エピローグ「愚行権について」

エピローグ「愚行権について」

 夏の音がする。

 ボールが当たる音やかけ声、部屋の外のグラウンドでは青春が繰り広げられている。

 部屋に来るまでの廊下でも、音楽室から吹奏楽の音楽が漏れ聞こえていた。彼、彼女達はまもなくコンクールがあるらしい。

 甘く、ほろ苦い味。

 いつか、遠くを懐かしむように、口の中に広がりほろほろと溶けてなくなる甘い甘い砂糖菓子の日常。

 どれも僕が味わったことがない味だ。

 僕の知らない世界の音だ。

 僕は大好きな本を読み返して、静かな世界に閉じこもる。

 殻に引きこもり、堅い膜に守られた、僕だけの世界。誰にも侵食されないこの世界は何もないけれど、何もないから、かけがえのない美しさを保ち続けている。

 ここ数日、僕の世界のひび割れを探そうとしていた彼女のことを思い出す。しかし、僕は尻尾を出すことはなかった。

 僕は選択をしなかった。

 自由に、自己中心的に選択ができるはずの夢の中でさえも。

 だって、それは、あんまりじゃないか。

 叶えられない夢を渇望するなんて、惨めすぎる。

 だから僕は今日も道化を演じるのだ。

 それが、選択をしなかった人間の背負う咎だと、罰だと、甘んじて受けるしかない。

 大仰に溜息をついて、本を閉じる。

 目を覚ませ。

 空想の世界、おままごとはもう終わりだ。

 そろそろ、この私の気持ちと同じ、重苦しいドアを開けて彼女がやってくるだろう。

 僕は彼女の来訪に備え、本をカバンにしまい机に伏せる。

 偽りの現実から、偽りの夢へ。

 カチャリ、とドアが開く。

 僕にとって、甘い甘い匂い。

 そうだ、この甘さ、弱さを隠している甘さが僕にちょうど良い。

 そろりそろりと彼女が僕に近づく。

 僕を驚かせようとしているのだろう。

 つくづくかわいらしい彼女だ。

「わっ! 起きてください!」

 もちろん、彼女のためならば。

「何やっているんですか、もう」

 祈っているんだよ、平和を。

「返却しに来たんですけど」

 さあ、いつもの間抜けになりきろう。

 彼女のため。

 世界のため。

 何より僕のため。

「そういえば、今朝ロッテから絵葉書が届きましたよ。でも住所がないんです。研究所宛で送り返したら届くんでしょうか。結局メールアドレス、使えなくなっちゃったみたいで」

 首を上げ、メガネをかけ直し、僕はいつものスイッチを入れる。愛すべき人の顔を良く見えるように。

 頬を膨らませた彼女が呆れた顔で私を見つめている。

 この平和が、いつまでも続きますように。

「まったく、聞いてるんですか、リンゴさん」


─triste

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