カメラのフラッシュが明滅する。…五回、六回、七回。何度もフラッシュがたかれるその様は、まるで記者会見だった。六畳の和室の中で行われる、私と時雄二人だけの記者会見。…いや、厳密にいえば四人だが。

 時雄は眩しそうに顔を歪めると、カメラのレンズにむかって手を伸ばした。

「しつけえって」

「記念だからいいじゃん」

 私はファインダーを覗き込んだまま、ひらりと彼の手をかわすと、もう一度シャッターを切った。時雄がうんざりした様子でため息をつく。しかし私は少しも気にならなかった。だってまた一つ、私と時雄との思い出の瞬間が切り取られたのだから。

「初めての殺人記念? くだらない。脅しにでも使う気だろ」

 時雄が煙草をくわえながら訊く。ちゃぶ台の上に置いてあった煙草の箱から、一本拝借したらしい。しかしライターが見つからないようだ。

「だから記念だってば。さあ日高時雄さん、初めての殺人を犯した今のご感想は?」

 私はテレビ台の上にあったジッポライターを時雄に投げてよこした。

「感想もなにも──」

 そう言って時雄は右手を広げライターを受け取ろうとしたが、つかみ損ねてしまった。銀色のライターは蛍光灯の光をチカチカ反射させながら、ささくれだった畳の上を跳ね、ちゃぶ台の下をくぐり、女の鼻先にぶつかったところでようやく動きを止めた。

 床に倒れ伏している女は、鼻先にライターがぶつかったというのに瞬き一つしない。充血し大きく見開かれた目には、額から垂れた髪の毛が一本だけ張り付いていた。女の後ろでは彼女の旦那が同じような姿勢で倒れている。どちらの顔も苦痛と恐怖に歪んでおり、お世辞にもいい死に顔とは言えそうにない。

 私はいま、名前も知らない話したこともない夫婦の家に上がり込み、彼らの死に顔をまじまじと眺めている。なんだか奇妙な状況だった。

 時雄はライターを拾って煙草に火をつけた。狭い居間に煙草の匂いが広がる。いつも時雄が吸っているものとは異なる、甘い匂いだった。

「本当に初めてなんだよね?」

 私の言葉に時雄は首を傾げた。

「だってあまりにも手慣れていたから、とても初めてには思えなくて」

 思い返してみると彼の動きはあまりにも鮮やかだった。風呂場の小窓から侵入するときも、夫婦の寝室に忍び込むときも、物音ひとつ立てなかった。それになにより時雄には迷いがなかった。

 せめて妻だけは助けてくださいと夫に懇願されたとき、私は決心が鈍った。何日も前から頭の中で予行演習を繰り返し、時雄と一緒なら何だってできると思っていた私ですら。それなのに時雄は、男の言葉には一切耳を傾けなかったのだ。

「初めてじゃないって言ったらどうする?」

 時雄の問いかけにしばし考え込んだ後、私は答えた。

「少しだけ寂しい。だって君と初めての経験を分かち合えなかったってことだから」

「かわいいやつ」

 時雄は結局、私の質問には答えてくれなかった。

 実際のところはどうなのだろう。本当に初めてだったのだろうか、それとも…。白い尾を引いて、すうっと上に昇っていく煙草の煙をファインダー越しに見ながら、私は考えていた。

 カシャッ。

 シャッター音とともにフラッシュが焚かれる。

 苦悶の表情を浮かべる二つの死体と、そのそばで悠々と煙草をふかす美しい時雄。その対比は私の心を強く惹きつけた。


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