第184話 虚飾の力

 石碑は神と世界の真実だけが書かれていて、これが何の為に書かれていることなのかは理解することができない。ただ、この石碑に文字を刻んだ人間は自分の同郷からやってきた人間に対してなにかを訴えかけようとしていたのだろう。そうでもなければ、こんな日本語でしか書かれていない石碑なんてものは作らない。


「まるちばーすというのはなんだ?」

「あー……自分が存在している宇宙とはまた別に、他の宇宙が無数に存在して……そこには自分とは違う人生を歩んだ自分もいるかも、みたいな?」

「つまり、お前がいた世界にも俺たちがいるかもしれないし、この世界にもまた別のお前がいるかもしれないということか?」

「いや……多分、この世界の俺はもういない」


 恐らく、俺の中にいたもう1人のテオドール・アンセムは、この世界の俺だったんだと思う。1つの肉体には1つの魂という法則を覆すことができたのも、魂が同一のものだったからなのかもしれない。


「それで、アザゼルはこの石碑を解読してなにがしたかったんだ?」

「……別に? ただ知りたかっただけだ。俺は最初から知識欲を満たすためだけに生きているからな」

「ミカエルと敵対したのも?」

「そうだ」


 へー……ルシファーとは違った方向で滅茶苦茶迷惑な奴だな。


「異世界の言語だったとはな……通りでどれだけ時間をかけても解読できなかった訳だ。この世界のどの言葉とも全く法則性が違う」

「そうかな?」


 俺はこの世界の魂と別の世界の魂が混じり合っているからなのか、どうも日本語とこの世界の言語は普通に読めてしまう。明らかになにかの力が作用しているような気もするけど……まぁ、それはいいか。


「アザゼル、これからどうする?」

「怖い顔をするようになったなルシファー……以前はもっと余裕のあるような表情を浮かべていたし、人間が死ぬことに対して感情を動かすこともなかっただろう?」

「今も人間が死ぬことに興味なんてものは持っていないつもりだ。しかし……今はこのテオドールに興味があって共に行動している。つまり、テオドールが望まないことはできないしやるつもりもない」

「そうか……お前はたかが数千年で随分と弱くなったのだな」

「なに?」

「守るべきものを作るのは弱さの証明だ。天族は何にも縛られない存在だからこそ地上を支配していた。魔族もそうだ……奴らも力という絶対的なものだけを信じていたから俺達天族に対抗できていた。弱い者を慈しみ、守る為に力を使うことは弱さでしかない」


 アザゼルの言っていることは、俺には全く理解できないことだった。

 弱い者を慈しむことが弱さならば、何故エリッサ姫やエレミヤはあれだけ強くあれるのだろうか。守る為に力を使うことが弱さなのだとしたら、何故アッシュやエリナはあんなに強いのだろうか。


「空っぽな奴だな」

「なに?」

「お前の力は空虚だ。知識欲に振り回され、自分がなんのために存在しているのかも理解できないあやふやな力……それがお前の正体なんだな」

「人間が、少し力を手に入れただけでこうして調子に乗る。何年経っても変わりはしないな」


 アザゼルの持つ力は「虚飾」だ。魂で相手を認識することができるルシファーが、最初に出会った時にアザゼルだと認識できなかったのは、その虚飾の力を使って存在そのものを偽っていたから。上から皮を被るようにして自らの本性を内側に閉じ込めていたからだ。しかし……一皮剥いて出てきたのは知識欲に振り回されているだけの虚栄の怪物。偽物であるとわかりながら恐れる者が何処にいるのだろうか。


「まぁ、別にお前がどうなっても俺には関係ないからいいんだけども……ただ、クーリア王国に手を出したら俺はお前を殺す」


 今の俺にとってクーリア王国は守るべきものだ。国そのものに興味はないが、仲間が住んでいる国を守るのは、そのまま仲間を守ることに繋がるからな。


「くっ……はははははっ! 少し力を得ただけで随分と大きく吠えるのだな人間は! やはり愚かで弱々しい生き物だ……すぐに俺が否定してやろう」

「ふぅ……ルシファー、手を出すなよ」


 さっきまで戦う気なんて全くなかったけど、今はこいつの顔面をぶん殴ってやりたくて仕方がない。トラブルに自分から首を突っ込むようであんまり気はすすまないが、うざい奴をそのまま放置してモヤモヤを抱えるぐらいならば、俺は相手をぶん殴ってスッキリしたいと考えるタイプの人間だ。


「安心しろ。死なないように手加減ぐらいはしてやるし、お前も本気なんて出さなくても構わないぞ」

「何故?」

「本気で暴れられて遺跡を滅茶苦茶にされたら困るし……負けた時の言い訳は多い方がいいだろ?」


 わざとらしい俺の挑発の言葉に乗って、アザゼルが突っ込んできた。


「人間、下等生物のお前にもわかりやすく教えてやるが……俺の力はルシファーよりも上だ。俺はミカエル共が人間の魂と同化してからもずっと、肉体を維持してあらゆる力を研ぎ澄まし続けてきた……年季の違いというものを俺が教えてやる!」

「時間が経ちすぎて腐り切った力なんて意味もないだろうが」


 正典ティマイオスを起動してアザゼルを掴んだまま空へと飛ぶ。周辺の被害を考えてのことだが、アザゼルはわざとらしく魔法を連続で放って地上の遺跡を幾つか破壊した。


「はははは! そらぁっ!」

「屑が」


 天族でここまでの屑は見たことがない……さっさとぶん殴ってしまおう。

 放たれた魔法を素手で弾きながら一気に近づいてアザゼルの翼を掴む。俺の移動速度に驚いたのか、それとも翼を掴む膂力に驚いたのかは知らないが目を見開きながら何かを言おうと口を開いたので、口から言葉が出てくる前に翼を思い切り引っ張って投げ飛ばしてから、思い切り顔面に拳を叩きこむ。


「んぶっ!?」

「何千年経っても成長しない馬鹿にはこれくらいの鉄拳制裁が必要だろう、よっ!」


 顔面をぶん殴ってからも反抗しようとしてきたのでそのまま腹にも拳を叩きこんでから……背後から迫ってきた1の顔面にも裏拳を叩きこむ。


「ぐっ!? 何故だっ!?」

「悪いが、この状態になると目が良くなるんでね」


 正典ティマイオスを使うと俺は極端に視界が広がって世界を上から俯瞰しているような感覚になる。だから、空中に投げ出されてから虚飾の力を使って分裂したように見せたことなどとっくの昔に気が付いている。俺が最初に殴ったのが偽物で、背後から迫ってきたのが本物だ。しかし……虚飾の力ってのは凄いな。まさか殴った感触まで作り出せるとは思わなかった。

 本物のアザゼルの顔を殴りながら、俺は偽物を殴った時の感触を思い出してしまった。

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