第5話 進展
「なっっっんにも変わってない!」
好きなもので埋め尽くされたあたしのお城(自室)で、あたしは胸の前で両腕を組み、仁王立ちしていた。
眼下には、正座で身を縮こまらせているあーちゃんの姿がある。
あたしはスマホを取り出してカレンダーアプリを起動すると、あーちゃんの眼前に突きつけた。
「もう四月も終わっちゃうよ?! なのにあーちゃん、まったくおにぃと進展ないじゃん!」
「そ、そんなことないよ……」
「そんなことある! あたしが折角何度も二人きりにしてあげてるのに、結局オープンスクールの話も何もできてないし。……あーちゃんが帰った後、あたしがどれだけおにぃに怒られてると思ってるの。その苦労を……っ」
おにぃとあーちゃんを二人きりにする作戦、『あたし不在作戦』は連日敢行していた。
学校のある日はあーちゃんにだけ先に家に向かわせて、送れてあたしも帰ってくるという戦略。
ただ一日だけおにぃの帰りが遅くて、あーちゃんを家の前で待ちぼうけさせるという事件があったりもした。
――それはさておき。
この作戦のデメリットは、おにぃから見たらあたしが友だちとの約束を忘れるやばいやつとして映ることだ。
実際何度も「友だちとかまぁほかにも色々あるが、そういうのは大切にしろよ」と怒られている。
……それにしたっておにぃの説教はどこか鬼気迫るものがあるんだけど。
何かを焦るような、心配するような、そんな感じ。
そんな尊い(?)犠牲を払っても、あーちゃんとおにぃの仲にこれといった進展がないときたら、流石のあたしも堪忍袋の緒が切れるってもの。
あたしが鼻息荒く糾弾すると、あーちゃんはおどおどと視線の彷徨わせつつ、か細い声で呟く。
「し、進展はあったよ?」
「……へえ」
「お兄さんとたくさん遊べて、お話しできて、……お兄さん、甘党なんだって。色は赤が好きで、部活には入ってないけど、運動も得意みたいで。あとあと、休日はのんびり過ごすのが好きで――」
「――知ってるわ! あたし妹だよ!?」
にへぇとした笑みと共にまるで惚気話をするかのように語り出したあーちゃんに突っ込みを入れる。
それすら意に介さず、あーちゃんの表情は緩みきっていた。
……ダメだ、この子。
あたしは軽い目眩を覚えて後ろのベッドに腰を下ろす。
「いい加減おにぃにオープンスクールのこと話しなって。今のところ何も言ってこない辺り、たぶん忘れてるんだろうけど、聞いてみないことには始まらないって」
「も、もうちょっとお兄さんと仲良くなれたら……」
「それ、一週間前にも聞いたって」
深くため息を零す。
このまま同じことを繰り返しても、何も進展がなさそうだ。
あーちゃんはあーちゃんでおにぃと話せる現状に満足している節はあるし。
だけどそんな現状を打開する秘策をあたしは手にしていた。
「あーちゃん、これみて」
「……? なにこれ……」
あたしは懐から取り出した封筒をあーちゃんに手渡す。
不思議そうにするあーちゃんに、あたしは得意げに告げた。
「水族館のペアチケット」
「えぇっ、どうしたの?」
「お父さんに買ってもらったの。おにぃには内緒で」
そう言うと、あーちゃんは不思議そうに小首を傾げる。
そう。今回はお父さんのサポートの下、完璧な計画を組み立てた。
名付けて、『ドキドキ水族館デート作戦』。
家で二人きりにいても変わらない現状を打破するために外で二人になれるよう立案した本作戦は、手前味噌だけど完璧だ。
「それ、あーちゃんにあげるから、おにぃを誘ってゴールデンウィークにデートすること」
「……え、ぇええええ?!?!」
目をぱちぱちと瞬かせ、あたしが言ったことを咀嚼するあーちゃん。
やがて理解が追いついて、あーちゃんは顔を真っ赤に染め上げると、家中に響き渡るような悲鳴をあげた。
◆ ◆ ◆
今日も今日とて、安城さんは日下部家に遊びに来ているようだ。
俺はリビングで学校の課題をこなしていた。
しかし安城さんも安城さんですごいよな。
あれだけ約束に遅れられても付き合い続けているなんて。
修羅場が繰り広げられることを想定していたが、予想に反して二人は仲良くやっている。
二人には二人にしかわからないことがある、ってことだろうか。
課題が一段落し、軽く伸びをしながらそんなことを考えていると、突然上から悲鳴のような声が聞こえてきた。
声からして安城さんだろうか。
その声を聞きながら、俺は妹が見ていたとあるアニメを思い出した。
タイトルは忘れたが、そのアニメの主人公である女の子はひょんなことから学校の女王様と称される生徒会長に気に入られる。
そして、毎日のように生徒会室に呼び出され、そこでいわゆる調教プレイのようなことをされるのだが――。
……奈々の部屋で何が起きているのかは、考えないでおこう。
何も見ていないし、何も聞いていない。
明鏡止水の心でいると、しばらくして階段を降りてくる音が聞こえてきた。
結構遅い時間だしな。そろそろ帰る頃合いか。
「おにぃ、いる?」
ひょこりと、リビングの扉を開けて奈々が顔を覗かせる。
そして、キッチンにいる俺の姿を認めてまた顔を引っ込めた。
なにやってるんだ?
廊下で何事か声がする。
奈々と安城さんが話しているらしい。
俺はキッチンを出ると、濡れた手を拭きながら廊下へ向かった。
「どうかしたか?」
俺が廊下に出ると、何やら二人は向かい合って話していた。
奈々が俺の方を向いてにやりと笑う。
「なんかあーちゃんがおにぃに渡したい物があるんだって」
「俺に?」
「うん。ほらっ、あーちゃん」
そう言って、奈々は安城さんの後ろに回ると、その背中を押した。
本人にとっては図らずも俺の前に立つことになり、あたふたとしている。
「ぅぇ、っと……」
もじもじと両手をいじりながら、ぎゅっと目を瞑り、口元を引き結んでいる。
なんだか俺が悪いことをしているような錯覚に襲われていると、安城さんはすぅーっと息を吸い込む。
そうして吸い込んだ空気を吐き出すようにして、まるで叫ぶように口を開いた。
「ぁ、あの、お兄さん。……その、水族館っ、一緒に行きませんかっ!」
「……え?」
突然の話に思わず困惑の声が漏れ出る。
そんな俺に捲し立てるように、安城さんは懐から一通の封筒を取り出した。
「こ、ここに水族館のペアチケットがあって……、それで、一緒に行けないかなって。もも、もちろんご迷惑だったら……」
「いや迷惑っていうか、奈々と行かないのか?」
言いながら奈々の方を見ると、ドヤ顔ともしたり顔とも判別できない、微妙にむかつく表情をしていた。
「いやー、あたしも行きたかったんだけどさぁ。ゴールデンウィークはちょっと推し活で忙しくて」
「お前なぁ……」
デートよりも推し活を優先するってマジか。
こいつことごとく安城さんに優しくねぇな。
「そ、それで、ペアチケットを無駄にするのも……もったいないので」
「なるほどな。それで俺に白羽の矢が立ったってことか」
こくこくと、安城さんが繰り返し頷く。
……どうしたものか。
俺の立場的には躊躇われるというか、難しいものがある。
「行ってあげなよ。おにぃ、どうせ暇でしょ?」
「おい」
悩んでいると、横やりを入れられた。
ていうかお前はいいのか。
あれだけ口酸っぱく挟まるだのなんだの言ってたくせに。
「安城さんは俺でいいのか? 他に友だちとか誘ったり――」
「わ、私、ななちゃん以外に友だちいないので」
「そ、そうか……」
なんとも気まずい空気になってしまった。
しかしまあ、そういうことなら一緒に行っても問題ないか。
妹のために手に入れたであろうペアチケットを無駄にさせるのは忍びないし、何より奈々公認でもあるわけだ。
一緒に水族館に行ったからといって、またあの般若のような顔で怒られることはないだろう。
……水族館も、久しぶりにちょっと行ってみたいしな。
そう結論づけて、俺は俯きがちな安城さんに微笑みかける。
「わかった、そういうことならご相伴に預かろうかな」
「っ、はい!」
よほど一人で行きたくなかったんだろう。
安城さんはにっこりと満面の笑顔を咲かせた。
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