第138話 死の天族
『……何故、傷を癒した』
「そりゃあ、アイビーの身体に傷がついたまま放置するのは嫌だからだよ」
自分の傷を回復させるのは得意だが、他人の傷を回復させるのはそんなに得意じゃないのでちょっと時間はかかったが、なんとかアイビーの腕に刻まれた傷を治すことができた。俺が傷を治している間、素直にじっとそれを見つめていたサリエルは、なんとなく複雑そうな顔をしていた。
『ルシファーを身体の内に秘める人間など、碌な奴ではないと思い込んでいたんだが……どうも、随分とまともな人間の様で安心したよ』
「それ、ガブリエルにもミカエルにも言われたんだけど……どんだけルシファーは嫌われてんの?」
『蛇蝎の如く嫌われていた。なにせ、メタトロンによって幽閉されていた後、誰一人として助けに行こうとしなかったぐらいだ……力を求めてミカエルと敵対したアザゼルでさえも、あの女を解放することには反対していたのだから、相当なものだと思う』
えぇ……ミカエルたち七大天族の勢力にも、敵対したアザゼルたちの勢力にも嫌われてたのかよ。
『……僕のこの嫌悪感が、魂の持ち主であるアイビーに少なからず影響を及ぼして、君に対する警戒心と懐疑心を生んでしまった。すまなかった』
「え、まぁ……それは俺が悪かった部分もあるし、俺だって清廉潔白な人間じゃないので、貴方みたいな天族には嫌われるかなとは」
『天族は決して清廉潔白な種族ではないよ。少なくとも、感情で魔族と絶滅戦争を起こしてしまうぐらいには、先走りやすい種族だと思う』
それは、ある程度以上の知性がある生命体なら仕方ないんじゃないかなって思うよ。
『それで、ガブリエルとミカエルの名前を出したと言うことは、君は元七大天族を訪ねている、ということでいいのかな?』
「そう、ですね……少し長くなりますが」
それから、俺はサリエルにクラディウスが現れる時期が近いことを教え、ミカエルから教えられた様々なことを伝えた。
俺の話を聞いて、サリエルは考え込むような仕草を見せてから、ちらりとルシファーに視線を向けた。
『なるほど……未来視の魔族アスタロトか。確かに、僕の記憶の中にもその魔族の名前はある……彼女には特異な力があるとは聞いていたけど、まさか未来視とは』
「ミカエルは、サリエルなら反対したかもしれないって言ってたけど」
『当時なら間違いなく反対した。未来視の力を持った魔族と接触し、魔族も天族も衰退する未来を先に知っていたのならば、ミカエルはそれをしっかりと僕らにも情報共有すべきだった。ただ……今となってはもう遅い話で、実際にその通りになっているのだから反対する意味はないよ』
おぉ……結果的には、ミカエルがこの時代まで黙っていたから、サリエルは簡単に説得できたってことなのかな。こうなることを知っていて、ミカエルは喋ればわかってくれるって言ってたのか、それともただの偶然なのか……マジで想像がつかないのが、不気味な所だな。
『それと、クラディウス……僕らの言葉でいうところのクラウディウスのことだけど、協力するのは勿論構わない。この身体の持ち主……アイビーだって、きっと国を守る為には協力してくれるだろう』
「でも、ちょっと乗り気じゃないんだよなぁ……」
『それは仕方ないことだよ。彼女は、今までずっと自分を殺して生きてきたんだから。急に世界の危機だとか、過去の天族の話なんてされても、そもそも根本的に他人を信じるという部分が未発達なんだ』
雇い主も、俺が殺した訳だしな。
「くだらないな。ならその自分を殺したまま、クラウディウスにだけ対抗すればいい。滅ぶぐらいなら、自分を殺して憎い相手と手を組んだ方がマシだろう?」
『……人の感情と言うものは、そんなに簡単じゃない。あれから数千年も経っているのに、そんなこともまだわからないのか、君は』
「わかりたくもないな、弱者の思考なんて」
背後で黙って聞いていたルシファーは、うんざりって顔をしながらそう言った。まぁ……俺は最初からルシファーがそこら辺を理解できるとは思っていない。そして、サリエルがそういう考え方をするルシファーと相容れないってことは、今の一瞬でも納得できる。
勘違いしてはいけないのだが、別にルシファーは悪意があって言っている訳でもなければ、悪意を持って人間が滅べばいいとかも思っていない。ただ、彼女は唯我独尊で自分さえ全て良ければいいと思っているだけで、積極的に他人を害そうとする性格ではない。傍迷惑なことには違いないが、悪意のある存在ではないのだ。
『テオドール・アンセム君、アイビーの説得には僕も加わろう。彼女が僕の力を使えるようになってから、ずっとそばで見つめていた相手だ。彼女の心に響く言葉も、僕なら言えるはずだ』
「助かるよ……俺とアイビーの間にある信用は、かなり薄まってるからな」
アイビーは別にフローディルに心酔していた訳ではないだろうが、少なくともそれなりに親しい知り合いが殺されたとなればあまりいい感情も抱かないのも事実。そして、俺の中にルシファーが入ったことで、サリエルからの心証が悪くなったことが影響していたのもまた事実だろう。
幸運なことに、サリエルはミカエルの言う通り、言葉を使えばしっかりと理解してくれる人物だった。ルシファーとの喧嘩は放置するとしても、クラディウスに対抗しようって話にはきっと参戦してくれるし、他の天族との関係も良好そうなので心強い助っ人になってくれるだろう。
「後は
『レミエル……彼は、気分屋だから気を付けるんだよ。まぁ、君なら多分気に入ってくれると思うけど』
それ、ミカエルからもなんとかなるとか言われたけど、本当にどんな奴なんだよ。
隣に感じていた気配がすーっと遠ざかっていくのを感じて、右に視線を向けたら……アイビーの瞳がいつも通りの黒色に戻っていた。
「ん……私、は」
「大丈夫か? 怪我は治したけど、痛い所があったら言ってくれ……下手だけど治せるから」
「テオドール、さん?」
意識が覚醒したばかりでぼんやりとしていたアイビーは、俺の顔を確認してから数秒で立ち上がって
「
「サリエルが止めてくれたな」
「ルシファーが引っ込んでろ」
お前が喋るとややこしくなるから。
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