第2話 奈々の決意
あたしがあーちゃん……安城有栖ちゃんと初めて話したのは、入学式の日のこと。
昇降口で割り当てられたクラスの教室に入ってすぐ、彼女の姿が目に入った。
亜麻色の髪に、青い瞳。日本人離れしたその容姿は、教室内で目立っていた。
周りが同じ中学出身の顔馴染みと談笑する中、あーちゃんはぽつりと一人で自席に座っていた。
どこか憂いを帯びたその表情。少し幼さの残る顔立ち。
これからの高校生活への期待と不安でいっぱいだった胸の中は一気に一つの感想で埋め尽くされた。
――か、かわいいいいいいぃぃいいい!!!!
え、人形じゃん。かわい、え、かわ、かわわっ!
ちょうど一人でいるみたいだし、高校でのモットーは親しい友だちを作ること。
早速話しかけようとあーちゃんの下へ歩み出したそのとき、
「あ、奈々。よかったこのクラスなんだ」
「私たちまた同じだね」
「今年もよろしくね~」
そんなあたしの行く末を、中学からの顔馴染みである女子数名に阻まれた。
その瞬間に、あたしの思考が切り替わる。
「あっ、皆もこのクラスなんだ。嬉しい~。改めてよろしくね」
オタクである自分を隠そうとしているうちに自然と染みついてしまった外面を貼り付けて、あたしは挨拶を返す。
結局その後は彼女たちに囲まれて、あーちゃんと話す機会は中々巡ってこなくて。
あたしは一人で過ごすあーちゃんのことを眺めるしかできなかった。
だけどその日の放課後。機会は思わぬ形で巡ってきたのだ。
忘れ物を取りに一人で教室に戻ったあたしは、教室の床に落ちているキーホルダーに気が付いた。
翼をモチーフにしたそれは、一見するとただのアイテムのように見える。
だけど――、
「ぁ、あの、それ私の……」
鈴の音のような声に振り返ると、そこにはあーちゃんが立っていた。
おずおずとあたしの手元のキーホルダーを指差している。
その瞬間、あたしは走り出していた。
「これ、あなたのなの?!」
「きゃっ……」
あたしは思わずあーちゃんの両手を手を掴み、捲し立てるように口を開いた。
「だってこれ、去年の夏アニメ、『神話世界に転生したら女神様たちに囲まれてるんですけど?!』の限定グッズでしょ?」
「ぁ、し、知ってるんだ」
怯えていたあーちゃんの瞳に光が宿る。
その瞬間にあたしは理解した。
彼女もまた、同志なのだと。
それからあたしたちはオタク話に花を咲かせる間柄――親友になったのだ。
◆ ◆ ◆
同年代でオタク趣味を語れる友だちができたら家に連れてくるのも必定。
ということで、この日あたしはあーちゃんを連れて家に帰った。
そそくさと階段を上がっていったおにぃのことを不思議に思いつつ、あたしは隣に立つあーちゃんに声をかける。
「それじゃ、あたしたちも部屋に行こっか。……あーちゃん?」
あーちゃんの方を見ると、彼女はおにぃが消えた階段をどこかポーッとした様子で見つめていた。
あたしが顔の前で手をヒラヒラと動かすと、ハッとしたようにあたしを見る。
「い、今の人が、ななちゃんのお兄さん……?」
「うん、そう。あんま似てないでしょ? よく言われるんだよね~」
笑いながら言いつつ、あたしはあーちゃんの反応に違和感を抱く。
おにぃのいなくなった階段を眺めるあーちゃんの表情はどこか嬉しそうで、同時に照れくさそうで。
友だちの兄を見ただけにしては、あまりにも複雑で大きな感情を抱いているようにみえた。
そしてあたしのその感覚は正しかったみたいで。
どこか熱に浮かされたような声で、あーちゃんは口を開く。
「ななちゃん。前に、私が人を探してるって話はしたでしょ?」
「あーうん。去年のオープンスクールで在校生の人に助けてもらったんだっけ?」
数日前にあーちゃんから聞いた話だ。
一人で高校のオープンスクールに参加した時、迷子になって困っていたところを在校生の男子生徒に助けてもらった。
そのときのお礼が言いたくて探している――と。
ただの思い出話にしては、それを語るあーちゃんの表情や態度はまるで推しを語るオタクのようで。
その在校生の人を好きになっちゃったんだろうなぁと、あたしは思ったものだ。
……あれ? なんで今その話を……?
不思議に思いながらあーちゃんを見る。
あーちゃんは、もじもじと両手の指を絡ませながら、恥ずかしそうに口にした。
「私を助けてくれた人、ななちゃんのお兄さん……」
「……え、えぇええええ?!?!」
友だちを家に連れてきたその日。
友だちの好きな人が実の兄であることをあたしは知るのでした。
◆ ◆ ◆
元々、あーちゃんを家に呼んだのはあたしの秘蔵コレクションを見せるためだった。
だけど衝撃的な話を前にそんなことはどうでもよくなり。
あたしは自室であーちゃんを問い詰めていた。
「つまりあーちゃんはおにぃのことが好きってこと?!」
「しっ、しーっ! き、聞こえちゃうよ……っ」
「ご、ごめん」
恥ずかしそうにするあーちゃんに、あたしはけろりと言う。
「でもよかったじゃん、探し人が見つかって。今からおにぃ呼んでこようか?」
「ま、待って。……その、やっぱりいいや。お礼、言わなくて」
「え? なんでなんで」
「私のこと、忘れてるみたいだから、突然言われても迷惑じゃないかな」
先ほどまでの熱に浮かれたような態度は鳴りを潜め、不安げな声音でそう呟く。
あたしはなんだか居たたまれなくなって、努めて明るい声を出した。
「迷惑なわけないって。あーちゃんみたいな可愛い子にお礼を言われたらおにぃもころりよ、ころり」
「こ、ころり……?」
「いいからいいから! ちょっと待ってて。――っと」
勇み足で部屋を出ようとしたあたしの前に、あーちゃんが立ちはだかる。
あーちゃんはなんだか泣き出しそうな顔をしていた。
「や、やめて」
「あーちゃん?」
「お兄さんに変に思われたりしたら、私たぶん、ななちゃんとも遊びづらくなると思う。……それはいやだよ」
「あーちゃん……」
あーちゃんの素直な想いが胸に沁みる。
恋をしたことがないあたしにはわからないけど、当人にとってはとても大切で繊細なものなんだろう。
推しに対する愛情とか、そういうのとはまた違った。
「……わかった。あーちゃんの意思を尊重する」
「ななちゃん、ありがとう」
「でもこのまま見て見ぬ振りもできない。だからあーちゃんがおにぃと仲良くできるようにあたしなりにサポートさせて? それならいいでしょ」
「――うん!」
満面の笑顔を浮かべるあーちゃん。
この笑顔を向けられる相手は、たぶんおにぃだけなんだろうなぁ。
そんなこんなで、その日の夜。
あーちゃんが帰り、あたしとおにぃは夕食を摂っていた。
早速、おにぃに探りを入れる。
さしあたってまずは、あーちゃんのことを覚えているかどうか。
「ね、おにぃ」
「ん?」
「あーちゃん、かわいいよね?」
ジャブ代わりにそう訊ねると、おにぃはなぜか固まった。
それから何かに怯えるみたいに視線を彷徨わせる。
「そ、そうかもな」
微妙な反応が返ってきた。
内心で首を傾げつつ、さらに追撃。
「あーちゃん、学校で結構目立ってるんだよね。かわいくて、ほら、日本人離れしてるから。一度あの子を見たら忘れられないんじゃないかな。ね?」
「そ、そうかもな」
まるでRPGのNPCよろしく同じ言葉を繰り返す。
ん~? これはおにぃ、あーちゃんのこと忘れてるのかな。
それにしたって何をそんなに怯えているんだろ。
疑問に思いつつ、攻め方を変えてみる。
「あーちゃん、また来たいって」
「そうか。よかったな、友だちができて」
「なにそのお父さんみたいな感想」
むっとしつつも続ける。
「それでさ、今日みたいにいきなり連れてくるかもだけど――」
「奈々」
突然、おにぃが真剣な表情であたしを見つめてきた。
「心配しなくても、というかそこまで警戒しなくても二人の邪魔はしないからな。俺は教えは守る」
「邪魔……? 教え……?」
「いいか、俺はお前の味方だ! 決して敵じゃないからなっ」
「味方……? 敵……?」
なにやらとんでもないすれ違いが起きているような気がしたけど、おにぃの鬼気迫る表情に気圧されて、こくりと頷き返していた。
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