはむぅと頬を膨らませる。

 そうして俯くと、ぽつりと何かを呟いていた。


「……また、子ども扱い」


「うん?」


「なんでもないですっ」


 何かを誤魔化すように安城さんは一歩前へ出た。

 そんな彼女の背中がなんだか不機嫌に見えたのは、俺の気のせいだろうか。

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