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私の人生はそれなりに幸せだった。両親が残してくれた広い家、それなりの財産、愛する人、そして純也君の存在。時雄は私と暮らし始めてから三十年弱もの間、一度も私と目を合わせてくれることはなかったけれど。それでも時雄が私のもとを去ったり、誰かのものになったりするよりかはずっとましだった。
私は献身的に時雄を支え、純也君の成長を見守っていた。
そんな生活に暗雲が立ち込めたのは今から半年ほど前のことだった。時雄の身体に癌が見つかったのだ。
「年を越せるかどうか、ですかね」
診断した医師は無責任にそう言い放った。
ウェルナー症候群である彼は、そうでない人間に比べて寿命が短い。そのことはずっと前から覚悟していたはずだった。だがその宣告はあまりにも突然で私の心を乱した。
時雄のいない世界で生きていけるだろうか。私は毎晩そのときの孤独を想像しては泣いていた。何度も神様に縋り、呪った。
そしてある日、一つの結論にたどり着いた。時雄のすべては私のものだ。たとえ病であろうとも私から彼を奪うことは許さない。どうせ死ぬのなら私の手で時雄を殺そう。そして私も彼の隣で最期を迎えようと。
だが今すぐにではなく二人の思い出を巡ってからだ。二十八年前、私たちが最も輝いていた頃の記憶を再現してからでも遅くはないだろう。そして被害者たちには祈っていてもらおう。この計画がうまくいくように、来世でも時雄と一緒にいられるように。
私は入念に計画を練りあげ、頭の中で何度もシミュレーションを繰り返した。二十八年前の私たちは未成年だったので、たとえ捕まったとしても少年法が守ってくれるという気楽さがあった。けれど今は違う。この計画は絶対に失敗することはできないのだ。
偶然入ったバーで間宮慧斗と出会ったのはちょうど一件目の犯行を終えた直後だった。計画通りに犯行を成し遂げた私はひどく興奮していた。あの頃の甘い記憶が蘇り、高揚感が全身を包み込んでいた。そんなときに目の前に現れた彼は、とても魅力的に思えてしまったのだ。
一晩かぎりの関係のつもりだった。相手をしてくれる人間なら誰でもよかった。しかし間宮の方は違っていた。しつこく関係を迫り、自宅や診療所にまで押しかけてくるようになったのだ。
もちろん相手にしなかったのだが、次第に彼の行動はエスカレートしていった。そしてついに彼は私の秘密を知ってしまったのだ。二十八年前の私の日記を読み、過去の事件と現在起きているプレイキラー事件との関連性、そして伊崎家の秘密にたどり着いたのだった。
「この動画を警察に持っていったらどうなりますかね、先生?」
間宮はスマートフォンを私に見せながら言った。そこには、二件目の犯行を行っている私の姿を収めた動画が再生されていた。
「僕を愛してください。そうすればこの件は黙っています」
間宮に弱みを握られていたことは、正直どうでもよかった。彼はただ二十八年前に、私が時雄にしたのと同じことをしたまでなのだ。彼の気持ちは理解できた。それにいい身代わりができたとも思った。彼には適当なタイミングでプレイキラー事件の罪を被り自殺してもらえばいい。そのためには彼に部屋を貸している三島咲月を殺す必要があるが。
ただ気がかりだったのは時雄のことと計画のこと、そしてなにより純也君のことだった。間宮は時雄のことを私の父親だと勘違いしているから、まだいい。計画についても同じだ。私が彼を拒絶しない限り、彼があの動画を警察に持っていくことはないだろう。
だが純也君は違う。
間宮は純也君のことを完全に敵対視していた。
「その目。先生があの男を見るときの目が気に食わない」と彼は言った。
純也君が、かつて私が愛した男の息子だと知った彼は、より一層憎しみを深めたようだった。彼が純也君に手を出すのは時間の問題だと思われた。
「純也君とはなにもない。ただの医師と患者の関係だから絶対に手を出すな。それと二度と僕の真似もするな」
私はそう強く釘を刺した。なぜなら彼はもうすでに一度、私のクリニックに通っていたというだけの理由で、同じ大学の女子生徒を殺しかけていたからだ。しかも私の犯行を模倣して。
さいわい彼女は死なず警察沙汰にもならなかったが、もしも彼が捕まり、私の犯行までもが露見していたらと思うと心底ぞっとした。こんなくだらない男のせいで計画が失敗に終わるなんてありえない。
だから何度も間宮に念押ししていた。純也君には絶対に手を出すなと。
しかし彼は純也君の両親を殺してしまったのだ。
二人を殺害した日の夜、私の前に現れた彼は得意げな顔でこう言った。
「これで僕も先生と同じです」
眩暈がした。
茂さんと美代子さんを殺した?
どうして僕の邪魔ばかりするんだ、と言いかけたところで私は口をつぐんだ。ふと、ある考えが閃いたからだった。
「どこで殺した?」
私は訊いた。
「神社の近くにある、庭に松の木が生えた空き家です。二人の職場に電話をして、お前たちの秘密を知っていると脅したら、血相を変えてやって来ました。先生にも見せたかったなあ。二人の死に顔」
私は彼の話をうわの空で聞いていた。頭の中は先ほど思いついた計画でいっぱいだった。なんだ、こんな男でも役に立つことがあるじゃないか。
私はすぐに空き家に向かった。
玄関に置いてあった茂さんの靴に履き替えて二階に上がる。少し大きかったので靴ひもをきつめに結んだ。
部屋の真ん中に横たわっている二人の姿を見たとき、私の胸にかすかな寂しさが込み上げてきた。彼ら夫婦が私のことをどう思っていたのかは知らないけれど、私は二人のことが好きだった。純也君を立派に育て上げてくれたことはもちろんだが、彼らが純也君を見るときの眼差しが本当に愛に満ちていたからだ。
目を見開いたままの彼らの瞼をそっと下ろし、目を瞑らせた。手を合わせ黙とうする。彼らの死に触れただけでこんな感傷的な気分になるのなら、時雄が死んだとき私はどうなってしまうのだろう。そんな疑問が脳裏をかすめたが努めて考えないようにした。
二人の遺体を発見した純也君はどんな反応をするだろう。泣きわめくだろうか、それとも現実が受け入れられず呆然と立ち尽くすだろうか。いや、と私は首を振った。
純也君ならきっと遺体の全身をくまなく精査し、犯人につながる証拠を見つけようとするだろう。
彼の行動は手に取るようにわかった。なぜなら私は二十七年間ずっと、彼を見続けていたのだから。困っている人間がいれば手を差し伸べ、悪事を働く人間がいれば容赦なく弾劾する。そして両親を殺されれば迷わず復讐する。そういう男だ。
私は彼らの手首を縛っていた縄をほどくと、持参した縄で再び手首を縛りなおした。結び方はもちろん縦結びだ。
結び終えた私は立ち上がり足元を見下ろした。私が履いていた靴の靴ひもは縦結びになっていた。子供のころからの癖だった。昔から私は蝶々結びがうまくできず、どうやっても縦結びになってしまうのだ。自分の靴ひもを結んだときも、時雄の靴ひもを結んだときも。
そのことについて何度か純也君に注意されたことがある。警察学校は身だしなみに厳しく、帽子のかぶり方から靴ひもの結び方に至るまで徹底的に叩きこまれたので、他人の身だしなみにもつい目が行ってしまうのだと、彼は言っていた。
これは私から純也君へのメッセージだ。
これを見た純也君はきっと私に疑いの目を向けるだろう。
だがこれだけではまだ私を犯人だと確信させることはできない。そのためには千葉の山中に眠っているあの二人の遺体を掘り返す必要がありそうだ。
警察よりも先に私が犯人であることに気がついてくれるかどうか、少し不安が残るが純也君ならきっと大丈夫だろう。私を追い詰め、そして殺してくれるはずだ。
私は時雄を殺し、時雄の息子である純也君に殺される。最高の筋書きじゃないか。
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