一日目「来訪する天使について」②
学校を出て駅へ向かう。駅までは直線の一本道だ。歩いて十分もかからない。三人は並んで歩く。急用があると言っていたポチも、別に急いでいるようには見えなかった。リンゴさんが図書室を閉める準備をしていても慌ててはいなかった。
「急いでないの?」
「いや、うん、まあ、心の準備というか。そういうものをしていた」
普段からぼんやりぼそぼそ動いている、人生に心の準備が必要なさそうなナマケモノのような生き方をしているくせに、そんなポチがしなければいけない準備とはなんだろうか。
コンビニの前を通り過ぎて、ようやく駅が見えてくる。私は学校から出てすぐにあるバスターミナルからバスに乗っているので、買い物でもなければこの駅まで来ることはない。話によるとバスよりも電車、ここでは汽車と呼ぶ、の方が本数が少ない代わりに定期代が安いらしい。バスで通うと言いつつ汽車通学をして差分をお小遣いにしている、なんて話しているクラスメイトもいた。
緑色の駅舎は線路の上に建てられているため、改札には一度長い階段を上がらないといけない。脇にエスカレータがあるのが救いだ。
駅前にはタクシーや車が一時停止するためのスペースがある。その横の歩道に、見覚えのある姿を認める。
クラスメイトの紫桐さんだ。講習はもう終わっているはずだけど、私と同じく制服を着ていた。学校に用があったのかもしれない。後ろに縛ったポニーテールを揺らし、腕組みをしながら、メガネの奥の瞳で私達を睨み付けている、ようにも見えた。大体、いつもの通りである。紫桐さんはポチの幼稚園からの幼馴染みで、家もすぐそばにあるらしい。
「あ、本当にいる」
ポチがつぶやいた先には、紫桐さんではなく、そばで腕がちぎれんばかりに手をぶんぶん振ってこちらに合図をしている少女がいた。
「おー! おー!」
少し離れたところから、少女が紫桐さんとは対照的な笑顔で頓狂な嬌声をあげている。白地に黄色のアクセントの入ったワンピースを着て、彼女の肩まである大きな水色のトランクケースを背にしている。ジャンプをするたびにサイドに分けられたツインテールの金髪が顔にぶつかっている。
「あれ、誰?」
「ロッテ」
ポチが答える。
「ロッテ?」
「そう、シャルロッテ」
「か、かわいい」
リンゴさんが見惚れている。危ない人だ。
「駄目ですよ、手を出しちゃ」
「うーん、そうか、残念」
横断歩道を渡り、私達が二人と合流した。
「お、お、おにいちゃーん! ひっさしぶりなんじゃー!」
ポチが金髪少女の前にいる紫桐さんに話しかけようと手を挙げたところで、黄色い声をあげながら少女が飛びかかった。
「ちょっと、ロッテ!」
思い切りジャンプをして両腕をポチの首に回し、絡みつく。身長差で少女の体が浮き、ポチを軸にしてぐるぐる回っている。
「ろ、ろって、おりて……」
「やーだやだやだやだー」
ポチが必死で引きはがそうとするが、ゆらゆらと揺れることでするりとかわしている。
「ロッテ、いい加減にしないと」
「ちょっと、ポチ」
右手をあげて振り下ろす素振りを見せるポチを慌てて制止する。見た目も感じも無邪気な子供だから、多少の無茶は仕方ない。
と思ったところで、少女がポチに見えない角度でニヤリと笑ったのが見えた。
あ、子供であることを利用しているタイプの子供だ。
「ぬわー!」
「いい加減にしなさい」
紫桐さんに頭を叩かれた少女がずりずりとポチから落ちていく。さすが紫桐さん、子供でも容赦がない。
「おにー! おにせりなー」
「はいはい」
頭を抑えて不平を言う少女を紫桐さんは軽く受け流す。
「いいから、ロッテ、なんで来たの?」
ポチが彼女の頭をなでながら聞く。満足そうな顔で、喉からゴロゴロと音が聞こえてきそうだった彼女は、きょとんとした顔になり、右手で何かを持ったふりをしてブーン、と言った。
「うん? ドイツから飛行機と電車に乗ってじゃが? 船は時間がかかりすぎるんじゃが? おにいちゃんあほなった?」
その右手は飛行機だったのか。無遠慮にポチをアホ呼ばわりしている彼女はドイツからやってきたらしい。
「いや、その、それは『なにで』で、これは『なんで』、ここに来た理由を聞いているの、ロッテ。わざわざドイツから来た理由」
「なるほどー、ヴァルムの方かー、日本語は難しいのー」
「ロッテ、絶対わかって言っているでしょ。それで、どうして来たの?」
「どうして? 遊びにじゃが? おにいちゃんがいつまで経っても来ないからこっちから来てやったんじゃ? はるばるライプツィヒからトマセロ所長の許可までもらって来たんじゃが?」
「本当に?」
ポチが少女の目をじっと見る。
「ほ、本当じゃ……」
あからさまにうろたえている。
「『信じる』よ?」
「ほん……」
もう一度言いかけた彼女に紫桐さんが強めに言う。
「ロッテ、嘘はつかない」
「ご、ごめんなさい。勝手に来た」
「ん、良く言いました」
「怒ってないんじゃ?」
「怒って時間を戻せるなら怒っている」
ポチがため息をつきながら言った。怒っているのか許しているのかわからない表現だ。結局は甘いということなのだろう。
「なー」
「はあ、まあ、来ちゃったものは仕方ないし、とりあえず連絡はきちんとしておくこと」
「わーいわーい、おにいちゃん好きなんじゃー」
両手を挙げて万歳しながら飛び回っている。
「いや、待てよ、おにいちゃんが来ないのが悪いんじゃ? 諸悪の根源はおにいちゃんじゃ?」
「いやいや、ロッテ。普段からチャットしているでしょ」
知らないポチの習性だ。
彼女は眉をひそめてポチを見る。
「うん? やっぱりおにいちゃんあほなんじゃ? ネットとリアルで会うのは違うんじゃ? あほじゃなー」
「そこまで言う」
「当たり前じゃ? いまどきネットがリアルの代替になるなんて研究所の誰も言ってないんじゃ? 時代遅れのダイナソー発言じゃ? おにいちゃん映画の観すぎなんじゃ?」
勢いでメタメタに言われている。
「うん、まあ、それについては人によりけりだけど」
「おにいちゃんはかわいいかわいいわたしが会いに来て嬉しくないんじゃ?」
「そういう問題じゃなくて、だってロッテは」
「嬉しくないんじゃな、薄情なやつじゃなー」
「いや、だからね、ロッテ」
「せりな、こいつ薄情じゃ」
「ユウトは薄情だよ」
話を向けられた紫桐さんが完全な同意をする。
「あのね、芹菜もロッテも、僕が言いたいのはね」
「わたしがおにいちゃんに会いたいかどうかと関係あるんじゃ? 会って嬉しいかどうかと関係あるんじゃ?」
「いや……」
言葉を続けようとするポチをロッテが言いくるめる。舌が回る子供だ。
「会えて嬉しいよ、ロッテ。久しぶり」
「それで良いんじゃ。わたしはわたしの権利を行使し、わたしの選択をしたんじゃ、それ以外はただの無意味なんじゃ」
「わかった、ロッテの気持ちは尊重する。はあ、それにしても、良く脱走できたね」
脱走?
「色々コネクションがあるんじゃ」
えっへん、と腰に手を当てて自慢げに答えた。
「それで、いつまでいるの?」
「んーと、んーと、今日が、あれ、何曜日?」
「月曜」
「となると土曜日の飛行機じゃ」
「土曜日に研究所に戻るの?」
「ううん、それで東京へ行って、私の旅行を手伝ってくれた人に会うんじゃ。アキハバラとか、ハラジュクとか、スガモに行くんじゃ」
なぜ巣鴨。
「いちおーコマバにも行くんじゃ、それが今回の旅行の報酬じゃ」
コマバ、駒場か。
「そう」
少女は再び仁王立ちのまま腰に手を当てて、にかっと笑う。
「だからそれまでもてなせ」
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