第8話 待ち合わせ

「おにぃ、おはよ~」


 ゴールデンウィーク二日目の日曜日。

 昨日よりも少し早めの時間――と言っても10時頃だが――に目を覚ました俺は、顔を洗ってからリビングに顔を出した。

 すると、ソファに寝転がりながらテレビに映るアニメを眺めていた奈々が顔を上げる。


「なんだ、いたのか。推し活はどうした」


 今日は安城さんと水族館に行く日だ。

 そもそもの話、奈々が推し活で忙しいと言うことで俺に白羽の矢が立ったわけで。

 当の奈々が家にいるなら俺が代わりに行く必要はないのでは……?


「あ-、うん。あたしも午後に出かけるからさ」


「昨日に続いて大変だな。お前、金はあるのか? 最近フィギュアを買って小遣いは使い果たしたはずだろ?」


「大丈夫大丈夫。最悪おにぃに借りればいいし」


「お前は兄の懐をなんだと思ってるんだ……」


 げんなりするが、昔よく妹の欲しがったものを代わりに買ってあげたりしていたから、自業自得なのかもしれない。

 甘やかしすぎた……。


「安城さんとの待ち合わせ前に昼飯は家で食べてくけど、奈々もいるか?」


「うん、お願い」


「はいはい」


 すでに視線はテレビ画面に戻り、手をひらひらとだけ振ってくる妹に返しながら俺はコップに水を注いだ。




 ◆ ◆ ◆




 安城さんとの待ち合わせは駅前に14時。

 少し早めの昼食を奈々と摂ってから、俺はシャワーを浴びた。


 適当に身なりを整えつつ、服を着る。


 リビングに入ると、奈々はいまだにアニメを見ていた。


「俺はそろそろ出るけど」


 そう声をかけると、奈々はアニメの再生を一度止めてこちらを向いた。

 それから「んぅー」と唸るような声を出しながら俺を凝視する。


 まるで値踏みするようなその視線に戸惑っていると、奈々は小さく頷いた。


「うん、60点」


「なにが」


「服、ふつーすぎるよ。もっとかっこいい感じじゃないと」


「いや別にちょっと遊びに行くだけなんだしいいだろ」


「はぁ~……」


 深いため息を吐かれてしまった。


 これはあれか?

 あたしの女と出かけるんだからそれ相応の格好をしなさいっていう惚気的なやつ?


 それは俺の配慮が足りなかったと一瞬思ったが、そこまで気にするぐらいならお前が一緒に行ってやればよかっただろと思い直す。


「まあいいや。待ち合わせに遅れないようにね」


「お前じゃないんだから大丈夫だ」


「ちょっと、それどういう意味?!」


「自分の胸に手を当てて考えてみろ」


「きゃーっ、セクハラだぁ!」


「どこが!」


 くだらないことを言い合いつつ、時間になったので家を出る。


 家から駅までは歩いて十五分ほど。

 集合時間よりも早めに行こうかと思ったが、あまり早く行っても気を遣わせるだけだろうということで、無難に五分前に着くように調整する。


 ゴールデンウィーク、それも日曜日ということもあって、駅に近付くにつれてどんどん人が増えていく。

 ……これは水族館も混んでいそうだな。


 不安に思いつつ、駅前に着く。

 時間はちょうど五分前。

 一旦到着したことを安城さんに知らせようとスマホを取り出したが、すぐに仕舞った。


 待ち合わせ場所のロータリー脇のベンチにぽつんと座る安城さんの姿を見つけたからだ。


「こんにちは、安城さん。待たせたかな?」


 駆け寄って声をかけると、安城さんはパッと顔を上げた。


「い、いえそんな……ちょうど今来たところですっ」


 普通そういうのは男が言うものじゃないか?


 そう思っている間に安城さんはベンチから立ち上がる。


「――っ」


 立ち上がったことで、安城さんの装いに意識が向く。

 普段はツーサイドアップに纏められている亜麻色の髪は、今日は背中に流れていて、耳の前に垂れた髪には綺麗な編み込みが施されていた。

 それだけで十二分に普段と印象が変わるが、彼女の服装がそれに拍車をかける。


 フリルのついた可愛らしい白のブラウスに、淡い桃色のカーディガン。

 ミントグリーンのフレアスカートはそれらの印象を綺麗に、そして爽やかに纏め上げている。

 肩から提げた小さめのショルダーバッグは斜めがけに。肩紐が豊かな胸部に食い込んでいた。


 髪型と相まって、普段よりも大人っぽい印象を覚える。


(というか、なんか安城さんの服装に見覚えがあるような……?)


 不思議に思っていると、安城さんがぽそりと呟く。


「今日のお兄さん、か、かか、かっこいいです」


「え? そうかな」


「は、はいっ。なんというか、すらりとしてて……」


 言われて俺は自分の服装を振り返る。

 黒のチノパンに白のシャツ、その上にデニムジャケットを羽織っているだけの普段通りの服装だ。


 こうして考えると奈々の60点という評価は割と妥当な気がしてきた。

 ともあれ、安城さんは妹ほど辛口ではないらしい。

 お世辞にも褒めてくれていた。


「ありがとう。安城さんも今日の服、似合ってるよ。とてもお洒落だね」


「~~っ、ぁ、ありがとうございます……」


「それじゃあ行こうか」


「は、はいっ」


 俺が歩き出すと、とてとてと安城さんが着いてくる。

 なぜか斜め後ろを歩き始めた安城さんに合わせて歩幅を緩めると、次第に横並びになっていく。

 ちらちらとこちらを窺うような安城さんの視線を感じて隣を見れば、パッと俯かれてしまった。


 ……緊張しているんだろうか?

 まあ成り行きとはいえ男と二人だもんな。

 それも年上の。


 とはいえ折角行くなら楽しんで欲しいし、俺も楽しみたい。


 先に改札を渡った俺は、後ろに続いた安城さんに振り返りながら言う。


「安城さん、今日は楽しもうね。なんなら俺のことなんて気にせずにさ」


「……そ、それはむりぃ……」


「え? なんて?」


「~~っ、お、お兄さんも、楽しんでくださいねっ」


「うん、もちろん」


 やっぱり安城さんは良い子だな。

 改めてそう思いながら、俺たちはホームへと向かった。

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