二日目「分割選択について」②
「う、うう……」
車のドアを開けたロッテがふらふらと歩く。
続く私も同じように覚束ない足取りで出る。
「だから言ったのに」
ポチが助手席のドアから恨めしげな顔で出てきた。
「すごかったにゃ」
心持ち楽しそうにうきうきとしながらリンゴさんが後部座席の反対側から出る。
「アトラクションじゃないんですよリンゴさん。ロッテ、大丈夫?」
「だいじょうぶ、じゃ……、お」
「危ない!」
前のめりになったロッテを先回りして抱きしめる。思っていた以上に軽い。
最後に車の運転者で持ち主の北条先生が降りた。
先生はいつものように無言で、無表情だ。青くて丸っこい車は、そこかしこにへこみや傷が見られる。幸い今日は一度もぶつけていない。乗る前に先生に直さない理由を聞いたが、「使える」と一言で終わられてしまった。外からの見栄えは気にしないらしい。
もっとも、この傷の多さがむしろ近づくと危ないから周りの車は注意するように、という信号を発しているのでメリットの方があるかもしれない。警戒色のような役割をしているのだ。
ロッテが深呼吸をしている。
「はあー」
先月から私達の高校に臨時教員としてやってきた北条先生は、元執行部長で、それもとびきりの美人だ。緩く伸びた焦げ茶の髪と、それに合わせたような焦げ茶の瞳が印象的だ。表情が固いというか、ほぼ動かない。かろうじて発話をするために口が動くくらいだ。
午前中、ラジオ体操に参加してきた私達は、近場で街の観光スポットの一つであるチキウ岬という灯台がある岬まで行くことにした。
ちなみにロッテはラジオ体操を気に入ったらしく、余っていたカードをもらい、ハンコも押してもらっていた。今週いっぱいは参加する気らしい。
岬まで時間をかけて歩くことも考えたのだけど、それをポチに相談したら「ロッテが嫌がるだろうから車があるといいんだけど」と言ったので、唯一連絡が取れて車を出してくれそうな先生に電話をかけた。先生は二つ返事でOKしてくれて、すぐに車を出してくれた。
先生は私のお兄ちゃんの婚約者、つまりは未来のお姉ちゃんでもある。
先生にお願いをしてから、私は先月先生の車の傷みを見たことと、ポチが先生の車にだけには乗りたくないと難色を示していたことを思い出した。
しかし後の祭りだった。
先生は死ぬほど、比喩じゃなくて本当の意味で、運転が不得意だった。よくこれで運転免許が取れたものだと思う。思い切りが良すぎて、ためらいが一切ないので、カクカクとハンドルを切りすぎるのだ。細い登り道でくねくねしていたので余計に辛く感じた。
「ポチ、行かないの?」
駐車場で一息ついた私達が、灯台の展望台まで向かい始めた中、車の横でぼうっと立ったままのポチがいた。どことなく気もそぞろだ。
「ん、ああ、僕は何度も行っているからいいよ」
灯台を見ながらポチが手を振った。
「あ、そう」
地元の子がどれくらいの頻度で行くのかわからないけど、そういうこともあるのだろう。それにしても、皆が足を揃えて向かっているのにノリが悪い。
「先生もですか?」
「ああ」
先生もポチと一緒にいた。先生は元々ノリが悪いので今更どうしようもない。
「あんずー」
ロッテの声が聞こえたので、先に向かっているロッテまで小走りで行く。
「おにいちゃんはどうしたんじゃ?」
「なんか行かないって」
「そうか、わかったんじゃ」
地球儀を模したオブジェを横切り、坂道を上って、展望台を目指す。
眼前に広がるのはパノラマの海だ。岬の名前の通り、断崖絶壁で、遥か下に海がある。波音も聞こえない。
風は強く、潮の匂いがした。
「お、おー」
ロッテが感嘆の声を上げる。
「なんか普通じゃ」
わけではなかった。
景色は十分に素晴らしいものの、先生の運転の後だとアトラクション性に乏しく感じてしまうのは事実だ。
「あはは、ロッテちゃん手厳しいねえ。普段は灯台そのものには降りられないからね。霧が多いときは海の上に雲みたいのができたり、夕方なら夕陽が綺麗だったりするんだけどねえ」
天気の良い午前中はむしろ避けた方が良い、というのもあるのか。
頭上で、キイーキイーという鳴き声が聞こえ、空を見上げる。
鳥が旋回をしているが、太陽を背にしていて、姿はよく見えない。
「ああ、運が良いね。あれはハヤブサ。ここの辺りが繁殖地らしいにゃ」
太陽を手で遮って、リンゴさんが説明してくれた。
「ハヤブサですか」
「そう、急降下の時には時速四百キロにもなるみたい」
「そんな名前のプローブがこの間リターンしてきたな。研究所のニュースで見たんじゃ、宇宙に行っても生きて戻って来れるもんなんじゃな」
機械を『生きて』と、生命があるかのようにロッテは表現した。
「あんず、鳥は自由かね?」
急なロッテの問いかけに戸惑う。
「そうじゃないの? 空を飛べるし」
「まあ、三次元移動ができるという点では人間より行動範囲は自由じゃな。りんごはどう思う?」
「鳥そのものは自由でも不自由でもないでしょ、自由の概念を持っていないんだから」
視線でハヤブサを追いかけながらリンゴさんが即答する。
「うむ、そうじゃな、そうかもしれん」
「でも、貝よりは鳥になりたいにゃあ」
展望台に備え付けの鐘を鳴らして、三人は来た道を戻って駐車場でポチと先生と合流する。
「毒まんじゅうを買おう!」
リンゴさんがお土産売り場に突入していった。
「毒まんじゅう?」
私とロッテが姉妹みたいに同時に首を傾げる。
「ああ、うん、ロシアンルーレット的なやつじゃなかったかな」
「買ってきたにゃ!」
息を切らせて箱を持ってきた。すでに何というか、パッケージのイラストが毒々しい。
「食べよう食べよう」
蓋を開けて私達に促す。白い色のおまんじゅうは六個入りだ。ポチが言うなら、ついでに叫び声をあげているようなイラストから、このうち一個は激辛だろう。
「ちょっと待って、六個入りだよね? 五人しかいないけど」
こういったことに心を動かすとは思えない北条先生を入れても、だ。
「残りものが当たり、いや外れかもしれないけど、その確率は16.6%だから、そのときは責任を取ってリンゴさんに食べてもらおう」
「えぇー」
「じゃあ、わたしが一番じゃ」
それぞれがおまんじゅうを一つ一つ取っていく。
「北条先生も食べます?」
私が差し出した箱から北条先生が二つのおまんじゅうから一つを取り無表情で食べた。今までの説明を聞いていなかったかもしれない。
「一つは激辛なんですよ」
「悩んでも確率は変わらない」
至極もっともな返しをした。
「じゃあせーのでって先生もう食べてるにゃ!」
全員に行き渡ったところで合図をしようとしたリンゴさんよりも先生が先に口に入れていた。私達もお互いを窺いながら食べ始める。
「普通だ」
味は普通のあんこのおまんじゅうだ。辛みはない。他の人の顔も見る。誰も辛そうな表情をしていない。リンゴさんは少し残念そうにしていた。
「はい、じゃあリンゴさん」
最後の一個をリンゴさんに向ける。
「ロシアンルーレットですよ」
「最後だし! 当たり確定だし!」
「さ、さ」
「なんじゃ食べんのかー」
ロッテも促している。
「う、うう」
嫌々、というポーズをしてリンゴさんが最後の一個を食べる。表情の変化を私とロッテが楽しみにしていると、三度ほど咀嚼したところでリンゴさんが眉をひそめた。それは辛さを我慢している、という顔ではなかった。
「もれにゃらくにゃい」
「飲み込んでから言ってください」
「これ、辛くないよ」
「えっ?」
「当たりじゃなかった」
「僕も違ったけど、最初から当たりがなかった? 不良品かな?」
「うーん、私も違ったし」
「わたしも違ったんじゃ」
「ということは……」
四人が残り、顔を変えない北条先生に視線を集める。
北条先生はすでにおまんじゅうを飲み込んでいて、澄ました顔で言う。
「辛かった」
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