第170話 正典

「いきなり人間じゃなくなるって言われても、ピンと来ないんだよな……どういうことか説明してくれるのか?」

『別に僕は1から10まで説明してもいいけど……いいのかい? この空間は外の次元とは時間の進み方が違うんだ! とかになってないから、僕と1秒喋れば外でも1秒が過ぎるよ』

「え」

『つまり、僕と10分話せば、君の仲間があの怪物と10分、君無しで戦うことになる』

「それをさっさと言え!」


 じゃあ、あんまりグダグダしてられないじゃないか!


「結論から話せ!」

『うん。複数の魂を結合させると、人間としての位階を超えて人間じゃなくなってしまう。別にそれ自体はそんなに悪いことでもないけど、少なくとも君は他の人間と同じ時間で生きていくことはできなくなる。後、見たくもない世界の真実とかが見えてしまうかもしれない』

「……話が長い! 強くなれる代わりに寿命がなくなって人間としてのまともな生活ができなくなるってことか?」

『まとめるとそんな感じかな?』


 クドクドと語りやがって……こいつ、本当に俺と同じ身体に入ってる奴か?


『あ、ちなみに同じ身体を共有しているから思考は筒抜けだよ』

「それももっと早く言え!」


 なんなんだこいつ!?


『自分の身を怪物に変えてまで怪物を倒したいと思うかい? 先に言っておくけど、人間はどこまでも醜くて、世界はどこまでも残酷で、神って奴はどこまでも気まぐれな存在だよ? それでも……なんて、聞くまでもなかったね』

「当たり前だ。そんなことで嫌になるんだったら二度目の人生なんて送ってない」


 神がどこまでも気まぐれで無責任で誰も救わない存在なんてのはしっかりと知っている。

 世界がどこまでも残酷で救いがなくて未来に希望なんてないかもしれないことなんてきちんと理解している。

 人間がどこまでも醜くて汚くて救いようのない連中なんてことは俺が身をもって知っている。


「それでも助けたい人がいるし、大切にしたい世界があるんだ。神はぶん殴ってやりたいけどな」

『神をぶん殴る……良い目標だね。僕も神は嫌いなんだ……だから、君と一つになって殴ることができるのなら諸手を挙げて賛成させてもらおうかな』

「よし、なら俺はお前の力も人格も魂も全て貰う。その代わり、絶対にいつか高い所でこちらを見てせせら笑っている神をぶん殴ってやる。これは俺とお前の約束だ」

『約束……いいね。僕が意識をもって最初で最後にやることが約束か。人間らしく君が約束を反故にするのか、それともしっかりと君として律儀に約束を守るのか……見守ることはできないけど、楽しみにしているよ』


 偽典原典の魂が結合していく。ルシファーに言われていたよりも、ずっとスムーズに俺の魂が1つになっていくのを感じる……これは、彼が身を引いてくれたからだろうか。いや、俺と彼は元々1人だったから……違うな。理由なんてどうでもいい……ただ、俺と彼テオドール・アンセムは未来の為に自分の命を捨てるかもしれない選択をする馬鹿だって話だ。


「ん……はは、これが俺たちの新しい力か? 小さいなぁ」


 五感が戻ってきた俺の手の中に握られていたのは……白と黒の装飾が施された直剣だけ。2人の魂をくっつけたにしては余りにも小さくて細い剣に少し笑ってしまったが……これが本来の俺なんだろうな。

 この世界にやってきて、魔法の才能を持って生まれたからここまで優秀な人間として生きてこれたけど、元々は小さな一般市民だった訳だからな。俺の本質を表すにはちょうどいい小さな剣だ。


「よっこいしょ」


 ゆっくりと立ち上がって空を見上げると、複数の影が飛び回ってはド派手な魔法を放っているのが見えた。まだみんなやられた訳ではなさそうで安心したよ。

 さっさとクラディウスを倒してしまおうかと思ったが、それよりも先に俺の所になにかが突っ込んできたので普通に受け止めたら、エリクシラだった。


「うっ……」

「大丈夫か?」

「てお、どーるさん?」


 意識が朦朧とした様子で、頭から血が流れているがそれ以外の外傷は見当たらないので、多分頭を殴られたとかで意識が朦朧としているのかな。


「他人を治癒するのは苦手だから自分で治せよ?」

「は、はい……あの、雰囲気変わりました?」

「気のせいだろ」


 そこまで大きく変わったつもりはないけど……確かにちょっと余裕ができたかな。ずっと異世界から魂だけ飛ばされてきたと思っていたが、実際に知識としてこの世界は数多くある箱庭の一つでしかないと知覚すると、物凄く世界が狭く見えてしまうものだ。それは、子供の頃に遊んでいた公園が大人になってから行くと異様に小さく見えてしまうような感覚で……なんとなく、寂しいような悟ったような。


「エリクシラ、大丈夫……って、テオドール?」

「エリッサ姫じゃん。傷は酷くなさそうだけど、無理はしない方がいいぞ?」

「え、そ、そうね」


 エリクシラを心配してこちらにやってきたのだろうエリッサ姫は、俺の顔を見て言葉を聞いてからなんとなくぎこちない返事をした。そこまで変なことを言ったつもりはないけどな。

 なんて言っていたら、木々の間から魔獣が何体も飛び出してきた。恐らく、ずっとエリクシラたちが戦っていた魔獣だろう。


「くっ!?」

正典ティマイオス


 名を呼べば、細身の剣……正典ティマイオスは応えてくれた。

 魔獣たちに向かって軽く振るうと、その身体を簡単に両断して消し飛ばす。


「嘘っ!? あの魔獣は、再生して無限に湧いてくるんじゃ!?」

「大丈夫、俺がすぐに終わらせるよ……あれを斬ればいいんだからな」


 空に浮かびながらこちらを見下ろす8つの眼。心底気に入らないな……あの全ての生物を見下すような傲慢な瞳。俺の心の中の激情に反応しているのか、手の中に握られている正典ティマイオスもまた、熱を持ちながら震えている。

 約束したからな……この力を使ってクラディウスを倒し、いつか必ず神をぶん殴るって。だから、今はとりあえずあの龍を斬るところから始めよう。


 俺が望めば、翼もないのに身体がふわりと宙に向かって浮き始めた。全能の光ルシフェルのように空を蹴っている訳でもなく、翼を使って羽ばたいている訳でもない……本当に、俺が望む場所に勝手に連れて行ってくれているようだ。


「テオドールっ!?」

「なんだ、あの力は」

「ふっ……クラウディウス、お前も終わりかな? あれは私でも少しやばいと思えるぐらいの力を持っているように見えるが、お前にはどう見える」

「ルシファー、話を盛るなよ」


 空中で取っ組み合いになっているルシファーとクラディウスを無視して、頭上の龍に狙いを定める。


「斬ってやろうじゃないか」


 正典ティマイオスが、白く光り輝いた。

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