悪属性少女と光属性少女 1

 男が掲げた杖の先には、煌々と燃え盛る火球が浮いている。魔法だ。赤い炎は見るからに高温で、男の属性が【火】であり、それなりに荒事に慣れていることを物語る。


「この汽車は俺たちが乗っ取った! 俺たち、エレオノール青巾党がなァ!!」


 耳馴染みのある単語に、私は男の姿を改めた。

 なるほど。確かに左の手首に青い布を巻いている。


「えっ、なに、強盗? 魔法犯罪者?」


 エステルがあわあわと左右を見回した。車内もざわついている。


「うるせェ黙れ! 静かにしろ!」


 苛立った男の叫びに、車内が静まり返った。

 私は指と唇を動かして、カテナに話しかける。裏社会の密談で使われる、手の動きと読唇術を組み合わせた会話術だ。


『本物かな。カテナはどう思う?』


『怪しいですね。いくら脳筋揃いの青巾党とはいえ、こんな無茶はしません』


 エレオノール青巾党。

 カポネ・ファミリーと並ぶ、五大マフィアの一角だ。

 武闘派で知られていて、主なシノギは違法賭博の胴元と地下コロッセオの運営、ダンジョンの盗掘。ときどき商隊護衛も行う。

 少数精鋭主義のカポネ・ファミリーと違って、来る者拒まずなので構成員が多い。


 ただそれにしたって、列車強盗なんてのは儲けが少ないくせにリスクの大きい、割に合わない犯罪だ。

 犯罪組織の構成員がやるような仕事じゃない。

 だから多分、こいつは騙り。その辺の食い詰めたゴロツキだろう。

 青巾党の構成員は、身体のどこかに青い布を結ぶというルールがある。あまりに有名な掟なので、たまにその辺のチンピラがハク付けのために真似をするのだ。


「……よぅし、それでいい。全員、財布を廊下に投げろ。抵抗しようなんて思うなよ。いいか? 俺は青巾党の部隊長、【暴れ炎】のジャーマンなんだからな!」


 はいチンピラ確定。

 青巾党の部隊長というのは、ウチでいう「幹部」とか、他の組織の「使徒」「若頭」くらいの地位だ。そのレベルになると、裏社会でもそれなりに名前が売れている。

 でも、【暴れ炎】なんて二つ名は聞いたことがない。

 もし本物の部隊長なら、私やカテナが知らない筈がない。よってあいつは騙りだ。


『どうします? カテナがヤりますか?』


『絶対やめて。エステルがいるんだから……どうせ駅で佩剣騎士に捕まって終わりだよ』


『それもそうですね』


 男のほうを見ていたエステルが、青ざめた顔で振り返った。


「グラスちゃん。ど、どうしよう」


「え? あ、うん。大人しく財布を渡せば大丈夫じゃないかな」


「あ──そ、そうだよね、うん。落ち着いててすごいね、グラスちゃん」


 だってあいつ偽物だし。いや、もう少し動揺したほうがよかったか? その方が真っ当な人の反応として正しい? あわあわわ。

 私が別の意味で動揺しているうちに、他の乗客たち財布を廊下に投げ始めた。刺激しない方がいいと判断したのだろう。賢明だと思う。

 けれど──


「う、ひぐ、うわ、うわああああん!!」


 緊張感に当てられたのか、突然、車両の隅で赤ちゃんが泣き出した。青い顔をした母親が必死に宥めているけれど、まるで効果がない。

 母親に向けて、強盗男が怒鳴る。


「おい、うるせえっつってんだろ!! 黙らせろ!」


「す、すみません、すみません!!」


「うわ、うわああああん!!」


 当然逆効果だ。舌打ちが響く。男は明らかに苛立っていた。


「チッ。うぜえな……まあ、見せしめにゃあ丁度いいか……?」


 ブツブツと呟きながら、杖を掲げる。その目を見て直感した。やばい。

 本来、たかが列車強盗で殺人なんて割に合わない。派手な攻撃魔法を見せて脅かすだけで充分だ。

 だけど、あの男は冷静じゃない。暴力を振るう興奮に飲み込まれている。

 こういう目をした奴は、本当に。後先考えず、衝動のままに行動して周囲に被害をもたらす。

 やむを得ない。私はスカートの下に手を伸ばして──


「確かにうるさいですね。あなたが」


 薄くて儚い、氷の刃みたいな声がした。

 思わず背後を振り返る。私だけじゃない。車両中の視線が、に集中していた。

 窓から差し込む光を浴びて、きらきらと煌めく銀の髪。繊細で、けれど意思の強そうな大人びた顔立ち。大人──そう、大人っぽいだけで、年齢は私と同じくらいだろう。


 ありふれた革の旅装に身を包んでなお、一目見たら忘れられないほど綺麗な女の子。


「読書の邪魔です。消えてくださいますか」


 怯える母子を庇うように、彼女は一人、凛然と立っていた。

 思わず見惚れてしまった。怯えずひるまず、果敢に悪意へと立ち向かうその姿が、絵本に描かれていた聖女様と瓜二つだったから。

 でも、目を奪われた理由はそれだけじゃない。

 絵本に描かれた聖女様にそっくりなせいだろうか。

 私は初対面の少女に、なぜか言いようのない懐かしさを感じていた。

 エステルが呆然とつぶやく。


「アリアドネさんだ。この車両にいたんだ……」


「アリアドネ?」


 やっぱり知らない名前だ。


「うん。確かコーデリア公爵家の次女で、聖女フィオーネ様の再来だって言われてる……」


 解説を受けても心当たりがない。元より私の知識は裏社会に偏っていて、表社会の常識にはうといのだ。


「なんだ、てめえ……」


 一瞬すくんだジャーマン某は、しかし相手が少女であることを見て、気を取り直したらしい。


「おいおい、ガキのくせに正義の味方気取りか? 佩剣騎士でもねえのによ」


「……佩剣騎士でもない?」


 少女は──アリアドネさんは、腰の後ろに手を回した。しゃらんと金属が擦れる音。

 現れたのは短剣だ。細身で、柄にグリフォンの装飾が施された儀式用の剣。

 ジャーマンが目を見開いた。もちろん、私も。


「『誓約の刃』……!」


「ご覧の通り、私は佩剣騎士です。これから学院生になる身ではありますが」


 誓約の刃。

 空の女神と聖女フィオーネ様、そして国王陛下への忠誠の証。

 信義にもとる行いをすることあれば、すぐさま自らの喉を突いて死ぬ。その約束を履行するためだけの、自決用の短剣だ。

 佩剣騎士の名前の由来であり、唯一無二の身分証明書でもある。


「つまり私は、犯罪者に対する令状無しでの逮捕、拘束権限を持っています。この意味、ご理解頂けますか?」


「ふ、ふざけんなっ!! テメェみたいなガキが佩剣騎士だと⁉︎」


「はい」


「そんなわけがあるか! そうだ、どうせ金で買った偽物だろ。ええ、そうなんだろうが⁉︎」


「『誓約の刃』を売るなんて、佩剣騎士失格どころではありませんが……そこまで言うなら」


 短剣を収めたアリアドネさんが、腰のベルトから細い杖を引き抜いた。

 丁寧な口調にそぐわない、好戦的とさえ言えるような笑みを浮かべて。


「──私の【光】、受けてみますか?」

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