①第三節 人生の分岐点

 二〇二一年十二月二十一日、ワクチン後遺症と診断されてから、三ヶ月が経っていた。

 この日は後遺症の症状も少し落ち着いていて、珍しく朝からある程度の自由が効く状態だった。

 でも、ひとつだけ違和感があった。

 あの日、最高気温が10℃もなく、極寒だったのにもかかわらず、自身はあまり寒く感じなかったことだ。

 しかし、天気は快晴、気分も好調に近い。

 寒空の下、私は高校へ行くため、気分良く駅へと向かった。

 この時の私は、清々しい日から最悪な日になるとは、思いもしていなかったのだ。


 この日は高校の終業式があった。

 年末ということもあってか、校内はクリスマスや大晦日の話題で賑わっていた。

 このときの私は、クリスマスや大晦日などの行事に全く興味がなかった。

 いいや違う、考える余裕がなかったのだ。

 後遺症とどう向き合うか、症状を緩和させる方法は…。そんなことばかり考えていた。

 ホームルームが終わると、すぐに帰ろうとした。

 この後、悪夢が待っていると知りもせずに…。

 悪夢は高校を出て、最寄りのバス停へ向かう途中で起きた。

 高校の正門からバス停へ向かう際、少し急な登り坂がある。

 その坂を登りはじめたくらいのことだった。

 突然、背中に激痛が走った。

 まるでずっと電気が流れているような、今まで経験したことのない痛みだった。

 前後から胸辺りを押し潰されている感覚になり、呼吸もしづらくなった。

 私は道路の真ん中に膝をつき、悶絶もんぜつしたような状態になった。

 「…………。」

 呼吸ができない。やばい。

 誰か呼ばないと、でも手が動かない。

 私の目に映っていたのは、波打つ道路と建物だった。

 私が通っていた道は閑静かんせいな住宅街。日中は、ほとんど地元の方を見ることがなかった。

 終わった、覚悟を決めたほどだった。

 「…………。」

 五分程度だったと思う、激痛は過ぎ去った。

 『あの激痛は何だったのだろうか』…と思いながら、汗だくになっていたので、ハンカチで顔と首の汗を拭き取った。

 そして、ゆっくりと立ち上がり、再びバス停へと向かいはじめた。

 しかし、私の記憶はここで途切れている。

 今でこそ思い出している部分もあるが、思い出せていない部分はとある二人から聞いた。

 ただ、唯一初めから覚えていることがある。

 それは、私の中で何かの『糸』が切れたことだ。

 今思えば、この時の私はそれくらい追い込まれていたのかもしれない。


 帰宅後、制服から私服に着替えて、すぐ家を出て行った。

 多分、十分も経っていないと思う。

 最寄駅から電車に乗り、とある場所を目指した。

 辿り着いた場所は、近くにショッピングモールがある広い公園。

 遊具や広場では、子供たちが元気に遊んでいた。

 私は、公園内にあるベンチに腰掛け、ある二人の友達へLINEを送った。

 ひとりは、㮈結なゆだった。私の話を聞いてくれたのもあり、感謝を伝えたかったのだろう。

 もうひとりは、堀川ほりかわ舜吾しゅんごだ。

 舜吾しゅんごとは同じクラスでいちばん仲が良かったのもあり、送ったのだろう。

 メッセージの内容はこうだった。

 「もう限界です。生きる力もなく、どうして良いかも分からない。だから、死のうと思います。さようなら。」

 私は自殺しようとしていた。

 生きる気力を完全に失っていたのだ。

 私の所持物はスマホ、百十円のみ。

 スマホは、メッセージ送信後に電源を切り、どこかのゴミ箱に捨てようと考えていた。

 百十円はショッピングモール内にある百円ショップで自殺用の包丁を買うために持っていた。

 「はぁ。今日で終わりか。長いようで、短かった人生だったな。」

 私は、これまであった思い出の振り返りをしていた。

 子供たちの元気な声が公園全体に響き渡る中、私のスマホに一件の着信が入った。

 電話の相手は、舜吾しゅんごだった。

 私は電話に出る気力もなかったため、何度も着信拒否した。

 しかし、何度もかかってくるため、その電話に出た。

 出た瞬間、聞こえてきたのは「あんた、何考えてるの!」だった。

 舜吾しゅんごは、相当怒っていたと思う。

 ただ私の脳内には「もう、いいんだよ」という言葉だけが浮かんでいた。

 無言の時間が数十秒続く。

 その後、舜吾しゅんごは「今からダッシュで行くから、待ってて。絶対死んだらダメだよ。」と言い、電話を切った。

 その直後、LINEに一通のメッセージが来ていることに気づいた。

 㮈結なゆからだった。

 「待ってて。絶対に涼泰りょうたのところ行くから。」

 それに対し、私は「待てるか、わからない…。」と返信した。

 返ってきたメッセージには「分からないじゃない。待つんだよ。絶対行くから。」と書いてあった。

 私が「わかった…。」と返信すると「はい。」と返ってきた。

 多分、㮈結なゆも怒っていただろう。

 今となれば、二人が怒るのも当然なんだろうと思う。

 ただ、ひとつ問題点があった。

 私が公園にいることは、二人へ伝えていなかった。

 「行くから、って。場所言ってないのに。来るのかな…。」

 でも考えてみると、二人とは位置情報共有アプリで繋がっている。

 そのため、私がこの公園に居ることは分かっていたらしい。


 少し時間が経ち、時刻は午後五時。子供たちは帰宅し始める時間だ。

 公園内が静まりかえろうとしていたとき、遠くから舜吾しゅんごがこっちへ走ってくるのが見えた。

 舜吾しゅんごの片手にはコーヒーカップ、コンビニに居るときに私からのメッセージを見たらしく、慌てて来てくれた。

 「涼泰りょうたー!大丈夫かぁー!」

 舜吾しゅんご何故なぜか笑顔だった。

 私は「大丈夫だよ」と返事をしたが、内心は「なんでそんなに笑顔なの。」と思っていた。

 舜吾しゅんごは私が腰掛けていたベンチに座った。

 「涼泰りょうた、気づけなくて、本当にごめん。」

 私は動揺どうようしていた、なぜなら怒られると思っていたからだ。

 「なんで……謝るの……。謝るのは、俺の方なのに。」

 君が謝るのは違う、私が迷惑をかけたんだ。

 君は何も悪くない。

 全て伝えたかった。

 だけど、私にはそんな体力も、気力も、全てなかった。

 口は思うように動かず、ただ空に浮かび始めた月をながめることしかできなかった。

 

 太陽が沈み、夜になると公園内は閑散かんさんとしていた。

 遠く離れた公園の入り口から、こちらへ歩いてくる人影が見えた。

 㮈結なゆだった。

 「来てくれたんだ。怒ってるだろうな。」

 そう思った後、私と舜吾しゅんごの前で立ち止まり、言った言葉は、「死んでなかった…。よかった…。来るの遅れてごめんね。」だった。

 舜吾しゅんごと同じで、謝ったのだ。

 違う。謝るのは、君たちじゃない。私なんだよ。

 それでも、やっぱり口は動かない。

 私は、どうすればいいかも分からず、自殺という本来の目的すらも視界から消えていた。

 

 気づけば、二人が楽しそうに会話をしていた。

 私は放心状態だった。

 楽しそうな会話は、私をはげまそうと、なぐさめようとしてくれていることからだというのはなんとなく伝わっていた。

 だが、内容は何も頭に入ってこなかった。

 何も考えたくなかった。

 助けに来てくれた二人に対しても、どうすればいいか分からなくなっていた。

 二人はなにかを察したのか、数分沈黙ちんもくが流れた。

 『涼泰りょうたは放心状態で、涙目になり、沈黙ちんもくを保っていた。』

 思っていたよりも『相当危険な状態』にあると、二人は思ったらしい。

 私の状態が良い方向へ向くまで、自殺する可能性がなくなるまで、ずっと、二人は私のそばに居てくれた。

 一時間経ったくらいだろうか、ようやく口の自由が効くようになった。

 多分初めてだろう。友達の前で弱音を吐いた。

 耐えれなかったのだろう、立て続けに出てくる弱音の数々。

 今思えば、情けない姿を見せてしまったなと思う。

 それなのに、二人は黙って、その話を聞いてくれた。

 否定はしてこなかった。何も言わず、ただうなずき、聞いてくれた。

 だが、涙は出なかった…。なぜだろう。

 

 私が公園に来てから四時間くらい経っただろうか。

 辺りは街灯のみが夜道を照らす中、帰路に着くことにした。

 正直、自我は保ててなかったと思う。

 無理をすれば、自殺の方へと戻ってしまう感じがした。

 それをわかっていたかのように、二人は私を駅まで送ってくれた。

 ゆっくり、楽しげな会話をしながら…。

 私は家へと帰った。

 家族には内緒にした。普通に振る舞っていた。

 また、普通の日常に戻った。

 だが、違う点がある。

 それは、逃げ道。つまり、もう辛い思いをしなくていいんだという安心感があるということだ。


 最悪な日と最初に言ったが、今その日を振り返れば、大切な日だと、そういう想いもある。

 その大切な日になったのには理由がある。

 それは、助けに来てくれた二人が私にかけてくれた、ひとつの言葉にあった。

 「ひとりぼっちじゃないよ、私たちがいるよ」

 今でも私の支えになっている言葉だ。

 悩みの中で孤独こどくだった私が解放された、何重にもかかっていたくさりのカギとなったのだ。

 「人生の分岐点」という言葉は、こういう時に使うべきではないかと思った。

 そして、不明だった私の中の『何かの糸』。

 今は、『精神の糸』と呼んでいる。

 現在、十二月二十一日は三人で集まる、集まれなければ電話をし、楽しく騒ぐ日になった。

 私の中では、過去の出来事が水の泡に流れたような感覚になっている。

 最悪な日とは、もう無縁の言葉になっている。

 だって、あの出来事がなければ、私は生きていないと思うから。


 この『自殺未遂じさつみすい』と、二人の『命の恩人』から、あるひとつのことを教えてくれた。

 『友達とは、かけがえのない大切な存在である』

 これは当たり前のことだと思う。

 だが、このときの私には周りが全く見えていなかった。

 自殺しようとした今回も、友達や周囲のことを全く考えず、行動してしまった。

 友達を困らせ、迷惑をかけてしまった。

 教えてくれた、気づかせてくれたこともあり、命を救ってくれた二人への恩は一生忘れることはないだろう。

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