第9話 妹みたい

 予想通りというかなんというか、電車内は混んでいた。


 長期休暇はどこもかしこも人の波。

 やはり休みは家でダラダラするに限るな。


 幸い人一人分だけ席が空いていたので安城さんに座ってもらった。

 終始遠慮がちな彼女と一悶着あったのは言うまでもないが、車内の混雑具合に、すぐに折れてくれた。


 俺は彼女の前に立ち、つり革に掴まる。

 こういうときは窓の外を移ろう景色を眺めるに限る。

 現代人は目を酷使しすぎだからな。

 少しは休めないと。


 一駅、二駅と停まるにつれて、また車内の人の数は比例するように増えていく。

 俺は一歩座席側に近付いて車内のスペースを確保した。


 不意に視線を感じて見下ろせば、安城さんがこちらを見上げていた。

 が、視線が合うや否や、またしても俯かれてしまう。


 まあ気にするなって言っても難しいよな……。


 俺は改札での会話を思い出しながら、密かに肩を竦めた。





 駅から目的の水族館までの道はよく整備されていた。

 その上、この駅で降りた人たちの目的地も同じため、人の波に沿っていけば迷うことはまずない。


 細々としつつも整然と並ぶ建物を抜けた先に、公園が広がっている。

 その公園を道なりに進むと、大きな建物が見えてきた。

 コンクリート張りの、無骨な外壁。その外壁には水族館の三文字が。


 ふとスマホの時計を確認すると、時刻は14時30分。予定通りだ。


「それじゃあ入ろうか」


「はいっ」


 チケットを事前に入手している俺たちは、チケット売り場の列をスルーして館内へ入る。


「イルカショーが一時間後にあるから、それまで適当に見て回ろう」


 俺がそう提案すると、安城さんはぱっと顔を上げた。


「調べたんですか?」


「そりゃあもちろん。ああでも、イルカショー以外をじっくり見たいって言うなら――」


「い、いえ、そういうわけではなくて……、イルカさん、見たいです」


「ならそうしよう」


「はい……っ」


 なんだか嬉しそうで良かった。


 館内は薄暗く、なんだか懐かしい気持ちになる。

 頼りない照明に歩く速度が緩まる。

 俺は安城さんとはぐれないように注意しながら通路を進んだ。


 俺たちを最初に出迎えたのは、川をモチーフにした水槽。

 細長い水槽の上部には岩やら草やらが装飾されている。

 当然、川をモチーフにしているだけあって、水槽にいるのは川の生き物だ。


「うお、でか」


 水槽に歩み寄って観察してみると、底の部分にぺったりと張り付く形でオオサンショウウオの姿があった。

 のっぺりとした体躯はしかし太く、大きい。何よりも腕を伸ばしたぐらいの体長は圧巻だ。


 俺が素直な感想を零すと、並んで覗き込んでいた安城さんも呟く。


「なんだか顔、可愛いですね」


「……まあ、そうだな」


 どうしてもデフォルメされたぬいぐるみとかに慣れていると、なんというか、実物はちょっとエイリアンっぽい気がして怖い。

 だがまあ好みは人それぞれだよな。


 オオサンショウウオはほとんど動かずに、水槽内に設置された岩の隙間を縫うようにして、他の個体と身を寄せ合ってのんびりと過ごしている。


 しかしこうして生き物を眺めると生命の神秘というか、地球のすごさみたいなものを朧気に感じるな。

 ……浅い。浅すぎるぞ俺。


 ひとしきり眺めた後に奥に進むと、壁一面をガラス張りにした水槽が待ち構える。

 そこにはオオサンショウウオ以外にもたくさんの魚が泳いでいた。


「あっ、この子ちっちゃくて可愛い……!」


 安城さんの視線を追えば、水中をぷかぷかとどこか頼りなく泳ぐ一匹の魚。

 しましま模様がなんともチャーミングで、ぴょこぴょこと尾びれを動かす姿は可愛らしい。


 入り口やここまでの道中はあれだけ混んでいたが、館内は思ったよりもゆとりがある。

 これならゆっくりと回れそうだな。


「あそこにもたくさん魚いるぞ」


「わっ、ほんとうですね」


 滝壺のようになっている場所の真下で魚たちが群れになってくるくると泳いでいる。

 安城さんはそちらに歩み寄ると、目を輝かせて眺め始めた。


 ……なんだかんだで、楽しめているみたいでよかった。


 そのことに安心しながら、俺もまた水槽を眺めるのだった。




 ◆ ◆ ◆




 次のエリアに向かうと、一気に明るくなる。

 というのもこのエリアは外になっていて、頭上から降り注ぐ太陽光の恩恵を授かっていた。


 2メートルほどの高さのある水槽内に陽光が降り注ぎ、キラキラと反射している。

 その大きな水槽内を、オットセイが優雅に泳いでいた。


「……っ!」


 安城さんが声にならない声を上げる。


「ふぁぁ……可愛い……速い……」


 蕩けるような眼差しをオットセイに向けている。

 ふと視線をあげれば、岩の上でまるでライオンみたいに堂々と佇んでいるオットセイもいる。


「ぁ、お兄さん、見てくださいっ。今あの子、手をパタパタって……!」


 水槽の内周を沿うように泳いでいたオットセイがくるりとこちらにおなか側を見せた。

 パタパタと、オットセイの手が羽ばたくように動く。

 それはまるでこちらに手を振るみたいだ。


「ぅぁぁ……っ、アザラシですよ! ずんぐりしてて可愛い~っ」


「こうしてみると結構違うもんだな」


 先ほどのオットセイのような手とは違って、アザラシはぴょこんと控えめに生えている。

 ずんぐりとした体型と相まってなんとも可愛い。


 オットセイもアザラシもどちらも甲乙付けがたい魅力があるな。


 一通り堪能した後、また館内へと戻っていく。

 青っぽく薄暗い照明の中、メインディッシュの一つとも言える大きな水槽が見えてきた。


 海の生き物が泳ぐその水槽は雄大で、眺めていると、本当に海の中にいるかのような錯覚を覚える。


 大きなエイや、魚。某絵本を思い起こさせる小魚の群れは圧巻で、俺たちは言葉を失っていた。

 見上げても、下を見ても、どこかしこに魚がいる。

 ゆっくりと優雅に泳ぐ魚もいれば、すばしっこく泳ぐやつも。


 多種多様な生き物の姿になんだか感動した。


 



 次のエリアはまた外に出る。


 そこには老若男女、あらゆる世代から絶対的な人気を誇る生き物がいた。


「ぺ、ペンギン……っ」


 白と黒の二色で構成された鳥の仲間。

 ふかふかの羽毛で覆われ、直立して歩く姿は他の生き物にはない魅力がある。

 何よりもそのつぶらな瞳とくちばしがなんとも可愛らしい。


 例に及ばず、安城さんはガラスに張り付く勢いでペンギンを眺める。

 大人ペンギンの隣には子どもペンギンもいて、反則的な愛らしさを放っていた。


「お、安城さん。向こうでご飯あげるみたいだぞ?」


 奥の方に人だかりができているから何事かと見れば、広々とした水槽内に飼育員の姿が見えた。


「見に行きましょうっ」


「もちろん」


 すっかり楽しみきっている安城さんに頬を緩める。


「……? どうかしましたか?」


 するとそんな俺を見て、安城さんが小首を傾げてくる。


「いや、妹と遊びに来たみたいだなって思ってさ。あいつと比べたら控えめではあるけど」


 奈々と遊びに行くとすぐに俺をほっぽり出してどこかしこに動き回る。

 そんな妹を探し回るのが出先での俺のルーティンだったりする。


「…………お兄さんのばーか」


「うん?」


 パッと顔を背けた安城さんが何事か呟くが、周囲の雑踏にかき消される。

 訊ね返すと「なんでもないですっ」とはぐらかされてしまった。

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