17.(回想)P0

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【前書き】

 一話だけ回想回入ります。

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 運命の日の朝――


「はぁ……」


 今日も生ける屍のように最寄りの駅から幾分距離のある社屋へ歩を進める。


 寒い季節だ。年も明け、新しい年の序盤。年に一度の給与更改の時期だ。


 冬。ここ日本には四季がある。日本の良いところを尋ねると四季があること、なんて答える人が多いそうだ。


 でもさ、実際のところ、冬、長くね? 十月後半くらいから三月くらいまで五か月くらい寒いと思う。そう考えると、四季とか言いながらほとんど半分は冬だ。


 しかし、俺の気持ちがどこか寒いのは外気温によるものだけではない。


 俺、平吉(35)、彼女いない歴、齢に同じ、いい年こいてゲームがお友達……の給与は据え置かれることとなった。


 面接直後、いや面接中から予想できた結果ではあった。


 元々、そんなに強く昇進したいわけでもなかったはずだ。だが、いざ落とされてみるとそれなりに悲しいものがある。


 俺って会社にとって要らない存在なんですかね? 手前味噌かもしれないが、プログラミングや設計スキルにおいては劣っているとは思わない。


 だが、会社が必要としているのは、そういった個人の能力ではなく、個人の能力を動かすマネジメントの能力ということだろうか。


 恐らく上司が木田でなかったら俺はこんな試験を受けられてもいなかっただろうし、仮に受けていたとしても不合格となったことにこんなに落ち込んではいなかっただろう。


「はぁ……」


 再び、溜息が出る……


 自分で自分の姿を擬態語で表すならば、まさにトボトボという言葉が相応しいだろうと思えるくらいに、元気のない様で歩いていることだろう。


 元気がないだけならよかった。だが、悪いことに注意力を著しく欠いていたのだ。


「危ない!!」


 誰かが危険を知らせる言葉を発する。


「え……?」


 本能なのだろうか。それが自分に向けられた声であると察する。その瞬間、まず自身が横断歩道を渡っていたことに気づく。信号のない横断歩道だ。


「あ……」


 次に大型のトラックがすぐそこまで迫っていることに気づく。


 恐らく、俺が止まると確信してスピードを緩めずに直進して来たのだろう。


 駄目じゃないか、だろう運転は……などと生命の存続には必要のない怒りを覚えながらも、もう間に合わないことを悟る。


 一瞬で血圧が限界まで吹き上がるような感覚に襲われる。


 強烈な金属の摩擦音と共に大型トラックが猛烈に速度を落とす。


 しかし、俺がいた場所への到達までにはには十分な速度を保って通過した。


 だが、とりわけ奇妙なことは、俺がそれをこうして客観的に観察できているという点だ。


「あ、あれ……?」


 俺は予想外すぎる事象に対し、無意識に疑問の声を上げていた。


「大丈夫ですか?」


 大の大人一人、しかも男をお姫様抱っこする人物が俺に向けて、いたわりの言葉を向けるため、俺もその人物から得られる外見の情報を全力でインプットしようとする。


 そこには信じられないほどの美少女……ではなく、俺とさほど変わらないスーツ姿、サラリーマン風情の男性がいた。


「あ、ありがとうございます…… おかげ様で何の問題もなく……」


 俺は死にかける、からの瞬間移動でもしたかのような危機からの離脱、そして、リーマンのお姫様抱っこという一連の流れに、かなり動揺しながらも何とかお礼と自身の状態を伝えるという最低限のタスクを成し遂げた。


「それならよかった…… では……」


「……あ」


 あの状況から一体、どうやって、いやいや、それ以上に、社会人なりに後日、しっかりとしたお礼をしなければという思いが想起するよりも早く、リーマン風情の男は爽やかな笑顔だけを残して、颯爽と去っていった。


 なお、トラックも謝ることもせず颯爽と去っていった。




 一体、あれは何だったんだ。いや、マジで死にかけた。怖え……


 でも助かってよかった。いや、いっそのこと死んだ方がよかったのか俺なんて、などとモヤモヤと考えながらも、もはや悲しい本能としか言いようがないのだが、歩みは元の目的地から変更されることはなく、そのまま会社に出社する。


 ◇


「おかげさまで昨日の本番リリースは今のところ大きな問題は起きていない。チームも規模が拡大し、現在、ちょうど二百名となった。引き続き、社に貢献すべくご協力をお願いしたい」


 出社すると部長の日比谷による朝礼の挨拶が行われていた。


 フロアの二百人がわらわらと集まり、一人の人物の言葉に耳を傾けた。


 しかし、朝礼と言っても毎日行われるわけではない。今日は、この部署にとって、それなりの一大イベントであったのだ。一年もの期間をかけて、開発を行っていたシステムのリリースが昨晩行われ、今日から実際に稼働するというわけだ。


 俺の勤め先は、システム開発を行っているIT企業だ。

 その中で、俺が現在所属している部署は日比谷部長の朝礼挨拶によると現在、ちょうど二百名らしい。


 これはまずまずの規模の部署であると言えるだろう。実際には人件費が安い海外にも一部発注しているため、更に規模は大きい。


 朝礼が終わり、自席に着く。


 今日は例のお姫様抱っこの事件があったせいか始業時間ギリギリに出社した。


 自席に着くと、まずコンピュータの電源を入れる。コンピュータが立ち上がるまでの間、しばし、ぼんやりとする。


 隣の島の席にいる高峰さんが視界に入る。


「なーに、視姦してんだよ……!」


「お?」


 別の人物に話しかけられる。

 同期の友沢だ。


「あまり下品な言葉を使わないで欲しいね。ただ、人を見るだけで犯罪者扱いされてしまったら、普通の日常生活を送れないじゃないか」


「残念だったな。最近じゃ、相手がハラスメントと感じたら、それはもうハラスメントになるらしい。お前にとっての普通が、相手にとっては精神的な凌辱りょうじょくと感じ取られてもおかしくはないんだよ」


 友沢はトレードマークの黒縁眼鏡をきらりと光らせ、ニヤニヤしながら高説を垂れる。


「うっ……確かに……」


「ま、冗談だよ」


「で、何しに来たんだよ。まさかこんなこと言うために来たわけじゃねえよな」


 まぁ、何となくはわかるが……


「あぁ、どうだったんだ? 例の試験の方は? そろそろ結果出たんだろ?」


 やはりそれか……と少々、滅入る。


「……落ちました」


「え!? まじか!?」


「……」


 俺は大学卒業後、二年間の修士課程を修了した……いわゆる院卒だ。一方、友沢は大学卒業後、すぐに就職した学部卒。そのため、同期ではあるが、年齢は二歳下ということだ。


 だが、友沢は、すでに俺が落ちた主任という役職を得ている。まぁ、要するに社会的地位において、すでに抜かれてしまったというわけだ。


「なんかごめんな…… ドンマイ…… 流石に受かると思ってたわ…… いや、馬鹿にしてるわけじゃなくて、平吉の現場での仕事を見てるからな」


 友沢は少し気まずそうにしている。本当に受かっていると思っていたのだろうか。


「いいんだよ…… 気にかけてくれてありがとな」


 友沢はフロアが同じということもあるが、同期では唯一、いまだに馬鹿話がし合える仲だ。


 普通に良い奴で、仕事もしっかりできるので、昇進が早いのも妥当だと思える。


 内心どう思っているのかは知らないが、少なくとも俺の前では、昇進したからといって、上から目線になることもなく対等に付き合ってくれている。


「俺が昇進する前に友沢がまた昇進しちまうかもな……」


「いやいや、俺なんかより、水谷みずたに課長殿の方が先かもしれないぜ?」


 友沢がニヤりとしながらそんなことを言う。


「そうかもな」


 水谷……こいつも同じフロアにいる同期だ。


 水谷は俺と同じ院卒だが、入社以来、とんとん拍子で昇進を続け、すでに昨年から課長の職に就いている。


 三十四、五で課長になるのはこの会社では最早らしく、一般の日本の企業では、だいたいそれくらいで、日比谷部長にも大変気に入られており、いわゆる出世ルートに乗っているというわけだ。


 三つ隣りの島の主、水谷を眺める。


 課長に昇進することで着席することが許された島の先端部分、いわゆる誕生日席で、相談事項でもあるのだろうか、訪れた部下の星野さんと何やら談笑している。


 星野さんが女の顔をしているような気がしないでもないが気にしないでおこう。


「さて……もうとっくにPCも立ち上がっているし、仕事に戻るかな…… しかし、今日は稼働初日ってこともあって、出社率高いな」


「そうだな…… 日比谷部長が今日は極力、出社して欲しいと要請しているらしいぞ」


「そうか…… 何も……が起きないといいん……」


「!?」


 友沢との会話の締めに入ろうとしていた時、突然、まるで光線銃の効果音のような奇妙な連続音が聞こえ始める。


「え……?」


 音だけじゃない。フロア全体がグニャグニャと歪んでいるように見える。目眩だろうかと自分自身を疑ったが、周囲もざわついているため、恐らく自分だけに起きていることではない。


「うわ……なんgfsp……msfrs……」


 友沢が何かを言っているが音の伝達にも支障をきたしているようだ。空間の歪みは急激に増大し続ける。


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