六日目「別れの朝について」②
「ギフト、か」
ポチが言いにくそうに口を開く。
窓ガラスの先、ロッテの乗る飛行機を見ている。
私、ポチ、ロッテで空港に来ていた。電車で二時間くらいの距離である。ロッテは空港に着くなり、北海道土産を買い漁っていた。これから飛行機で東京に向かうので、その先で渡すお土産を探していたらしい。
定番の食べ物系のお土産をいくつか買い、それをトランクに詰め込んで、ロッテは手続きをして搭乗ゲートを抜けていった。
最後にゲートの先で振り返り、大きく手を振っていた。私もポチも振り返した。それからラウンジに行き、飛行場が見えるところまでポチと来ていた。
「ロッテが言ったんだ」
念を押すポチに、無言でうなずく。
こちらを見なかったが、沈黙でそれを悟ったのだろう。
会話の切り出しにポチがいなかった旅館での夜の話をした。
紫桐さんとのことは内緒である。
本当は昨日見てしまったことを問いたかった。
ただ、それは勝手に見てしまったことよりも、その内容について、知ってしまったことを知られるのが怖かった。
「うん」
「そうか、そんなことを」
「だから私は、ロッテのこと」
彼女は自分自身に与えられたものを『ギフト』だと言った。開花させた才能と、それに付き従う彼女の病気と人生、それを両天秤にかけて、それでも釣り合いが取れているのだと、彼女は思っているのだろう。
最悪を得てもなお、そのために何か特別なものを得たのなら、それを人は最悪もまとめて呑み込まなければならない。
彼女の運命を極端に希釈した程度だとしても、私にも同じことが当てはまるのだろう。私が何もなく、東京に住み続けたのなら、私はここには来なかったし、彼らとも、ポチとも出会わなかったはずだ。
どちらが良かったのか、きっと今更考えても意味がない。
「違うよ、杏さん。違うんだ」
ポチは私の心中を察したのか、重い口ぶりで否定をした。
「ギフト、彼女がそう言ったのなら、それは英語のギフトのことではなくて、たぶん、ドイツ語のギフトのことだ」
「何が違うの?」
「ドイツ語のギフトの第一語義は、『毒』なんだよ」
毒。
「え……」
「別に彼女が才能を選んだのでも、病気を選んだのでもない。彼女にとって、それらはやっぱり毒なんだろう」
「そっか」
彼女が嘘を言ったとは思わない。
病気と引き替えに才能を手にして、だからこそ私達と出会ったこと、他の人と同じように成長して生きていたいと願うこと、どちらも本心だったのだ。
「ロッテ、ポチのお父さんが亡くなる前にお世話になったって」
「え、いや、僕の父親死んでないけど」
ポチが眉をひそめる。
「だってロッテが」
「ああ、うん、ロッテが言うのはそうだね、僕の父親は死んだんだろう」
「どういうこと?」
「僕の父親はアメリカで教師をしている。昔はドイツでロッテの世話をしていて、そのときは研究者だった。今は研究もしていないし、論文も書いていない。僕にはその違いというのがよくわからないけれど、ロッテの中ではね、研究をやめた人間は『死んだ』人間なんだよ。埋葬された人間は『去った』と言う」
それがロッテの死生観か、研究者観かはわからない。
彼女も自身のことを『去ってしまう』と表現していた。
「たぶん、僕らがロッテと会うことはもうない」
意を決したように、でなく、あくまで軽い口調でポチが言った。そうすることで、彼の中で、その事実を重くしないようにしていようでもあった。
「彼女は死なない、去るだけだ。僕らが忘れなければ、僕らの中では」
視線の先で、飛行機が離陸していった。私の心も離陸していってくれれば良かったのに、とちょっとだけ思う。
「それじゃ、帰ろうか」
「うん」
飛行機が飛び立つのを見て、ポチが言う。
「あとどれくらい残されているのだろう」
「ポチ、夏休みならあと二週間だよ」
それを聞いたポチは、私の顔をじっと見て、優しく笑った。
「そうだ、そうだね、その通りだ」
その笑顔の意味を、私は問い詰められない。
「そろそろ僕達の宿題を片付けよう」
彼は何を知っているのだろう。
これから先に何が待ち受けているのか、私は知らない。
でも。
でも、私が、私達が覚えていることを、何もかも忘れてしまわないようにしたい。
辛さも、甘さも、苦さも、痛さも、温かさも、私達を形作る一片にしたい。
それがどんなに愚かなことだとしても。
「ねえ、ポチ」
「ん、なに?」
私はロッテから預かってカバンに入れていた正方形の紙を取り出して見せる。
「明日、ラジオ体操行かない?」
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