六日目「別れの朝」
六日目「別れの朝について」①
朝が来て、私は目覚める。
私は夢の世界の住人ではない。
いずれにせよ、選んだ結果が何にせよ、私は目を覚まさなければいけない。かつてはすべての現実から逃れて夢の世界に住み続けることを望んだこともあったけど、今はそうではない。
まだ眠るロッテを横目に、足音を立てないようそろりそろりと客間を抜け出す。廊下にはなぜかコタローがうずくまっていた。
「しー」
伸びをしたついでに朝の挨拶をしようとしたコタローの口をふさぐ。不満げな顔をしたものの、意味をくみ取ってくれたみたいで、コタローは彼なりに小さくなってキッチンに向かっていった。
洗面台で顔を洗う。冷たい水はもやもやを取り去ってはくれなかったけど、意識がはっきりするくらいには役立った。
タオルで顔を拭いていて、背中にぽふ、と当たるものがあった。
「大丈夫? つまずいた?」
鏡越しにロッテであることはわかった。トイレに行こうとしてぶつかってしまったのだろうか。
「違うんじゃ」
彼女が私の腰に両手を回す。額が背中に触れるのが伝わる。温かい呼気がパジャマを通して浸みてきた。
「わたしだって、できることなら生きたい。神様というのが許してくれるなら、みんなと同じように年を取って、みんなと同じように遊んで、みんなと同じように……」
その後の言葉を彼女が飲み込む。
「わたしは、わたしが去ってしまうのは怖くない、寂しくもない。それはもう決まっていることじゃから。遅かれ早かれ、誰しもに訪れることで、それがわたしの場合、少し早くて、少しわかりきっている、というだけじゃ」
夢の中の彼女とは違う、震える小さな女の子だ。
夢の話はしない。あれはやはり、私が見たただの夢だからだ。あれが彼女であろうとなかろうと、目の前の女の子が変わるわけでもない。
「だけど、みんなに会えなくなるのは辛い。それは、意味が違う」
彼女は自分が死ぬことよりも、私達に会えない、という事実を嫌がった。彼女が言うほどにどれくらいの違いがあるのか、まだ私にはわからない。いつかそれがわかるときがくるのだろうか。
「わたしは、わたしに与えられた『ギフト』を抱えるしかないんじゃ」
ギフト、それは卓越した彼女の能力であり、終わりを早める病である。どちらも逃げることはできない。誰も助けることもできない。彼女自身が受け止めるしかない。
「あんず、長生きせえよ」
「……うん」
まるで、ではなく、まさしく今生の別れのように、ロッテが言う。
「あんず、あれ欲しい」
「ん? あれ?」
ロッテがくっついたまま指さす。指が私の前にあった鏡に反射して、二人の背後に置かれているものを指す。
そこには茶色のぬいぐるみのクマがいた。何の変哲もない市販のぬいぐるみだ。別に貴重なものでもない。
「うん」
私がロッテよりも小さな頃にお母さんに買ってもらったものだ。
「いいよ、あげる」
「本当なんじゃ?」
「うん、でも大事にしてね」
「わかったんじゃ!」
「あと名前があるから呼んであげてね」
「名前?」
「そ、『カトー君』っていうの」
「『カトー』? それは日本人の名字では?」
「うん、お母さんが、これはカトー君だって言ったから」
「そうか、じゃあわたしもそう呼ぶんじゃ」
「ロッテ、ラジオ体操行く?」
「行くんじゃ」
振り返って見れば、彼女はもう笑顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます