②第五節 あの日から1年

 二〇二二年九月、新型コロナウイルスのワクチンを接種してから一年が経った。

 九月何日にワクチンを接種したかは覚えていない。

 だが、覚えているのは、全く言うことをきかなかった身体のことだけ。

 私の身体は、ガンを克服こくふくしたものの、未だにワクチンの後遺症は残っていた。

 しかし、ワクチンの後遺症がしんどい、とはあまり思わず、ストレスがまるのがいちばんしんどかった。

 身体が言うことを聞かない、通院がしんどすぎる、これらも原因の一部ではあるだろう。

 だが、これが原因だとは思わなかった。

 「ひとりの時間」

 人間、ひとりで行動することも多い。

 なかには、ひとりで居るのがいちばん楽という人もいるだろう。

 しかし、私の場合は、ひとりの時間が苦痛なのだ。

 私は、幼少期も含め、何処へ行くにも、何かをするにも、必ず誰かと居ることが多かった。

 誰かと会話することが楽しいと思っているのもあるが、いつしか「ひとりで居るのはストレスがまる」と考えはじめるようになった。

 それともうひとつ。

 「本当に、ワクチン後遺症なのだろうか。」

 確かに何人かの医師からは、ワクチン後遺症だと診断された。

 ただ、一年も経つと、慣れもあるだろう。後遺症が原因のしんどさはどれだか分からなくなる。

 そして、自分自身が面倒になっていた。

 どういうことかというと、「生きる」という目的を見失いつつあるということだ。

 しかし、去年の自殺未遂みすいのような感じではないような気がするのも確かだった。

 どうなるのか、全然分からない状態、怖かったが、それ以上に辛かった。

 この時期に思い始めたことがある。

 「生きるなら治る、治らないなら死ぬ、早くはっきりさせてくれ。」と。

 私自身が治療を頑張れば、いつかは分からないが、治り、生きることができるだろう。

 前にガンは乗り越えた。克服こくふくした。

 だが、ガンを克服こくふくしたとしても、後遺症という高すぎる壁がある。

 四面楚歌しめんそか孤独こどくだと勝手に思い込んでいた。

 私は誰にも相談しようとせず、悩みを抱え込み、自分自身を苦しめていた。

 そのとき、ある言葉を思い出した。

 「頼るんだよ。」

 みんなが私に言ってくれた言葉だ。

 「今が頼るべきなのだろうか。」

 正直迷った。どのときが正しいのか。

 しかし、迷っていても何も始まらない。

 間違えても、それが経験になる。

 私は、みんなを頼ることにした。

 自身を殺さないように、自殺しないように、先々の友達との予定をたくさん入れた。

 これでもかというくらい、たくさん入れた。

 クリスマスや、大晦日の予定も、友達に無理を言って予定を入れてもらった。

 今思えば、「頼るってこれで正解なのか?」と思っている。

 早すぎる、強引だろうとも思った。

 けれど、みんなは「それでいい。やっぱり、たまにはわがままは言った方がいいよ。」と言ってくれた。

 友達に助けられている。

 実感は多くしているが、改めてそう思うことも多々ある。

 まだ、一歩を歩み始めただけ。

 進めるものは、前へ少しずつ進もうと思った。

 ここから秋を経て冬に入る。

 正気を保てるかが、私唯一の不安要素となった。

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