悪属性少女と最初の授業 1

 入学式はまあ、特筆することもなく。

 印象に残ったのは、白鬚を蓄えた学院長の言葉くらいだ。

 曰く──


『イストワールは智の殿堂。倫理や道徳を教える場ではない。教鞭を執る我らは指導者や教育者ではなく、研究者であり求道者である』


『よってここで諸君が何を得ようと、あるいは喪おうと、我らは関知しない。只、叡智の追求のみが優先される』


『その過程で外道に落ちようが魔道に堕そうが、諸君の自由だ。校則の類は存在しない。好きにしたまえ』


 とのこと。

 どうやら毎年死者が出るというのは、単なる噂ではないらしい。聖女フィオーネ様の理想はどこへやら。

 学院側がこのスタンスだから、五大マフィアが幅を利かせているのだ。教師たちも多分、わかっていて放置している。善悪なんて心底どうでもいいのだろう。

 お前ら全員『聖女フィオーネ言行録』を頭から読み直せと言いたい。言ってやりたい。


 式典の後は、学級ごとに別れて教室に入り、ホームルームが始まった。ちなみに、カテナたち従者組は一足先に寮へ。


「じゃ、まあ、適当に自己紹介でもしてくれや。名前と属性と、あとはいい感じに。そっちの端から」


 担任の先生は──なんというか、やる気なさそうな感じの中年男性だった。

 ここ最近、憧れが壊れるようなものばかり目にしている気がする。

 順番に自己紹介が始まった。

 男女比率は6:4で女子多め。これは一般に、女性の方が魔法が得意だからだ。


「エステル・フラン。属性は【水】。グラスランド北部からやってきました。将来は魔法医になりたいです。田舎者だけど、仲良くしてくれたら嬉しいなっ」

 

 ふわっと花が咲くような笑顔。何人かの男子がぽーっとなっているのが見て取れる。わかるよ。あの子は絶対モテるタイプだ。

 私の番がやってくる。


「グラスメリア・カルツォーネ。属性は【火】。将来は──は、佩剣騎士になりたいって、思ってます。その。よろしく、お願いします……」


 うん。

 まあ、ちょっと最後声が消え入りそうな感じだったけど、悪くないんじゃないか。


「アイツが噂の……」「火の序列一位、【華焔】のミランダ先輩に気に入られたっていう……」「あの人、マフィアの一員なんでしょ?」「いったいどんな手を使ったんだ……」「ちょっと可愛いけど、関わるのはやめておこうぜ」


 ダメだ。すでに悪評が蔓延している。どんな手も何もないよ。タダのコネだよ。言えないけどさあ!

 周囲が私にドン引きする中で、異色の反応を示す女の子が二人。

 一人は、こんな私に笑顔で拍手を送ってくれる天使の化身、エステル(大事にしたい)。

 そして、もう一人は──

 アリアドネ・コーデリア。

 彼女は琥珀色の瞳をすがめ、まるで骨董品の真偽を確かめる商人みたいな目で、じっと私を見つめていた。


 彼女の番がくる。

 銀髪を揺らしてアリアドネさんが立ち上がった瞬間、ぴたりと教室のざわめきが収まった。

 彼女はあまりにも特別だった。


「アリアドネ・コーデリア。【光】属性」


【光】、のひと言で学級全員が息を呑む。

 しかしそれを気にした風もなく、アリアドネさんは淡々と続けた。


「将来の夢は、佩剣騎士として、五大マフィアの頂点である『影の王』全員を処刑台に送り込むこと。以上」


 全員が絶句していた。

 大陸を裏から牛耳るマフィアのことは、いわば公然の秘密だ。誰もが知っていて、誰もが知らないフリをしている。誰も彼らに逆らおうとはしない。

 正義を司る佩剣騎士でさえ、戦うより手を組むことを選ぶ。


 そんなどうしようもない世界の中で、何一つ躊躇わず、無謀な正義を口に出す彼女は、愚かしくて、滑稽で、無分別で子供じみていて──

 それでもやっぱり私には、どうしようもなく輝かしく見えたのだった。


 ……いや、うん。

 今の、「お前の親父をギロチン台へ送ってやるぜ」宣言なんだけどね……。

 ちょっと憧れるけど、やっぱり近づくのはやめておこう。

 そんなことを考えていた。このときの私は、まだ。


  †


 初日はホームルームだけで終わり。寮は二人部屋で、カテナと相部屋だった。従者持ちだとそうなるらしい。これならコミュ力に難のある私でも安心だ。

 けれど、成績のほうは順調とは言い難い。

 座学はまだいい。実家で家庭教師に教わっていた内容だから問題ない。元々勉強は嫌いではないタチだ。


 問題は、実技だった。

 魔法の。


「グラスメリア。グラスメリア・カルツォーーーネ!」


 実践魔法学の講師、シトラス先生が丸眼鏡をクイッと持ち上げる。

 硝子越しにも一目で分かるくらい、その両目は吊り上がっていた。

 教室のあちこちから、クスクスとしのび笑いの声が聞こえる。

 ぴしりと杖の先を私に向けて、シトラス先生が言う。


「確か先ほど、私はこう言いましたね?『【火】属性の者は、基本である【火球魔法ファイアボール】を作りなさい』と」


「はい、そのとおりです。ミス・シトラス」


「あなたの目の前にあるそれは何です?」


「ファ、【火球魔法ファイアボール】です。ミス・シトラス」


「【火球魔法ファイアボール】!!」

 

 額に手を当てたシトラス先生が、わざとらしく驚いてみせる。


「その! シケたマッチ棒みたいな火が!【火球魔法ファイアボール】だと仰るのね、グラスメリア・カルツォーネは」


「はい……」


 私は真っ赤になって俯く。教室中の視線が痛い。そこには少なからず、侮蔑の色がある。

 当然だろう。どんなに魔法が苦手でも、【火】属性ならば大人の拳大の【火球魔法ファイアボール】程度は作り出せるものだ。

 ましてここにいるのは、進んで名門イストワールの門を叩いたエリートたちなのだから。


「シトラス先生! そんな言い方、あんまりだと思います!」


 私の隣で、エステルさんが手を挙げた。彼女の前には、人の顔ほどの大きさの【水球魔法ウォーターボール】がある。抗議をしながらも、水面には細波ひとつの乱れもない。


「確かに、その、グラスメリアさんは、ちょっとだけ魔法が苦手みたいですけど──でもだからって、晒しあげるような言い方はよくないです!」


「エ、エステルさん……」


 私は感動を通り過ぎて、若干恐怖さえ覚えてしまった。この子の善良さはいったいなんなんだ。何を食べてどう育ったらこんな天使が生まれるの? 


「エステル・フラウ。あなたが良識ある生徒であることは承知しています。ですが、あなたはまだ、ここイストワールがどういう場か理解していないようですね」


 シトラス先生が杖を一振りした。彼女はエステルさんと同じ、【水】属性だ。

 空中に現れた水が人形になり、一瞬で凍りつく。完成した氷像は、どこか私に似ていた。


「学院長の言葉は覚えていますね? ここイストワールは、人として正しい道を学ぶ教育機関などでは


 いつの間にか、教室は静まり返っていた。全員が先生の話に集中している。


「魔法を極めるための研究施設です。あなたたち未熟な生徒を指導するのは、あなたたちの中から、真理に届く英才が生まれることを期待するが故。つまり、落ちこぼれを救済する必要は──まったく、これっぽっちも、ありません」


 氷像の首が、ぽきりと折れた。


「無能は不要。凡才も不要。秀才さえ不要。我々が求めるのは、ただ一握りの天才のみ」


 ごく一部を除いて、教室中の生徒が息を呑んだ。


「その歩みについていけなかった者が、学院を卒業して就職するのです。佩剣騎士やら魔法医やらの、くだらない俗世の職業に就いてね。いいですか? ここは就職予備校などでは断じてありません──智の殿堂、イストワールなのですよ」


 氷像が砕け散る。

 シトラス先生が、杖の先を一点に向けた。

 教室の中でただ一人、平然としている少女──アリアドネさんに向けて。


「アリアドネ・コーデリア。【火球魔法ファイアボール】を」


「はい」


 アリアドネさんが杖を立てた。

 直後、一抱えほどもあるような火球が中空に生まれる。

 音を立てて赫赫と燃える焔は、まるで小さな太陽だ。離れた場所にいる私の頬にさえ、熱気が届くほどの圧倒的熱量。


「アリアドネさんは、【光】属性なのに……」


 エステルさんが唖然として呟いた。


「よろしい。皆さん、ご覧になりましたね? アリアドネ・コーデリアは【光】属性。本来、人は自身の属性と異なる魔法を使いこなすことができません。ですが──系統図を思い出してください。上位属性を持つ者は、下位の属性の魔法を一定程度操ることができるのです」


【光】は、【火】と【雷】の上位属性。つまりアリアドネは、実質三種類の属性を操れるということだ。


「しかも彼女の【火球ファイアボール】は、この場にいる【火】属性の誰よりも大きく力強い。これこそ、我々が求める才能です。皆も彼女を見習い、精進するように──とくに、グラスメリア・カルツォーネのような無能非才は、次回までに練習を重ねておくこと。以上!」


 シトラス先生の最後の言葉に、アリアドネさんがちらと私に視線を向けた。私は情けなくて、思わず視線を逸らしてしまう。

 つくづく思う。

 私にも、誰もが認める輝かしい才能があればよかったのに。

 羨ましいよ、本当に。

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