②第四節 闘病生活
八月十日、約一ヶ月半の長い夏休みが始まった。
その始まりと同時に、私の
翌日から、大阪府内の病院で入院をした。
入院はこれが二回目。だが、不安要素が消えることはなかった。
病気と
私の場合、約二週間ほどで退院はできる予定だ。
しかし、ガンは再発率が高いと言える。ゴールの光はまだ見えていないのだ。
ただ、幸いなことに、腫瘍はあまり大きくなかったらしい。
手術当日。
私は
「あつまれどうぶつの森」というゲームをご存知だろうか。
私は、このゲームに一時期ハマっていた。
あまりゲームはしない方なのだが、さすがに入院中はひとりのことが多かったので、家からゲーム機を持って来ていた。
そして、そのゲームをすると、私自身とてもリラックスが出来たのだ。
午前十一時頃だっただろうか、手術室へ向かった。
多分、不安の方が大きかったのだろう。
「ちゃんと成功するのかな…?」
医師の皆さんを信じていなかった訳ではないが、人がやっている以上、失敗もある。
プロであっても、誰であっても失敗はつきものだからだ。
失敗するというのは、手術ではダメなことだとは思う。
だが私は、「まぁ大丈夫だろう」という言葉を強制的に頭の中で変換して、手術室へ入った。
全身
「そんなまさかねぇ〜」と思っていた。
疑わしかった。だが…。
起きたら終わっていた。そのまさかだったのだ。
意識が
強制的に四時間ほど寝ていた、ということだ。
今思うことを言うと、
むしろ嫌いな方だった。
意識が
けれど、手術は無事に終わったらしい。それはそれでよしと思えた。
地元の友達がお見舞いに来てくれた。
新型コロナウイルス感染防止のため、当然病室内には入れなかったが、それでも来てくれたのだ。
「食べやすいように」と私の好きな
その後、電話が来て言われた言葉は「病気になんか負けたら、殴るからな」だった。
彼なりの
多分、私が入院生活に疲れていたのを気づいていたのだろう。
手術も終わってから二日しか経っていなかったのもある。
ただ、ひとつ言いたいことがあった。
「まだ、フルーツ食べれないよ?」
そう、体調が優れなかったこともあって、食事制限があった。
糖分は
申し訳ないと思ったので、
今考えれば、ダメだとは思うし、馬鹿だとも思う。
その後、結局見つかってしまったが、説教はされなかった。
とてもホッとしたのを覚えている。
退院の日を迎えた。
夏休みだったこともあり、ひとりで帰路に着いた。
LINEを見ると、みんなから「おかえり!」や「退院おめでとう!」などのメッセージが来ていた。
もちろん、
それだけで、
みんなも忙しいだろうし、迎えはいらなかった。
ガンをひとまず乗り切った、ということが私の二つ目の
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