三日目「水族館その他について」②

 数分で私たちは水族館の前に来た。

「駅から見えたけど、広いね」

「まあ、土地だけはあるしね」

 水族館はレンガの城をモチーフにしているらしく、高さがある。四階建てのうちの学校よりも高いのではないだろうか。水族館に高さが必要なのか、というのは、行ってみればわかるらしい。

 リンゴさんが受付に人数分のチケットを渡し、揃って入場する。まずは広場があり、脇にはお土産屋とフランクルトやフライドポテトを売る常設の屋台が並んでいる。

「イルカショーには時間があるから、まず中をぐるっと回ってみようか」

 受付で渡されたパンフレットも見ずにリンゴさんが言う。

「詳しいんですね」

「まーねー」

「私は、水族館ってそんなに行ったことがなくて」

「あらそう、それは良かった」

 少なくとも、中学校のときには行っていないだろう。小学校のときに、どこか、父親と母親と一緒に行った記憶がある。あれは江ノ島だっただろうか。どんな感想を持ったのかも覚えていない。

「あ、ペンギン」

「ほんとだーかわいいー」

「……ペンギンブックス」

 ポチが呟いた言葉の意味はわからない。

「ペンギンブックス」

 ロッテも同じことを言った。二人しか通じない暗号だろうか。

 本館の城に入る前に、右側をとことこ歩いているペンギンたちがいた。左右に揺れながら、手をペチペチさせて愛くるしく歩いている。係員がロープを張って道を作りつつ客とペンギンが接触しないようにしている。先頭には笛をリズム良く吹いているお姉さんがいる。ペンギンの行進だ。

「ああ、そうだった。そっちもあったっけ」

 リンゴさんがうかつだったと自分の頭をペチンと叩いている。

「ねーねー写メ撮ろうよー」

「私が撮ってあげるから並びなー」

 桂花に引っ張られて、私はペンギンと並ぶ位置をキープする。リンゴさんが桂花のケータイを受け取った。

「ポチもー」

 手招きをする桂花に、渋々といった顔をしながら歩み寄る。

「はい、チーズ」

 桂花が無理矢理ポチを真ん中にして、リンゴさんが写真を撮る。桂花、ロッテ、ポチ、私の並びだ。

 やれやれ、という仕草でポチが離れる。桂花が私の耳元に来て、

「あとで送るね」

 と言った。

 形だけ、むーと頬を膨らませておく。

 改めて城に入る。

 入口には円柱状のガラスが高くそびえ立って小さな魚たちがぐるぐると回っていた。これが高さの理由かと思ったら、違うらしい。

「ほらほら、杏ちゃん、ロッテちゃんこっち」

「うわーすごい」

「おおー」

 そこにあったのは巨大な水槽だ。そして、それを上から覗き込むための長いエスカレーターがあった。

「これで最上階まで一気に行って、それからゆっくり周りながら下まで戻ってくるんだよ、さあ行こうにゃ」

 リンゴさんが先頭になってエスカレーターのステップを踏む。

「わーわー」

 ロッテが楽しそうな声を出している。手すりから身を乗り出して、水槽に落ちてしまいそうだ。魚の餌になることはなさそうだけど、落ちた人っていないのかな、そうなった一大事だろうな、と余計な心配をしていた。

 水槽を真上から見る、という経験はあまりできそうにない、シンプルだけど、泳いでいる魚の背中を上から見る機会ってそうそうない。

 エスカレーターは一度折り返し最上階に着いた。ここから円を描くように歩き、床がスロープのようになって下に降りて行く仕組みらしい。階段を使わないのは良いことだと思う。

 ふれあいコーナーでヒトデ、ネコサメ、カブトガニを桂花ときゃーきゃー言いながら触ったり、なぜか展示されているカエルと無言で通信しているポチをからかったりして、ゆっくりと階下に降りていく。

 だいぶ終わりが近づいてきたあたりで、天井が丸いアクリルガラスの水槽のトンネルまで来た。今ではどこの水族館でも導入しているものだけど、海に包まれているようで不思議な開放感と圧迫感がない交ぜになった感覚になる。

 エイが水槽を覆うように泳いでいる。小さな顔が笑っているようで面白い。

「あれなんだろう?」

「うん?」

 桂花が周りに見えないように隠しながら指をさしている。

 ドーム状の水槽の入口にいる私たちから正反対の十数メートル先の出口付近にいる二人組を桂花は指していた。

「ケンカかな?」

 私たちよりは年上の、大学生くらいの男女が何か言い合っているようだった。言い合ってるようだ、というのは、男性が口を大きく開いて怒鳴っているように見えるけど、こちらまで声が届いていないからだ。それに何かジェスチャーをしている。女性の方も、右手を振って、応戦というか、応対しているようだった。近くにいる人たちは、彼らをちらっと見ただけで、関わりたくないのか通り過ぎていった。

「ポチ、あれ何だろうね」

 水槽に手をつけて、小学生かと思うほどキラキラとした瞳で食い入るように水槽を見つめているポチに声をかける。横にはロッテも同じようにしていた。精神年齢が同じくらいなのか。

「ん? 何が?」

 ポチは水槽から目を離さず返した。

「いや、あれなんだけど」

 私が視線で誘導をする。

 仕方がないな、とでも言いたげに顔だけ横に動かす。

「どれ?」

 そのまま、ポチが首を傾げる。

 彼らの姿はもうなかった。

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