百合に挟まりたくない俺は全力で妹の友だちから距離を取る。え? 好きなのは妹じゃなくて俺?!
戸津 秋太
第1話 男子、百合に挟まることなかれ
「なぁ
入学式から一週間が経ち、校内の浮ついた空気もある程度落ち着きを見せ始めたある日の昼休み。
俺が友人の
俺は内心で「またか」とため息を吐きつつ、場の雰囲気を白けさせないように対応する。
「お前らみたいな悪い虫は妹には近付けん。ほら、帰った帰った」
「ちっ、このシスコンめ!」
ひとしきりの笑いが生まれると同時に、俺にその気がないことが伝わったのか、一団は席から離れていく。
机を挟んだ対面で一連のやり取りを眺めていた健介が、購買名物のカレーパンを片手に笑いをかみ殺すように声を上げた。
「シスコンねぇ、あながち間違いじゃねえよな。な、
「うっせえ。どういう人間か知らない奴を妹に紹介できるわけねえだろ。ていうか、あいつらとの会話は今のが初めてだったぞ」
二年生に進級し、クラス替えが行われてからまだ一週間。
最初のホームルームで自己紹介の場はあったが、まだ全員と親しくなるほどの時間はない。
そんな中での初めての会話が妹の斡旋の頼みって時点で、妹に近付ける気は失せるってものだ。
「しかたないんじゃねぇか?
「……本当、男子高校生は飢えた獣かよ」
聞きたくない情報を耳にして俺は項垂れる。
俺の妹である日下部奈々は身贔屓を抜きにしても、とても可愛い。いや、かなり可愛い。
街に出れば百人中百人は振り返る整った目鼻立ちに、モデル顔負けのすらりとした体躯。
さらりと伸びた黒髪はその美貌と相まって大和撫子という言葉を想起させる。
おまけに家の外での妹は品行方正で八方美人。
そんなわけだから上級生下級生問わず、モテまくっている。
中学時代も今みたいに同級生から「妹を紹介しろ」と何度言われたことか。
もちろん冗談交じりに言われることも多かったが、大抵の場合はワンチャンねえかなみたいな下心が多分に含まれていた。
そのことごとくを一蹴してきたわけだが、同時に俺は心の中でこうも思っていた。
家でのあいつを知らないから紹介しろだのなんだの言えるんだ――と。
◆ ◆ ◆
一日の授業が終わり、生徒会での仕事も終えて帰路につく。
自宅までは自転車で十五分ほど。
閑静な住宅街の一角にある、二階建ての一軒家。
『日下部』とかかれた表札がかけられた門扉をくぐり、玄関の鍵を開ける。
「んはぁ~~~~!!!! ちぃちゃんとあ~たん可愛いよぉおおお、うぉおおおん!!」
「……何やってるんだ、お前」
家に帰ると、廊下で妹が奇声を発していた。
「あ、おにぃ。おかえり~」
壁際には段ボールの空き箱。
そこから取り出したのであろう二体のフィギュアに向かい、拝むように正座していた妹が振り返ってくる。
その表情はだらしない。生来の美貌で誤魔化せるレベルではないほどに、それはもう緩みきっていた。
「見て見て、ちぃちゃんとあ~たんのフィギュア! この二つを合わせると……ほら! ハグするの! うぁあああダメだよこんなの、エッチすぎる……!」
「いやそんな同志を見つけたみたいな顔で説明されても。ていうか自分の部屋でやれ、自分の部屋で」
呆れつつ、差し出された奈々の手元を見る。
黒髪の女の子と亜麻色髪の女の子のフィギュアはそれぞれ独立したものだが、なるほど確かに。手や腕、足の位置なんかが計算されていて、ハグができる構造になっていた。
「だって、部屋まで我慢できなかったんだもん……」
ぷぅ~と頬を膨らませて奈々はぶーぶーと言う。
家に帰ってすぐにこんな光景を見せられる兄の気持ちを考えて欲しい。
「ほら、箱とか持って行ってやるから部屋に行くぞ部屋に」
「さっすがおにぃ、助かる~」
ひょこっと立ち上がった妹はフィギュアを掲げたまま突き当たりの階段を上っていく。
俺は段ボール箱とフィギュアの空き箱を回収してその後ろについて行った。
『なな』のプレートがつり下げられた部屋の扉を開けると、異様な光景が広がっている。
八畳ほどあるはずの部屋の壁際には所狭しとショーケースが並べられ、その中には無数の女の子のフィギュアが飾られている。
天井には女の子が抱き合ったりキスしたりしているイラストが印刷されたタペストリーやポスター。
本棚には教科書や参考書を追い出すようにアニメのブルーレイボックスなんかが挿入されていた。
――そう。俺の妹は、重度のアニメオタクだった。
それもこの部屋の内装からわかるとおり、アニメの中でも百合アニメ――女性同士の恋愛を描いたアニメ――をこよなく愛する、超が付くほどの過激派百合オタクなのだ。
妹の奈々が百合オタに目覚めたのは今から四年前。
俺が中学一年生、妹が小学六年生の年だった。
当時から可愛いものに目がなかった妹は、雑貨屋で売っていた女の子のキャラのSDキーホルダーを購入した。
ただ可愛いから、という理由で手に入れたそのキーホルダー。そこに描かれていた女の子が百合アニメの登場キャラだと知ったのは、それから少しして。
そこから百合アニメ収集に走るのに時間はかからなかった。
ある日のことだった。
リビングで百合アニメを眺める妹に話を合わせようと、「へぇ、可愛い子たちだな」と言った時だった。
まるで般若のような顔で俺を睨み付けてきた妹は、絞り出すような声で告げてきたのだ。
「いい? おにぃ。女の子の間に割って入ろうとする男はそれだけで大罪なんだよ?」
「汚物、ううん、そう形容することすら憚られる世界の敵なんだからね?」
「可愛いだけの世界に男は不要。つまり何が言いたいかっていうとね」
「――百合に挟まる男は死すべし!!」
どうやら妹の逆鱗に触れたらしいと悟った時にはもう遅く。
俺はその時、ししおどしのようにカコンカコンと頷く機械と化していた。
可愛いって、言っただけなのにな。
ともあれ、こうして『百合の間に挟まる男を絶対に許さない』過激派百合オタクが完成したのだった。
そんな妹だが、学校では自身のオタク趣味を隠している。
頭の大部分が百合で占有されている妹からオタク趣味を取り上げた結果、品行方正、八方美人という外面が完成してしまった。
その容姿も相まって学校でできる人間関係は友だちというよりも取り巻きといった表現の方が正しいものばかり。
高校こそは親しい友だちを作る、なんて目標を密かに掲げていたことを知っている俺としては、少し、いやかなり心配していた。
「はぁああ~! このフィギュアに別売りの二人の匂いのする香水をかけたら……うぁあああ、これはダメ! ダメだよ! 何かしらの法に触れちゃうよぉ!!」
……やっぱダメかもしれないな。
そんな諦観混じりの俺の予想は、しかし、裏切られることになった。
◆ ◆ ◆
「ただいま。……奈々はまだか」
その週の金曜日。
家に帰ると、まだ妹の靴が玄関に並んでいないことに気が付いた。
部活に所属していない妹は、いつもは俺よりも帰るのが早い。
意外に思いながらキッチンでお茶を注いでいると、玄関扉に鍵を差し込む音が聞こえてきた。
「おー、今日は遅かったな」
廊下に出て、家に入ってくるであろう妹に声をかける。
予想通り、そこには奈々の姿があった。
「あ、おにぃ。ただいま」
「どうしたんだ、俺より遅いなんて珍しいな」
「いやぁ、色々あってね。あ、これあたしのおにぃ」
「ん? 何言ってんだ?」
急に後ろを向きながら俺を誰かに紹介しだした。
まさか、エア友だちという奴か。遂にそこまでいってしまったのか……?!
言葉を失っていると、奈々がそっと横に動いた。
そうして彼女の背後に隠れていた人影が姿を現した。
「ぁ、っ……」
現れたのは、人形のように可愛らしい女の子だった。
宝石のように輝く青い瞳が俺を捉え、ゆっくりと見開かれる。
何かに気付いたみたいに息を呑んだかと思えば、その拍子にツーサイドアップに纏められた彼女の亜麻色の髪がふわりと跳ねた。
(どこかで会ったことがあるような……)
俺は妹の後ろから現れた少女を見て、まるでナンパの常套句みたいなことを考えていた。
「この子、友だちのあーちゃん」
「と、友だち……?!」
さらりと告げられた衝撃の言葉に愕然とする。
そんな俺をよそに、紹介された女の子はおずおずと頭を下げてきた。
「ぁ、
突然のことに頭が真っ白になっていたが、すぐに平静を取り戻して頭を下げ返す。
「俺は日下部透。奈々の兄貴だ。よろしくな」
にこやかに微笑みかけると、彼女――安城さんはびくりと震え、また妹の影に隠れてしまった。
「もー、あーちゃんを虐めないでよ」
「そういうつもりはなかったんだけど……なんかすまん」
「ぁ、ななちゃん。その、私、虐められてないから……」
庇うように両腕を大の字に広げる奈々の服の裾を摘まんで、安城さんが俺を庇ってくれている。
しかしなんというか、小動物を連想させる雰囲気を持った子だな。
漠然とそんな印象を抱いた俺の脳裏に、以前妹が口にしていた言葉が駆け巡った。
『あたし、小動物みたいな子が好きなんだよ。ほら、可愛いし抱きしめたくなるでしょ?』
それは、百合アニメの推しについて語っていたときに口にした言葉だ。
俺の妹は可愛いものに目がない。
百合アニメでも、きれい系よりもかわいい系、もっと言えば庇護欲がそそられるようなキャラとそのカプを推している。
「あ~もうかわいい~! そんなにおにぃのこと怖がらなくていいからねっ」
「ちょ、ちょっと、ななちゃんっ。お、お兄さんが見てる……っ」
一連のやり取りを経て、奈々がぎゅーっと安城さんを抱きしめている。
安城さんは安城さんで妹の胸の中で苦しそうにもがきながら、しかしどこか楽しげに見えた。
それはまさしく、百合アニメで繰り広げられていた光景で。
妹の逆鱗に触れまいと日々を送る俺は、流石に察した。
この子は、ただの友だちではない――と。
……恋愛の形は人それぞれだ。
俺はそういうのに偏見はない。
当人たちが幸せならそれでいいじゃないか。
「俺は部屋にいるから、何かいるものがあったらニャインで送ってくれ」
「っ、ぁ……」
俺は妹たちにそう声をかける。
どこか呼び止めるように口を開きかけた安城さんをよそに、俺は二階への階段を上りながら心に決めた。
妹たちの邪魔をするのはやめよう。
奈々が告げていたように、百合カップルの間に挟まるような無粋な真似は絶対にするまい。
――そう、決めたはずだった。
◆ ◆ ◆
「ぁ、あの、お兄さん。……その、水族館っ、一緒に行きませんかっ!」
「……え?」
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