「ギリギリ自殺に見えるかどうかが重要なんだ」

 時雄は人差し指と中指の間に挟んだ煙草を、指揮棒のように振り回しながら言った。やけに鼻にかかった甲高い声である。たぶん英語のナントカ先生の真似をしているのだと思う。

「ナイフで刺すなんて、もってのほか。愚の骨頂」

 私は「はい」と片手を上げ、彼に質問をした。

「どうして自殺に見せかける必要があるのですか、先生?」

「いい質問だね」

 時雄は私の頭をくしゃくしゃに撫でて言葉をつづけた。

「俺たち殺人犯が最も避けるべきことは何だと思う?」

「警察に疑われることです」

「では警察に疑われないようにするには、どうすればいい?」

 私は少し考えこんだ後、はっとした様子で顔を上げた。

「…そっか、そもそもこれは殺人事件ではないと、警察に思わせたらいいんだ。そうすれば容疑者になることもない」

「細く長く殺人を続けたければ、見ず知らずの人間を無差別に、自殺に見せかけて殺すのが一番いいってこと」

 時雄は机を挟んだ私の向かいに座り、グラスに缶チューハイを注いだ。机の上には空になった空き缶が三本転がっている。ほとんど時雄が飲んだものだ。お酒に弱い私は舐める程度しか飲んでおらず、素面に近かったが、その時の私はものすごく浮かれていた。

 なぜなら私はその日初めて、時雄の家にあげてもらっていたからだ。私の部屋より少し小さい、ごく普通の和室。部屋の真ん中にある机、シーツの乱れたベッド、漫画本が並んだ本棚…。そのすべてが私の胸を高鳴らせた。

 時雄も誰かを家に呼ぶのは初めてのことらしい。理由を聞くと彼は、「俺が家にいると親父がいい顔しないんだ。俺は、母親が浮気相手の種を孕んでできた子供だから」と答えた。

 その話を聞いたとき、実は内心、飛び上がるほど嬉しかった。だって私の家庭も似たようなものだったから。両親は手のかかる弟ばかりを溺愛し、私のことを見てくれたことは一度だってなかった。家に居場所のない私たちがこうして巡り合えたのは、きっと運命なのだと思った。

「なにニヤニヤしてんだよ」

「なんでもない」

 私は慌てて話題をそらした。

「自殺に見せかけるのが大切だというのはわかったけど、昨日のは、ちょっとやりすぎじゃないかな。流石にあれは自殺には見えないと思うけど?」

 私の脳裏には昨日殺した女性の姿が脳裏に浮かんでいた。ホテルの屋上から逆さ吊りになっていた女性。あれを自殺だと信じてくれるほど、日本の警察が間抜けだとはとても思えなかった。

「そりゃ、最初は他殺を疑うだろうな。でもよくよく調べてみると、あらびっくり。足首を縛っているロープは、女が自分で結んだ形跡があるし、屋上の手すりには女の指紋しかついていない。しかも女の腕には何本ものリストカット跡があるではありませんか。これはきっと…」

「…物好きな自殺者に違いない?」

「そういうこと」

 私は、ふうんと相槌を打ち、ぬるくなったグラスのお酒を舐めた。甘いような苦いような、あまりおいしいとは言えない味だった。

 時雄が怪訝な表情で私の顔を覗き込んだ。

「なんだよ、なにか不満か」

「不満じゃないよ。ただ疑問に思っただけ。どうして完璧に自殺に見える方法を取らないのかなって。昨日の女性も、逆さ吊りじゃなくて首吊りにしておけばよかったのに、わざわざ疑われる要素を残しているのはなぜ?」

 時雄はグラスを机の上に置き、私の隣に移動した。

「たしかにお前の言う通り、完璧に自殺に見せかけた方が安全だよ。だけどさ、それじゃ面白くないだろ」

 時雄の息が耳にかかる。腰のあたりが、ぞくぞくするのを堪えながらグラスを両手で握りしめた。

「これはゲームなんだ。俺たちと警察の。警察が自殺だと判定したら俺たちの勝ち、殺人だと判定したら俺たちの負け。今のところ2勝0敗だ」

「今回も勝てるかな」

「ビビってんの?」

 時雄の手が私の左頬に触れた。

 私の耳朶をくすぐる時雄の中指、唇をなぞる彼の親指の感触、彼の大きな瞳と、そこに映る私の顔。それから、アルコールと煙草の匂い。

 時雄と私の唇が重なる。二人の吐息が混じり合い、とろけるような甘い痺れが私の身体を支配した。


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