第3話 仙台さんが甘いなんて噓だ(1)

 学校は好きでも嫌いでもない。

 どちらにしても行かなければならないものだから、どちらであろうと意味はない。今日だって、気は進まないけれど学校に来ている。くだらないことに気を落としながら。

 前髪が短い。

 トイレの鏡の前、私はため息をつく。

 肩より長いくらいの髪はカットに行くほどではなかったけれど、前髪が鬱陶しかった。だから、自分で切ることにしてハサミを入れたら、ほんの少し予定よりも短くなった。切りすぎた髪は、引っ張っても元に戻らない。後悔先に立たずで、前髪は諦めるしかなかった。

 でも、短くなった前髪を見るたびに憂鬱になる。こんなとき、することは一つだ。私は教室へ戻る。

『今日、うちに来て』

 スマホからメッセージを送る。

 打ち込む文章はいつも同じ。

 送る時間は二時間目の授業が終わった後だったり、昼休みだったり。放課後というときもある。ただ、どんな時間であってもこのメッセージは仙台さんにしか送らない。

 それは、去年の七月から半年と少しった今も変わらないことだ。

 返事はすぐに来ることもあれば、時間を置いてから来ることもあるけれど、断られたことはない。でも、予定があるから遅くなると言われることはある。今日はまさにその予定がある日だったらしく、仙台さんからの返事には『先約があるから、少し遅くなるけどいい?』と書かれていた。

『家で待ってる』

 こんなときの定型文を送って、授業を受ける。

 予定というのは、いばらさんとの約束に違いない。

 私はまどぎわの席から、ちらりと廊下側に座る茨木さんを見る。

 彼女は派手でノリが良くて、クラスの中心にいる人だ。いつも誰それが格好いいだとか、可愛いだとかそんなことばかり言っている。私には興味のない話ばかりが聞こえてくるから、別世界の人間だとしか思えない。それによくわからない理由で怒ることがあって、私たちの間では近寄らないほうがいい人で通っていた。

 仙台さんは、あんな人と一緒にいて疲れないのだろうか。

 先生の声を聞き流しながら、一番前の席に視線をやる。

 目に映るハーフアップにした髪は、れいに編まれている。

 彼女は私の部屋ではだらしがないけれど、学校では違う。気配りができて優しくて、勉強もできる。いつもにこにこしていて、嫌な顔をすることがない。そのせいか、クラスでも目立つグループにいるのに仙台さんを嫌いだと言う人はいない。

 でも、八方美人だと陰で言われている。

 真剣に授業を受けているように見える本人が知っているのかわからないけれど。

 私は、少しばかり短くなりすぎた前髪を引っ張る。

 授業は五十分のはずなのに、ひどく長い。先生の声はお経のようで眠くなる。

 私はもやがかかったような頭で二つの授業をこなし、家へと帰る。

 ただいまと玄関のドアを開けても、返事はない。家には誰もいないのだから、当然だ。

 部屋に入って制服のまま、ベッドに寝転がる。慌てて帰ったわけではないけれど、インターホンはなかなか鳴らなかった。

 うとうと、と。

 襲ってきた睡魔に身を任せていると、メッセージの着信を知らせるスマホにたたき起こされる。目を擦りながら画面を見れば、短い言葉が表示されていた。

『今から行く』

 それから、三十分。

 私は待たされ、彼女が部屋にやってきた。

「ごめん。遅くなった」

 五千円を受け取った仙台さんがコートと制服のブレザーを脱いで、テーブルの前に座る。

「いいよ。仙台さんが家に帰るのが遅くなるだけだし」

 彼女がどう答えるのかは知っている。

 私はサイダーを仙台さんの前に置き、向かい側に座ってベッドを背もたれにする。

「平気」

 うちは放任主義だから。

 何度か聞いたその言葉通り、今日も仙台さんは帰る時間を気にしようとしなかった。遅くなることに文句を言われないのは、それだけ家族に信用されているからなのかもしれない。

「ねえ、みや。今日、なんの日か知ってる?」

 唐突に言って、せんだいさんがかばんを開ける。

「──煮干しの日」

 二、一、四で、に、ぼ、し。

 二と四は良いけれど、一を〝ぼ〟と読むのは無理があると思う。けれど、語呂合わせなんてそんなものだ。少しくらい無理があっても、二月十四日は煮干しの日だと言い切ってしまえば大多数はそんなものだと納得するし、全国煮干協会が制定した記念日なのだから納得するしかないはずだ。

 でも、仙台さんは納得しないタイプらしい。

 眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに言った。

「そういうモテない男子みたいな答えいらないから。真面目に答えて」

「バレンタインデーでしょ」

 世の中は浮かれているけれど、面白くない日だ。

 昨日とさして変わらない。

「正解。たちと友チョコ交換することになっててさ、それで遅くなっちゃって。で、宮城の分も持ってきたから」

「え?」

「昨日、羽美奈たちにあげる分作ったからついでに作った」

 仙台さんが軽い口調で言って、丁寧にラッピングしてある箱をテーブルの上に置く。

 花柄のラッピングペーパーにピンクのリボン。

 中身は手作りチョコレート。

 すべて女子力が高くて、背中がむずむずする。

「いらない?」

 箱をじっと見たまま手に取らずにいる私に、仙台さんがげんな顔をする。

「私、返すチョコないし」

「友だちに渡さないの?」

「そういうのやらないから」

 好きな人に渡したいからと言って、バレンタインデーに向けてチョコレートを作る友だちはいる。誕生日にプレゼントを贈ることもある。でも、クリスマスだから、ハロウィンだからと、なにかイベントがあるごとにきゃあきゃあ騒いでプレゼントを贈りあうような友だちはいない。

 友チョコを交換するなんて習慣、異文化のものだ。

「そっか。ま、チョコを交換したいわけじゃないから、なにもなくていいよ。もらって。宮城がいらないなら持って帰るけど」

 仙台さんがにこりと笑って、「どうする?」と聞いてくる。

「……食べる」

「どうぞ」

 私はテーブルに置かれたわいすぎる箱を手に取って、リボンをほどく。ラッピングペーパーを破らないように剝がして、箱を開ける。

 白に茶色にピンク色。

 市販のものより小ぶりな六個のトリュフが鎮座していた。

「仙台さんが作ったの?」

「作ったって言ったじゃん。ちゃんと食べやすい大きさになってるでしょ」

 珍しく誇らしげに仙台さんが言う。

 確かに、トリュフは一口でぱくりと食べられそうなサイズに作られている。見た目はお店で買ってきたチョコレートみたいで、料理が苦手な私からしたら手作りという言葉が噓のようだ。

 神様は不公平だと思う。

 仙台さんは綺麗で、勉強ができて、料理もできる。同じ人間なのに、私は彼女が持っているものをなにも持っていない。

 ずるい。

 思わずチョコレートをにらむと、仙台さんが言った。

美味おいしくできたと思うけど」

 彼女の言葉に、トリュフへ手を伸ばす。

 けれど、私はすぐにその手を引っ込めた。

「仙台さんが私に食べさせて」

「命令?」

「そう、命令」

 最近の仙台さんは命令されることに慣れてしまったのか、悪戯いたずらが過ぎる。あれから何度か足をめろと命令したけれど、必ず命令以外のことまでしてくる。

 みついたり、唇を押しつけたり。

 そういうことは望んでいない。

 従うべきは仙台さんで、痛かったり、変な気持ちになるのは仙台さんのほうだ。

 だから、今日は私が同じことをする。

「こっち来て」

 ベッドを背もたれにしたまま仙台さんを呼ぶと、彼女は素直に私の隣に座った。

「どれから食べたい?」

「白いのから」

 粉砂糖がまぶされたトリュフを指さす。

「わかった」

 仙台さんが白いトリュフを人差し指と親指でつまむ。

 すぐに小さな雪玉みたいな塊が近づいてきて、唇にくっつく。仙台さんの細くて綺麗な指ごと食べてしまおうと口を大きく開けると、舌先にチョコレートが触れて粉砂糖の甘さに気を取られた。目的を忘れかけてトリュフに歯を立ててしまい、仙台さんの手首をつかむ。

「食べないの?」

 問いかけは形式的なもののようで、トリュフが私の意思を無視するように押し込まれる。摑んだ手首を離すと、粉砂糖の甘さが口の中に広がった。

 チョコレートはあと五個ある。

 彼女の指への悪戯は後に回して、チョコレートの塊をしゃくする。

 美味しい。

 甘いけれど、その甘さが口の中にいつまでも残ることがない。舌の上で滑らかに溶けていくトリュフは、何個でも食べられそうだ。

「唇、白くなってる」

 仙台さんが笑って、手を伸ばしてくる。

 長くて細い指で唇を拭われ、私は彼女の手を払いけた。

「甘すぎた?」

 乱暴に指先を遠ざけたことへの文句ではなく味を尋ねられ、いらちを感じる。

 この仙台さんは、学校で見る仙台さんだ。

 教室ではいつも笑っていて、怒ったところを見たことがない。学校ではないこの部屋でも、線を引き、自分だけ違う場所にいるかのように振る舞う仙台さんを同じ場所まで引きずり下ろしたくなる。

「ここ学校じゃないから」

 ファンヒーターの設定温度を一度上げて、サイダーを飲む。

「どういうこと?」

「いい人ぶってる」

「ぶってるんじゃなくて、いい人だし」

 仙台さんが恥ずかしげもなく言い切って、笑みを浮かべる。

「ここだと、いい人じゃないでしょ。いい人っていうのは、このチョコくらい甘い人だと思うけど」

「じゃあ、いい人じゃん。甘くて、優しいし。宮城に友チョコもってくるくらいだよ?」

「友チョコって、大体私たち──」

 友だちじゃない、という言葉は出てこなかった。

 きっと、わざわざ口にするようなことじゃないからだ。私たちが友だちであるかどうかはたいした問題ではないし、友チョコが友情のあかしというわけでもない。

 そう、どうでもいいことだ。

「なに? 続きは?」

「もう一個ちょうだい」

 誤魔化すように言うと、仙台さんは言葉の先を追求することなくピンク色のトリュフをつまんだ。

「これでいい?」

「いいよ」

 私は、彼女の指を見る。

 透明なマニキュアに覆われた爪は短くも長くもない。手入れされていてれいだ。でも、手の指よりも足の指が気になる。

 初めて彼女に足を舐めてと命令した日、足の指を嚙まれた。

 歯が肉に食い込むほど嚙まれて、やめてと強く命令するまで嚙まれ続けた。

 その上、嚙み跡をなぞるように舐められた。

 痛くて、ぞわぞわして。

 気持ちが悪いのに、思ったほど嫌じゃなかった。似たようなことは別の日にもあって、同じように感じた。

 望んでいない感情を与えてきた彼女に同じ感情を与えたいと思ったけれど、仙台さんのように人の足を舐めるなんて絶対に嫌だ。だから、手なら、と思った。チョコレートを介するなんて回りくどいことをせずに命令するという方法もある。でも、それではつまらない。

 不可解な感情は、突然やって来なければならない。

「どうぞ」

 柔らかな声に誘われるように大きく口を開け、仙台さんの指ごとトリュフにかじり付く。チョコレートを嚙むにしては強い力を込めて歯を立てると、嚙んだ肉の柔らかさに厚いステーキにナイフを入れたときに似た高揚感を覚えた。

 最近、お父さんとステーキを食べたりなんてしていないけれど。

みや、痛い」

 せんだいさんが抗議の声を上げる。

 でも、離さない。骨を感じるほど強く嚙み続ける。

「ちょっと、宮城。痛いって」

 学校で聞く声とは違う低く強い声が鼓膜を刺激する。

 暑くなかった部屋がやけに暑い。チョコレートの甘さに、骨の硬い感触に、もっと、という声が頭の中に響く。

 私は、指に立てた歯にもう少しだけ力を加える。

 ぎりぎりと皮膚に歯が食い込んでいき、仙台さんの指が小さく震えた。

「宮城!」

 鋭い声に、彼女の指を解放する。そして、口の中に残ったチョコレートをゆっくりと味わう。

「……仕返し?」

 仙台さんが自分の手を見ながら静かに言った。

 怒っているようには見えない。でも、痛そうには見えた。

「どうだろうね。手、貸して」

 トリュフをすべて溶かして胃に落とし、催促すると、仙台さんがこれから起こることを察して少し嫌そうな顔をした。でも、私の言葉に逆らわない。黙って差し出された手は命令したわけではないのに、唇に着地する。

 私は、舌先で彼女の指に触れる。ゆっくりと自分が付けた歯形をなぞると、仙台さんが切りすぎた前髪を引っ張った。

「髪、切った?」

 切りすぎたと言っても、ほんの少しだ。

 学校で話もしない仙台さんが気づくほど切ったわけじゃない。

 私たちの間には、ガンジス川くらいの隔たりがある。

 ──ガンジス川がどれくらいの大きさか覚えてはいないけれど、明確に切り分けられている。それくらい遠い場所にいるはずなのに、少しだけ切りすぎた前髪に気がつく仙台さんに心がざわつく。

 私は返事の代わりに、指を強く嚙もうとした。でも、それよりも早く口の中に指が押し込まれ、第二関節近くまで入り込んでくる。指が口内を探るように動き、頰の粘膜に指先が触れて、背骨の辺りがピリピリとした。

 制御できない感情がわき上がってくる。

 気持ちが悪いくせに、やめてほしいとは思わないようなおかしな気持ちが胸の中で大きくなっていく。

 嫌だ。

 私は、口の中を動き回る指を柔らかく嚙む。舌を押し当てて指を舐めると、それは強引に引き抜かれた。

「美味しかった?」

 何事もなかったように尋ねてくる仙台さんを見る。

 彼女も足を嚙まれた私と同じように、痛くて、ぞわぞわするような気持ちになったのだろうか。

 わからない。

 仙台さんには笑顔がぺたりと張り付いていて、感情というものが覆い隠されていた。

 期待した反応を得られなかった私は、素っ気なく答える。

「チョコレートのほうが美味しい」

「そうだろうね。まだ食べる?」

 仙台さんが笑顔を崩さずに言う。

 今、起こったことはなんでもないことだと思わせるような顔をする彼女が嫌いだ。

 痛いと声を上げるくらい指に歯を立てられ、その上、められて嫌だと思わないはずがない。だから、取り繕うような余裕を彼女から消し去ってしまわなければならない。

「それちょうだい」

 私は、ココアパウダーらしきものに覆われた茶色いトリュフを指さす。

「口、開けて」

 仙台さんはそう言うと、リクエスト通りに三個目のチョコレートをつまみ上げる。

 これから起こること。

 彼女はそれをわかっていて、茶色い塊を私の口に運ぶ。マニュアルに書かれた手順を守るようにチョコレートが唇に触れ、私も決められていることを守るようにトリュフを仙台さんの指ごとかじる。

「宮城、痛い」

 そういう台詞せりふを口にするという台本でもあるかのごとく、仙台さんが声を上げた。でも、ただ声として出しているだけで、痛いという言葉には気持ちがこもっていない。

 当然だ。

 まだそれほど強くはんでいない。

 私は、犬歯に触れた指に跡を付けるように力を入れる。

 ぎりぎりと少しずつ。

 仙台さんの指先に歯を埋めていくと、舌先でチョコレートが溶けていき、まるで彼女の指が甘くて美味おいしいような気がしてくる。トリュフごと食べてしまいたくなって犬歯をさらに強く突き立てると、額をぐっと押された。

「痛いってばっ」

 今度の言葉にうそはないようで、聞こえてきた声には感情がこもっている。私のおでこを押す手にも力が入っていた。

「はなして」

 仙台さんに命令する権利はない。

 だから、私はいうことをきかない。

 わざと強く嚙む。

 すると余程痛かったのか、彼女は命令するような口調でもう一度「はなして」と言ってから指を引き抜いた。口の中にはチョコレートだけが残り、私はそれを溶かして飲み込む。

 友だちじゃなくても、彼女が作った友チョコは美味しい。彼女が想定した友チョコの活用法とは違うだろうけれど、私の役には立っている。ついでに作られたチョコレートなんだから、その末路がどうなろうとたいした問題じゃない。

 でも、作った本人の顔を見ると笑顔が消えていた。

「ティッシュ取って」

 いつもよりも少し低い声で仙台さんが言う。

 ワニのカバーが付いたティッシュの箱は、私の斜め前にある。近いか遠いかで言えば、仙台さんよりも私に近い。

 彼女の指を見ると、ココアパウダーらしきものやチョコレートがついていた。

 透明なマニキュアに覆われた爪も汚れている。

 別に、それを拭うのはティッシュじゃなくてもいい。

 私は仙台さんの言葉を無視して、彼女の人差し指に舌をわせる。とても馬鹿馬鹿しい工程だけれど、仙台さんを汚した私自身が彼女をもとの綺麗な仙台さんに戻していく。

「宮城」

 聞こえてくる声は聞こえなかったことにして、指先に唇を押しつけて自分が付けた歯形を舐める。第二関節の上に舌を這わせて指の根元を吸うと、ちゅっと小さな音がして、仙台さんがぴくりと震えた。

「ちょっと、それ気持ち悪い」

 彼女の声はへいたんだった。

 けれど、きっと、仙台さんは過去の私と同じ気持ちになっている。

 気持ちが悪いけれど、それだけじゃない感情。

 平坦な声の中にそういう気持ちが見えたような気がして、私は指に舌を押しつけるが、チョコレートが連れてくる甘さはすでに消えていた。

 人の皮膚は、今まで口にしたどんなものにも似ていないと思う。特別に熱かったり、冷たかったりもしなくて、人間の指なんて美味しいものじゃない。

 それでも、今日一番楽しい時間が今だ。

 私は親指に舌を這わせる。

 人差し指にしたように、彼女の指を舐める。チョコレートを溶かすようにゆっくりと舌を這わせていると、仙台さんが小さく息を吐いた。

「宮城、ふざけすぎ」

 言葉とともに肩を強く押され、彼女の指を解放する。そして、背中からティッシュを生やしているワニを仙台さんに放り投げた。

「こんなことして楽しい?」

 指を拭いながら、仙台さんが私を見る。

「もちろん」

 にっこり笑って答えると、ぐいっと押しつけるようにワニが返される。

「どういう趣味なの。もしかして人間食べる趣味でもある?」

「そんな趣味はないけど」

「じゃあ、嚙まないでよ。マジで痛かった。これって、契約違反じゃないの?」

 あきれたように言って、仙台さんがサイダーを一口飲んだ。

「暴力じゃないし。それに仙台さんも私に同じことしたんだから、少しくらい我慢したら」

「同じことって?」

「私の足、嚙んだことあるじゃん」

「こんなに強く嚙んでない。指、嚙み切られるかと思った」

「チョコを食べた結果、そうなっただけだから」

「まだ食べるつもり?」

「どうしてほしい?」

「……好きにすれば」

 仙台さんがゴミを投げ捨てるように言う。

 私は、彼女と友だちになりたいわけじゃない。

 お金でしかつながっていないし、お金でだけ繫がっていればいい。

 だから、せんだいさんがなにを考えていても関係がないし、私には彼女を好きにしていい権利がある。

 そのはずだ。

 でも、だけど、口から出たのは思ってもいなかった言葉だった。

「夕飯、食べてく?」

「食べてく」

 仙台さんが即答する。

 一人よりは二人。

 美味しさは変わらなくても、誰かと食べたら食事というものに近づくような気がする。

 私は立ち上がり、キッチンへ向かう。言わなくても、仙台さんが後をついてくる。電気をけて、エアコンのスイッチを入れ、対面キッチンのリビング側に仙台さんを座らせる。

 私は冷凍庫からフライドポテトを取り出して、袋ごと電子レンジに突っ込む。お皿を二つ並べて、冷蔵庫から引っ張り出したレトルトのハンバーグをのせる。電子レンジが鳴ったら、フライドポテトとハンバーグを入れ替える。

 私がやったことと言えばそれくらいで、すぐに夕飯ができあがった。それでも、三分でできあがるカップラーメンに比べれば時間がかかっている。

「できた」

 ハンバーグとフライドポテトをのせたお皿とご飯を仙台さんの前に置くと、彼女がうれしそうな声を出した。

「二人分あるんだ」

 まるで私が仙台さんの分までハンバーグを買っておいたみたいに言う。

「お父さんの分」

 今日はそういう日だった。

 お父さんの分までハンバーグが買ってあった。

 ただそれだけで、仙台さんのために用意したわけじゃない。

「私が食べたらお父さんはどうするの?」

 仙台さんが母親のことは聞かずに、父親のことだけを聞く。

「他にもあるから」

 私が口にした言葉は間違っている。冷蔵庫は、もう空っぽも同然だ。でも、お父さんが家でご飯を食べることはほとんどないから、中身があってもなくても変わらない。

「だから、それ食べて」

 素っ気なく言って、仙台さんの隣に座る。いただきますと小さく言うと、重なるように隣からも同じ言葉が聞こえてきた。だからといって気が合うわけでもないから、後は黙々と食べることになる。

 会話がないことは、それほど苦にならない。無理に話を合わせるよりは楽で、私は仙台さんの指よりもはるかに柔らかいハンバーグをしゃくする。二人の間には、箸と食器が立てる音だけしかない。ハンバーグとフライドポテトが少しずつ減っていき、お皿の上があらかた片付いた頃に仙台さんが口を開いた。

「今度、夕飯作ってあげようか?」

「急になに?」

「いらない?」

 トリュフは美味しかったから、仙台さんが作る料理は美味しいのだと思う。けれど、仙台さんに夕飯を作ってもらう理由がないし、命令していないことをしてほしくはない。

 私たちの関係を作っているのは〝命令〟だけのはずだ。

「作らなくていいから」

「そっか」

 仙台さんが落胆もせずに言って、ハンバーグを口に運ぶ。

 静かに食べれば、食事はすぐに終わる。十二月の馬鹿みたいに寒い日にカップラーメンを食べたときと変わらない。食器は後から洗うことにして、私たちは部屋に戻る。

「まだ命令したいことある?」

「ない」

「じゃあ、帰る」

 仙台さんがブレザーとコートを着て、玄関へ向かう。

「送るね」

 二人で玄関を出て、エレベーターに乗り込む。

「トリュフ、美味しかった。ありがと」

 五、四と減っていく数字を眺めながら、私はもらったものの感想とお礼を伝える。それくらいの常識は持ち合わせている。

「どういたしまして」

 仙台さんの声が聞こえて、エレベーターが止まる。エントランスまで歩いて、「またね」と仙台さんが手を振った。

「バイバイ」

 いつものように彼女の背中に声をかけると、仙台さんが振り向く。今まで一度だって振り向いたことがないのに振り向いて、「バイバイ」と言ってもう一度手を振った。

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