5-4

 *


 宮原は後輩巡査を引き連れて神山市内にある繁華街に来ていた。後輩といっても純也ではない。彼とは違い、無口で従順で手のかからない、けれど少しとっつきにくい男だ。

 午前九時半過ぎという微妙な時間帯のため、通りにはあまり人の姿はない。時おり見かけるのは、二日酔いの青ざめた顔でふらつきながら歩いていく若者と、道端でいびきをかいているスーツ姿の男ぐらいだ。

 二人は昨日から何百回も何千回も、道行く人々に同じことを聞いて回っている。

「あのう、すみません。ちょっとよろしいですか」宮原は千鳥足の男に声をかけた。怪訝な顔で立ち止まる男の目の前に、写真を差し出した。そこには間宮の顔が写っている。「この男に見覚えはありませんか」

 男はろくに写真を見ないまま、鬱陶しそうに手を振ると、歩き去っていった。

「また空振りですね」後輩が腕時計を確認する。「もう交替の時間が過ぎています。そろそろ引き上げましょう」

 交番の夜勤は午前九時半までである。日勤の勤務員との交替時間はもうとっくに過ぎていた。けれど宮原はもう少しだけ粘っていたかった。当然だ。純也の両親が殺されたのだから。自分が彼のためにできることと言えば、伊崎夫妻殺しで指名手配されている間宮の行方を追いかけることくらいなのだ。

「もうちょっとだけ。あの人に話を聞いてから戻ろう」宮原の視線の先には、店の前で掃き掃除をしている、髭面の若い男性の姿があった。

 後輩がため息をつく。宮原はイエスと受け取った。

「すみません、ちょっとよろしいですか」

「あら、お巡りさん。どうかしました?」男が顔を上げる。柔らかい話し方と店の看板から察するに、ゲイバーの店員なのだろう。

「この男に見覚えはありませんか」

 男は間宮の写真をまじまじと見つめ、それから、あっと声を上げた。「この男!」と写真を指さしている。

「ご存じですか」

「こいつ逃亡犯でしょ、捕まったの?」

 色めき立っていた宮原の笑顔が急速にしぼんでいく。「ええ、まあ、そうですが」

「かわいそうにねえ、あのおじさん。この男の身代わりになっちゃって」

「身代わり?」と宮原。

「一か月くらい前にあった喧嘩の件で来たんでしょ? この店の前で酔っ払いの喧嘩があったじゃない。肩がぶつかったとかなんとかで」どうやら彼は間宮が指名手配されていることを知らないらしい。男が宮原の肩を軽く叩く。「ていうか今話してて思い出したけど、お巡りさんもその場にいたじゃない。覚えてるわよ、私。ほら若いイケメンのお巡りさんと一緒に駆けつけてくれたのに。もう忘れちゃったの?」

「わ、私がですか」

 宮原は制帽のつばに手をかけながら視線をさまよわせた。表情にこそ出さなかったが、宮原は彼の言葉を頼りに頭の中にある記憶の引き出しを片っ端からこじ開け、引っ搔き回していた。先月、酔っ払いの喧嘩、肩がぶつかった、純也と出動…。

 しばらく考えた後、ようやく一つだけ思い当たる出来事が宮原の脳裏に蘇った。しかし…。

「心当たりがあるのですか」後輩が訊く。

「あるにはあるんだが…」宮原は言い淀む。「その酔っ払いってひょっとして太った禿げ頭の男ですか、背の低い?」

「そうそうそう、その小男」と男が何度もうなずく。

「その話、詳しく聞かせていただけますか」

「そこに写っているイケメン…、えっと」

「間宮です」後輩が言う。

「先月くらいに間宮とその連れの男の人──たしかおじさんだったと思うけど──が二人でうちの店に来たのよ。恋人同士らしくて、しばらく飲んでいたんだけど店を出たときにね、ちょうど前を通りかかった小男とおじさんの肩がぶつかっちゃったわけ。そしたら小男が騒ぎ始めたの。『てめえどこに目えつけてんだ』って。おじさんの方はちゃんと謝っていたのよ。でも間宮は完全にブチ切れちゃって」

「それで間宮が小男を殴った?」と宮原。

「そ。そこから殴り合いの喧嘩になって私が通報したってわけ。でも警察が来るまでの間に、連れのおじさんが間宮を逃がしちゃったのよね」

 なるほど、それで間宮のことを“逃亡犯”と言ったわけか。

「どうしてそのことを話してくれなかったのですか」宮原が訊く。

「間宮のことは黙っていてくれって、おじさんに頼まれたからね。それにもし警察沙汰になったら家族や職場に、若い男とゲイバーで飲んでいたってことがバレるかもしれないじゃない。そうなったら困る人だっているでしょ。だから言わなかったの」

「その男性はどんな風貌をしていましたか」後輩が尋ねる。

「痩せていて、穏やかそうな感じで、顔は悪くなかったはず。歳はどうだろう…、年齢不詳って感じだったからねえ…三十代くらい?」

「名前はわかりませんか」と宮原。

 名前は憶えていないけど、と前置きしてから男は口を開いた。「たしか“先生”って呼ばれていたわ」



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