2-3
*七月二日
丸山はギイギイ軋んだ音を立てる、キャスター付きの椅子の背もたれに寄り掛かった。取調室内のエアコンは作動しているが、今日は調子が悪いのかほとんど機能していない。
彼は暑さとニコチン欠乏症のせいで、貧乏ゆすりを止められずにいた。
「お前は川藤美希を殺害したことを認めるんだな?」
丸山は机を挟んだ向かいに座る岡田に目をやった。
深海魚のような顔立ちと、特徴的なマッシュルームカット、そして言動や行動の端々に現れる世の中を舐めきった態度。
嫌いなタイプの人間だ。
「彼女を殺したのは僕です」岡田が重苦しい表情で頷く。その態度に心がこもっていないことは誰の目にも明らかだったが、本人だけは上手く演じられていると思っているらしい。「僕は川藤さんに本当にひどいことをしてしまいました。あの日からずっと眠れなくて…。正直、刑事さんが逮捕してくれて、ほっとしているくらいです」
もちろん嘘に決まっている。岡田は今日まで散々、任意の事情聴取から逃げまわっていたのだから。それなのに、川藤美希の爪の間から採取されたDNAと自身のDNAが一致し、逃げられなくなった途端あっさり罪を認めたのだ。
丸山にはこれまでの経験から、彼が今なにを考えているのかが手に取るようにわかった。どうすれば少しでも刑が軽くなるか。岡田の頭の中にあるのはそれだけだった。
「それじゃあ、事件の経緯を最初から話してもらえるか」
「はい。たしか三週間くらい前に川藤さんをバーベキューに誘いました。あっ、でも誘ったのは僕ですが、計画を提案したのは山本さんです。彼女、川藤さんが自分よりもSNSのフォロワー数が多いことに嫉妬していたんです。だから山本さんは、『あいつ最近調子に乗っているから、ちょっと懲らしめてやろう』と言っていました」
「懲らしめるとは、具体的に?」
「川藤さんに睡眠薬を盛り、眠っているところを襲って撮影する、という計画でした。僕は反対したんですよ。でも山本さんがあまりにもしつこいので仕方なく…」
「薬はどこで入手した?」
「僕が病院で処方されたものです」
丸山は机に両肘をついて、岡田の方に身を乗り出した。「病院の記録によると、あんたは約一年前から睡眠薬を処方してもらっているようだが、薬を悪用したのは今回が初めてなのか」
「も、もちろんです」岡田は生唾を飲み込んで答えた。
彼のあからさまな態度は、今回が初めてではないことを雄弁に物語っていた。つつけばいくらでも余罪が出てきそうだ。
「バーベキューに行ったメンバーの中に間宮慧斗という男がいただろ。あいつも共犯か」
「いいえ、あいつは関係ありません。川藤さんが間宮のことを好きなのは知っていました。だから間宮を呼べば川藤さんも来るだろうと思って、彼を参加させました。間宮は餌として連れてこられただけなんです」
丸山は椅子の背もたれに背中を預けた。椅子がギイッと音をたてて軋む。
捜査一課は岡田の調書を取る前に、山本美穂にも調書を取っていたのだ。間宮慧斗は餌としてバーベキューに参加させられただけで、川藤美希殺しには関わっていない、ということで二人の意見は一致していた。
山本が撮影した動画内にも間宮の姿はなかったので、二人の言う通りなのだろうが…。
「だったらなぜ間宮慧斗は行方をくらましているんだ?」
「さあ…。いつも、ふらっといなくなるような奴だったから」これも山本と同じ意見だった。
事件に関与していない人間がいなくなるとは一体どういうことだ。間宮が行方をくらましたのは警察が事件の捜査を始めたのとほぼ同時期である。そんな時期にいなくなるのは、私にはやましいことがありますと言っているようなものだろう。
それにもう一つ、丸山には気になっていることがあった。
間宮に部屋を貸していた三島咲月という女子大生に行方不明者届が出されていたのだ。間宮は川藤美希殺しには関与していないが、三島咲月の失踪には関与しているのではないか。丸山はそう睨んでいたのだ。
「本当に間宮の行先に心当たりはないんだな」
岡田が首を振る。
丸山はため息を吐いた。「そうか。だったらもういい。川藤美希たちとバーベキューに行ったときのことを話してくれ」
「朝の九時ごろに四人で集合して、僕の運転で予約していたキャンプ場に向かいました。でも途中で焼き肉のたれを買い忘れていたことに気がついたので、近くにあったコンビニに寄りました」
「それは何時ごろ?」
「たしか十時半くらいだったと思います。買い物を終えた後、キャンプ場にチェックインして、みんなで釣りや川遊びなんかをして楽しみました。バーベキューを始めたのは夕方の六時過ぎでした。その時に川藤さんの飲み物に薬を入れました。あっ、入れたのは僕じゃなくて山本さんですよ。僕は最後まで反対したのに山本さんが…」
丸山はうんざりした様子で口を挟んだ。「川藤美希は薬を飲んだんだな?」
「九時過ぎくらいに薬が効き始めて、ぐったりしていたので女子部屋として借りていたコテージに運びました」
「間宮はどうしてた」
「騒がれると困るので間宮にも薬を盛っていました。彼は川藤さんよりも薬の効きが早くて、川藤さんをコテージに運び込むよりも前に、眠気を訴えて自分の部屋に戻っていました。それで僕は、ベッドで寝ている川藤さんの服を脱がせました」
「山本はその間なにをしていた?」
「スマートフォンのカメラを回していました。『美希のやつ結構SNSで稼いでいるみたいだから、脅迫してお金を巻き上げてやろう』って言っていました。ほんと悪趣味ですよね」
丸山は、お前も十分悪趣味だろうが、と言いたくなるのをぐっと堪えた。最近は被疑者であろうと威圧的な発言は控えるようにと、上から口酸っぱく言われているのだ。
丸山は右手をくるくる回して続きを促した。
「それで服を脱がし終わって、いざ事に及ぼうとしたときに、川藤さんが目を覚ましてしまったんです。僕は、ベッドの上で暴れている川藤さんを抑えようとしたんですが、案外力が強くて…。揉み合っているうちに川藤さんが『ぎゃっ』と悲鳴を上げました。どうやら運悪く、僕の指がピアスに引っかかり、引き千切ってしまったようでした」
このときに川藤美希の爪の間に、岡田の皮膚片が挟まったのだろう。
「川藤さんは、自分の耳から流れ落ちた血を見て、真っ青になりました。多分そのときに、薬で朦朧としていた頭が覚醒したんだと思います。彼女はベッドから転げ落ちるようにして降りると、出口にむかってヨロヨロと走り出しました」
岡田はそこでいったん言葉を切った。喉の奥から後悔が込み上げてきて、思わず口をつぐんでしまったという感じではない。たぶん、どう話せば自分の罪が軽くなるかを考えているのだ。
「その…、山本さんが、逃げようとする川藤さんを引き止めようとした拍子に、川藤さんが転んでしまったんです。鈍い音がしました。転んだ際に、近くにあったテーブルの角に頭をぶつけてしまったようでした。何度揺すってみても起きなくて、どうやら死んでいるようでした。僕は警察を呼ぶように言ったんですが、山本さんが死体を川に捨てて自殺に見せかけようと言い出しました」
「それで?」
「死体に服を着せた後、車に乗せて近くの橋まで運びました。自殺に見えるよう欄干の近くに彼女の靴と鞄を置いて、死体を川に捨てました。それからは、コテージに帰らずに車で家に帰りました」岡田が媚びた目で丸山を見上げる。「あの、刑事さん。川藤さんを殺したのは山本さんです。僕は死体を捨てただけなので殺人で逮捕されることはありませんよね?」
「川藤美希の死因は溺死だ」
「えっ?」
「彼女は頭を打って気絶していただけで、死んではいなかった。動揺しているお前らは気がつかなかったんだろうがな。つまりお前のやったことは立派な殺人ってことだ」
「そんな…」
「殺人罪」丸山は岡田の顔の前に人差し指を立てた。「強制性交等未遂罪」二本目の中指を立てる。「傷害罪」三本目。「死体遺棄罪」これで四本目だ。
そして丸山は最後に掌を岡田にむかって広げ、彼の目を真っ直ぐ見据えながら言った。「それとお前、レイプドラッグを使ったのは今回が初めてじゃないだろ。俺たち警察は徹底的に余罪を追及していくから、どんな判決が下されるか楽しみにしておけよ、このクソ野郎」
岡田はしばし呆然とした表情を浮かべた後、背もたれに身体を預け、ぐったりと項垂れた。
岡田の頭頂部を見ながら丸山は内心、顔をしかめていた。クソ野郎はマズかったか。
取り調べを終えた丸山は喫煙所にいた。
隣にいる鈴木の腹の虫が、やけにうるさく騒いでいるなと思って腕時計に目をやると、時刻は午後一時半を回っていた。思ったより取り調べが長引いたようだ。
「いやあ先輩、さっきのは痺れましたよ。僕も今度の取り調べでやろうかな」クリームパンのような指の間に煙草を挟んだ鈴木が言う。「殺人罪、傷害罪、死体遺棄罪…、ええっと、あとはなんでしたっけ?」
鈴木が丸山に視線を向けたが彼はなにも答えなかった。べつに無視をしたわけではなく、気になることが頭の中を占領していたせいで、鈴木への返答に割くリソースがなかったのだ。なに、いつものことである。
「先輩、先輩」鈴木は丸山を肘でつついた。丸山はそれで我に返ったようだった。「どうして川藤美希の死体を見ただけで、男女の犯行だって気がついたんすか」
「川藤美希の服装を思い出してみろ」
「白い半袖シャツに、デニムのショートパンツ、それから裸足…。あ、シャツは前だけズボンの中にインしてたっすね。それがなにか」
「爪の間に皮膚片が残って、右耳のピアスを引き千切られるほど激しく犯人と格闘したのに、服には一切よれた部位がなかった。おまけにシャツは丁寧にズボンの中にたくし込まれていた。おかしいと思わないか」
「格闘の際に、犯人に服を引っ張られたりして服装が乱れているはずなのに、その痕跡がない。たしかに変っすね」
「だから俺は、犯人と格闘した時、川藤美希は裸だったのではないかと考えた。男との行為の最中になんらかのトラブルが起こり、頭を殴られた。犯人が服を着せたのは頭を殴った後だろうと思ったが、気になったのは服の着方だ。たいていの男は服を着せただけで満足して、シャツをズボンの中にたくし込むことはしない。ああいう細かいところに気が回るのは女だよ」
「なるほどっす。やっぱ先輩はすごいっす」鈴木は目をキラキラさせながら何度も頷いた。
その後もしばらく鈴木の称賛の言葉は続いたが、丸山は何も答えずただ煙草をふかしていた。煙草の先から出た一筋の煙は、白い蛇のように身をくねらせながら上へと昇っていく。丸山はそれを見るともなく見ていた。
「間宮慧斗の件っすか」
「川藤美希殺しに関与したならともかく、なんの罪も犯していない人間が行方をくらましたりするか? しかもよりにもよって、一緒にバーベキューに行った友人が殺されたって時に」
「それはそうっすけど…」
「それに行方をくらますのが早すぎないか。川藤美希が殺されたのは二十七日の深夜。間宮がコテージをチェックアウトしたのが二十八日の朝九時。同日十時に川藤美希の死体が発見され、警察が駆けつける。川藤美希の身元が判明したのは翌二十九日の朝で、俺たちがキャンプ場で岡田たちの話を聞いたのが十四時過ぎ。そのあとすぐ警察は事情聴取のために岡田、山本、間宮の三人のもとに向かったが、間宮だけはすでに行方をくらましていた。岡田や山本が逃げるならともかく、なぜ間宮が?」
「ニュースで事件を知って逃げたんすよ、きっと」
「川藤美希殺しに関与していないのに? あいつは岡田たちが犯行を行っていた時刻は、睡眠薬で眠らされていたんだろ。それに川藤美希の名前がニュースで報道されたのは三十日の朝だ。それまでは、“奥多摩で発見された身元不明の女性の遺体”としか報道されていない」
「つまり、岡田たちの犯行を知らない間宮はニュースを見たとしても、奥多摩で発見された遺体がまさか川藤美希だとは思わない、ってことっすか」
丸山がうなずく。
鈴木は「うーん」とうなり声を上げ、鼻から煙を吐き出した。
「二十八日の朝から二十九日の昼過ぎまでの間に、なにか姿を消さなければならない出来事が起こったはずなんだ」
「でも、いつもふらっといなくなるような奴だったと、岡田が言ってたじゃないっすか」
「間宮に部屋を又貸ししていた女も失踪していることについては?」
「三島咲月は過去に二度、家出をして行方不明者届を出された記録が残っているから、どうせ今回もただの家出だろうというのが、上の見解でしょう。それに三島咲月がいなくなった日は、岡田も山本も間宮もアリバイが確認されてるんすよ。事件性はありませんって」
鈴木の懸命の説得も丸山の耳には届いていない。丸山の頭の中にあるのは、三島咲月と間宮慧斗の不可解な失踪についての謎だけだった。丸山が長年かけて培ってきた刑事の勘が、この失踪の裏には何かがある、と告げていた。
鈴木は大きくため息を吐いた。「先輩、今日の昼飯おごってくださいよ。自分、神山駅の近くにある旨い蕎麦屋、知ってるんで」
「神山駅?」
「この前、馬込主任が話してるの小耳に挟んだんすよ。なんでも、神山交番の巡査が三島咲月について聞き込みをしているらしいって」
「神山交番か…」丸山は短くなった煙草を灰皿に捨て、鈴木の肩を叩いた。鈴木は時々こうして有益な情報を運んでくるので、丸山はわりと彼のことを気に入っていたのだ。
鈴木は嬉しそうに口を尖らせると、「っす」と呟いた。
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