第136話 影の人型
「あー、取り敢えずちょっと落ち着いて欲しいなって──」
「はぁっ!」
ちょっとは言葉を使って説得しようと思ったのだが、それよりも先にアイビーが
ミカエルは「サリエルは話せばわかる」みたいなこと言ってたけど、サリエルじゃなくてアイビーが話してもわからないタイプの人間だったか。今まで俺に協力的だったのは、前の雇い主でもあったフローディル内務卿が俺に興味を持っていたからであって、それが無くなってしまえばアイビーは俺のことを、国にとって脅威かどうかだけで判断するってことだな。流石に、幼い頃から諜報員として育てられていると言うだけあって、そこら辺の非情さは持ち合わせているか。もしかしたら、その経歴だって嘘かもしれないしな。
「んー……まぁ、いいか」
「っ!?」
「ちょっと楽しませてもらおうかなっ!」
『それでこそだ』
よく考えてみると、アイビーと本気でやり合ったことはなかった。だからこの機会に、存分にやり合っておくのもいいかもしれない。
「ぐっ!?」
「ちょっと付き合ってもらおうかな」
その勢いのまま、屋内訓練場の窓から外に向かって飛び出し……学園郊外の平原に向かって投げ捨てる。空中で態勢をなんとか立て直そうとしているアイビーの横を自由落下しながら、俺は腰のウルスラグナを抜く。
地面に叩きつけられる直前で、アイビーは地面にできた影に沈み込むことでなんとか落下の勢いを抑えたらしい。あの影に沈み込む力は……水に落ちるみたいなもんなのかな。
「
そのまま引きこもりになられても、戦いが長引くだけで面白くないので
アイビーの眼差しは……完全に敵を見るそれであり、そして何度も出会ったフローディルの手先の暗殺者と同じ目をしていた。やっぱり、アイビーも諜報員兼任の暗殺者なんだろうな。俺に語ったことも、全てが真実ではないだろう。今となってはどうでもいいことだが。
さっきの体術のみで戦った時もそうだが、アイビーは全ての行動は完璧に計算されているタイプだと考える。事前にプログラムされた通りにしか動けない機械のように、彼女は訓練によって手に入れた力を使っているだけ。だから、俺みたいにそもそも速度で上回っている相手や、アッシュのように受け身からのカウンターみたいなタイプには弱い。まぁ……それ以上に、彼女には土壇場の強さがないのだから、もしかしたら真面目に戦うとニーナの方が強いかもしれない。
こちらを突き刺そうと伸ばしてくる影の針も、動きは不規則のように見えて常に一定……そういう不特定の動きを嫌っているのがわかる。伸ばせる限界があるからそうなっているのではなく、本当に柔軟性がないのだ。それは、幼い頃から「こうあるべき」と抑圧されてきたからなのか、それはわからないが……とにかく、この程度の攻撃でやられるほど俺だって甘くない。
『つまらんな』
「そう言うなって」
俺の中で眺めているルシファーも気が付いているのか、さっきまでそれなりにテンションが高かったのに、俺がアイビーの攻撃に対応して避け続けている現状を見てつまらないと切り捨てた。
『陰険がついているからまだ面白いかと思ったが、こんな人形ではな』
「でも、アイビーはそんな単純な人形じゃないと思ってるよ」
『そこは知らん。ただ……サリエルの名を汚すような戦い方は、見ていてちっとも面白くない』
なんだよ……嫌ってる癖に、それなりに認めてはいるんじゃないか。いや、認めているからこそ嫌っているのかな……なんでそんなツンデレみたいな性格しているのか知らないけど、とにかくルシファーはサリエルの力を使いながら、不甲斐ない戦いをされるのが気に入らないらしい。
全ての攻撃を避けられているのに焦りの表情を浮かべることもないアイビーは、ルシファーの言う通り人形のように見えるが……それでも、彼女には意思がある。彼女は国の諜報員で、俺に情報を流して仲良くしていたのはあくまでも必要だったから。俺に語ったことは全てが真実ではなかったのだろう……でも、全てが嘘だった訳でもない。
俺の胸元を狙って放たれた影をウルスラグナで弾いてから、一気に接近する。
「やめよう、これ以上やっても意味はない」
「……なんですか、それ」
最初はちょっと楽しめるかと思ったけど、想像以上にアイビーの戦い方はつまらなかった。だからもうやめようって声をかけたら、拳が飛んできた。
「このっ!」
「……」
右の拳が顔面に、間髪入れずに左の膝、同時に俺の背後で影を動かして腹部を貫く。攻めのパターンがいつも同じで……つまらない。
拳を受け止めてから、膝を足で弾き、背後からこちらを狙ってきた影は
「アイビーは、なにがしたいんだ?」
「私から言わせれば、貴方の方が理解できませんけどね」
「そうか? まぁ……俺はサリエルと会話ができればそれでいいんだけどね」
「っ!」
アイビーが再びこちらを攻撃しようとしたので、それよりも先に喉を掴んで地面に叩きつける。
「ぁっ!?」
『無理やり起こしてやれ』
「そうする」
今からアイビーを説得してサリエルを呼び覚ますことに協力してもらうことは難しそうなので、そのまま魂に眠っているサリエルを叩き起こそうとしたら……アイビーが意識を失って消えたはずの影が勝手に動き出した。
「おっと?」
『ほぉ……無意識で動かしている訳じゃなさそうだ』
「じゃあ?」
『だろうな』
明らかに、アイビー以外の意思によって動き始めた影は、こちらを攻撃するというよりはアイビーを守るように動いている。
蠢く影をじっと眺めていると……影の一部分が切り取られてアイビーの身体から離れた。それは、
「……やっぱり、動かしているのはサリエルか?」
『だから、そうだろうなと言ったはずだ』
だよね。
どんな理由があるか知らないけど、アイビーの魂に眠るはずのサリエルが勝手に動き出した訳だ。影の人型は、短剣の様なものを手に襲い掛かってきた。
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