五日目「勝利者調整について」⑥

『白い部屋を歩く。

 約束の場所まで歩く。

 そこに、当たり前のようにして彼女がいた。

 彼女は椅子に座り、足を組み、私を見ている。

 その表情は穏やかだ。

「回答を聞いてもよろしいかしら?」

「私が何と言うか、もう知っているんじゃないの?」

「それがあなたの回答なの?」

「はい」

 彼女は、ふ、と笑った。

「わかりました」

 そうだ、彼女は回答を朝に聞いている。

 だからもう一度言い直す必要はない。

 そしてそれは彼女に、私は彼女のことを知っていると宣言することだ。

「いつから知っていたの? 推理?」

「いや、その、推理というか、そりゃ来た初日から始まればそう思うのは自然ではないかと……」

「あ、そういうの」

「え、思っていなかったの?」

 なんだこの会話。

「あなたは、あなたなの?」

「難しい問題です。私は私で、彼女は彼女で、私は彼女のサブシステムで、彼女は私のパーツです。同一や同質などは不分離です」

「よくわからない」

 率直に感想を言った。

「実は私もよくわかりません」

「そうなんだ」

「夢の中なので、そういうものだと思ってください」

「私の妄想かもしれない?」

「そうです」

「なるほど」

 妙に合点のいく説明、というか、無理矢理なこじつけだ。これを牽強付会と言わずして何と言おう。

「ご褒美、というわけではありますが、良いことをお教えしましょう」

 彼女が優雅に立ち上がり、こちらに一歩進む。手を伸ばせば互いに頬が触れられる距離だ。

「あなたは気が付いていないかもしれませんが、あなたのその能力は、もっと自由に、有効に使う方法があります」

「ちょ、ちょっと何言っているの?」

「考えてください。どうしてあなたは彼のことを『ポチ』なんて呼ぶようになったんですか?」

 それは、だって、ポチが犬に似ているから。

「どうですか? きっかけを覚えていますか?」

 三月の初めて出会った日だ。私が交差点で車に轢かれそうになったところをポチが助けてくれた。そのとき私はとっさに彼のことを『ポチ』と呼んだのだ。

 あれ、違う?

 それは春に見た夢の話だ。夢の中で、すでに馴染んでいる『ポチ』というあだ名で呼んでしまって、夢の中のポチに変な顔をされた。

「う、ううん、気が付いたら、そう」

 いつから呼び出したか思い出せない。

 私の性格からして、初対面の人間にそんな呼び方をするだろうか。

「あなたは、現実と夢を逆転させました。夢を現実にしたのです。それがあなたの本当の『夢を夢と認識する』という力です」

「待って待って」

 逆転だって?

 私が夢で彼のことをポチと呼んだから、初めて出会ったときからポチと呼んでいることになった?

 じゃあその間はどうなっていたんだ?

 会話の展開が急すぎる。

 脳の処理が全く追いついていない。

「つまり、あなたはその気になれば、矛盾を起こさない範囲で過去を改変することができます。あなたに都合の良い世界を創り出すこともできます」

「それ、本当?」

「あなたが信じれば、本当です」

「えっと、どのくらい?」

「それは私にもわかりません。可能性として生じてもおかしくない範囲です。そう、『彼があなたに対して好意があったことにする』くらいはできるのでは?」

「それは」

 甘い罠だ。

 現実をねじ曲げることができるのなら、努力も最小限で済む。

「それとも、そうですね、もしあなたがこちらの世界を主にするというのであれば」

「こちらの世界?」

「夢の世界です」

「ああ」

「そうすれば、その制約すら取り払うことができます」

「でも」

 私は今まで自分で夢を認識することはあっても、一度も自分の都合の良いように変えたことはない。昔は何度か試してみたけど、できたのは夢を強制終了させることだけだった。

「それはあなたが自分自身で抑えつけているからです。所詮は夢です。あなたが、夢を重要なものだと、現実よりも大事なものだと思い込めば、それはすなわち、主従が逆転します。眠り続けることはわけがありません」

「あなたと一緒に?」

「そう、私と一緒に。どうですか? 悪い話ではないでしょう?」

 私は首を振る。

「必要ない、と?」

「はい、私には、起きるべき、生きるべき現実があります。たとえそこが私にとって、すべてが優しい世界でなくても、私は自分の意思で生きます」

「彼がいるから?」

 私はうなずきかけて、横に振りかけて、どちらもやめて目を閉じる。

「もしもそれがどうしようもないものであっても、私はそのどうしようもなさを愛おしく思います」

「変わったの?」

「人はいつでも変わっていきます。それに気が付きました。あなたのおかげです」

「それはどうも」

「今日で終わりですね」

 私が言った。

 彼女が優しい顔で返す。

「そう、これで終わり。楽しかった?」

「どうかな、まあまあ」

「手厳しい」

「でも、いつものはそんな風なの?」

「風って? ああ、話し方ね。これはそう、夢の中だから。それにしても、どうしてわかったの?」

「うーん、まあ何となく」

「そう、何となく、それが一番」

「もう会えない?」

「ええ、アクセスするのに距離が必要なの」

「そう、残念」

「じゃあ、もう起きましょう」

「わかった」

 そして、私達は別れの挨拶をする。

「おやすみ、あんず」

「おやすみ、ロッテ」』

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