②第三節 幻聴と幻覚の悪化、原因判明
六月に入り、梅雨の時期になったことで、雨が降ることも多くなっていた。
私にも大雨が降るような、ある異変を感じていた。
遊びに行った先で、急に過呼吸になったり、泣き出したり、頭を抱え出したりすることが多くなっていった。
さらに、音や視界に入るもの全てが苦痛になっていた。
『友達と会いたい』という強い想いから、かろうじて外出はできていた。
しかし、通学として使っている電車の車内がいちばん苦しかった。
カラオケなどの密閉空間がダメだった経験もあり、多分逃げ道がない、ドアが閉ざされている場所がダメなんだと思っていた。
そのため、快速電車を使えば四十五分で大学を行き来できていたが、わざと各駅に停車する普通電車を使い、一時間三十分かけて通学・帰宅していた。
普通電車を使えば、密閉空間になる時間が快速電車と比べて短く、気持ち的に楽になっていた。
通学・帰宅のとき、隣にはほぼ必ず
受講科目の関係上、頼ることができ、私の状態を知っている友達が二人しか居なかった。
なので、二人に私の状態は
しかし、私が苦しんでいることに気づいていたのだろう。
涙目になっていたこともあったという。
そのときは、優しく背中をさすってくれたりした。
「大丈夫だよ、大丈夫。」
「またひとりで抱え込んじゃってるよ。私たちがいるじゃん、ひとりで抱え込まないで。」
様々な言葉をかけてくれた。
このときの私は「なんで、こんな私に、心体か弱い私に対して、気にかけてくれるのだろう。優しくしてくれるんだろう。」と思っていた。
これらのことは、東京に居る
「
このような心配しているであろういろんなメッセージが来ていた。
しかし、私の中の
私は友達に迷惑をかけていると思っていた。
そのため、大学で友達に会う回数が次第に少なくなっていった。
違和感を持っていた私は、地元の市立病院へと行き、精密検査を受けた。
数日後、内科の医師に呼び出された。
診察室に入ったとき、窓から明るい日差しが入ってきたのを覚えている。
「前みたいに異常なしだろう」と勝手に思っていた。
医師が重い口を開く。
「肝臓に
私は放心状態になった。
医師の話はあまり聞こえてこなかった。
何もない、異常なしだろうと思っていた。
頭をよぎったのは、『みんなに心配をかけたくない』だった。
私は「治療しなければ、何年ほど生きれますか?」と聞いた。
医師は「元気でいれるのは二年ほど。」と答えた。
あと二年……か。
医師からは治療を勧められたが、私は拒否した。
私自身のことではなく、両親や友達のことを考えていた。
私は、ひとつの爆弾を背負い、生きていこうと思った。
しかし、次の日に大学へ行くと、
それに対して、私は「いや、なにもないよー。」と答えた。
でも、心は正直なものだ。
隠すのがとても辛かった。
私は莉香にだけ、ガンのことを話した。
最近、精神や体調が悪く、両親や友達に内緒で病院を受診したこと。
その受診結果が『肝細胞ガン』という最悪の結果だったということ。
そして、このことを
「死ぬのかな……。」
治療拒否した奴が何言ってるんだと思うが、このときの私は、両親や友達のことを考えすぎて、死に対して何も考えれずに居たのだろう。
私は、このとき初めて怖くなった。
普通なら、「簡単にそんなこと言うな!」ってなるだろう。
でも、この言葉は、この子なりの
「ありがとう……。」この言葉しか出てこなかった。
後日、
この言葉には反論できない、事実だから。
四人とも、このことは受け入れてくれた。
そして、「ちゃんと治療しよ!」と同じことを私に伝えた。
「生きてほしい」とも言われた。
こんな弱い奴に生きてほしいって言われるとは……。
友達の
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