第3話 仙台さんが甘いなんて噓だ(2)

    ◇◇◇


 バレンタインデーが過ぎて、残っていた三個のチョコレートはとっくになくなっていた。また食べたいというわけではないけれど、もう二、三個くらいあっても良かったと思う。

 甘い物は好きだし、いくらあっても困らない。

 でも、それは仙台さんが作ったものである必要はない。誰が作ったものであっても美味おいしかったらそれでいいし、極端にまずいわけでなければ美味しくなくてもかわまないと思う。仙台さんが作ってあげようかと言っていた夕飯だってそうだ。美味しくても、美味しくなくてもかまわない。胃の中に入ってしまえば、どんなものでも同じだ。

 ……まあ、作るという言葉は仙台さんがなんとなく口にしただけで、本当に作るつもりがあったのかどうかわからないけれど。

 私は先生の声を遠くに聞きながら、胃の辺りを押さえる。

 黒板の上に張り付いた時計を見ると、授業が始まってからそれほど時間がっていなかった。少なくとも、あと三十五分は待たなければ昼休みにならない。

「次、みや

 ゲームに出てくる眠たくなる呪文のような声で、先生に呼ばれる。上の空で聞いていたけれど、教科書を読まなければならないことはわかった。

 立ち上がって、英語の教科書を持つ。

 英語ができなければならない仕事をするつもりはない。日本から出るつもりもないから英語ができなくても困らないけれど、容赦なく英語の授業はやってくるし、先生が当ててくる。

 だから私は、気が進まないまま教科書を読み上げる。

 記憶にある単語に混じって見たことがあるのかどうかあやふやな単語があって、声が途切れる。ところどころ先生が補完してくれるけれど、口にしている発音が合っているのか自信がない。

「もういい、座れ。宮城、お前はもう少し真面目に授業を受けろ」

 先生が困ったように言う。でも、真面目に授業を受けたところで、英語がわかるようになるとは思えなかった。

「じゃあ、仙台。続きから」

 はい、と返事をして仙台さんが立ち上がる。

 背筋をぴっと伸ばして、教科書を読み始める。

 よどみなく流れる声は、澄んでいた。読み間違えることもなく、つかえることもなく教科書の文字が音になっていく。文字にするならば、仙台さんの声は筆記体で、私の声は子どもが書いた頼りないブロック体だ。

 彼女は、大抵のことをそつなくこなす。

 私は教科書を眺めながら、ため息をつく。

 せないと思う。

 髪は茶色っぽいし、メイクだってしている。スカート丈だって決まりより短い。校則を守っていないのに、仙台さんは先生から守られている。そもそも本人はせい系だとか言っているけれど、メイクをしているのは清楚なのか、人の足にみつくのは清楚なのか、はなはだ疑問だ。

 でも、いくらこんなことを考えていても境遇は変わらないし、私が仙台さんのようになんでもそつなくこなせるようになることはない。

 ぺらりと教科書をめくる。

 しばらくして仙台さんの声が途切れ、チョークが黒板を走る音が聞こえてくる。ノートには考えもせずに黒板を写し取った文字が並び、長い、長い時間が過ぎていく。先生は昼休みを五分奪って授業を終え、私はすぐにかばんからスマホを取り出した。

 教室の一番後ろから友だちのまいがやってくる前に、メッセージを送る。

 相手は仙台さんで、内容は決まっている。

『今日、うちに来て』

 返事はすぐにきて、放課後の予定が埋まる。

 学食でお昼を食べて、午後の授業を受ければあっという間に学校での用事がなくなる。寄り道をしていこうという舞香に別れを告げて家に帰れば、仙台さんから『もうすぐ着く』とメッセージが届く。ベッドでごろごろしていると、インターホンが鳴って部屋に仙台さんがやってきた。

「お待たせ」

 仙台さんはそう言うと、コートとブレザーを脱いで本棚の前に座り、本を探し始めた。私は彼女の頭の上に五千円札を一枚のせて、部屋を出る。パタパタとスリッパを鳴らしてキッチンへ向かう。

 グラスを二つ並べて、冷蔵庫からサイダーを取り出して注ぐ。それを部屋に持って入ると、仙台さんは我が物顔でベッドに横になっていた。

 だらしなく寝転んでいる彼女の横には、漫画が三冊積んである。いつものことだからと、私はテーブルの上にグラスを置いて、本棚から漫画を何冊か引っ張り出す。そして、ベッドを背もたれにして床に座り、何度も読んだ本のページをめくる。

 命令と言っても、そんなにバリエーションがあるわけじゃない。この部屋にいるせんだいさんは私の下僕のようなものだけれど、ある程度の決め事があるからできることには限りがある。それに、いつも彼女にひどいことをしたいわけではないし、変わったことをさせたいわけでもなかった。

 だから、時間は静かに過ぎていく。

 漫画を一冊、二冊と読み進める。

 部屋には、ページをめくる音とファンヒーターが温風を吐き出す音だけしかない。私が三冊目の漫画を手に取ると仙台さんの声が聞こえてきて、彼女を見る。

「宮城ってさ、ゲームはしないの?」

「するけど」

「イケメンに口説かれるヤツとか?」

 漫画から目を離さずに、仙台さんが言う。

「そういうの、しないから」

「へえ。恋愛漫画が多いから、そういうの好きなのかと思った」

 恋愛漫画は好きだけれど、それは遊ぶゲームに反映されていない。よく遊ぶのはロールプレイングゲームだ。恋愛を疑似体験するより、他人の人生を追いかけるようなゲームがしたい。

「どうせ、オタクっぽいゲームしかしてないって思ってるんでしょ」

「違うんだ?」

 漫画から顔を上げ、仙台さんが悪戯いたずらっぽく笑う。

 私はそれには答えずに立ち上がる。

 意識しているわけではないだろうけれど、彼女は私よりも上に立っているように振る舞う。学校での立場なら、それに間違いはない。でも、ここでは違うから、彼女の態度はあまり面白いものではない。

「英語の宿題やってよ」

 鞄の中から教科書とプリントを出して、テーブルにひろげる。でも、仙台さんはベッドに寝転がったままだった。

「これ読み終わったら」

「今すぐ」

「宮城のケチ」

 そう言うと、彼女は渋々といった感じで私の向かい側に座った。そして、自分の鞄からプリントを出して問題を解き始める。

「私のに直接書いてくれたらいいのに」

「前から言ってるけど、筆跡で私が書いたってバレるから駄目」

「筆跡してよ」

「バレたときに、一緒に怒られるの嫌だし。それに、みんなにバレるような命令は契約違反だから」

 私と仙台さんが放課後に会っている。

 一緒になにかをしている。

 そういうことがわかるような命令はしない約束だ。だから、仙台さんの言葉は正しいけれど、彼女なら私の筆跡を真似るくらい簡単だと思う。

 できるけれど、やりたくない。

 そういうことなんだろう。

 私は、シャープペンシルのノックボタンで仙台さんの頰をつつく。

「なに?」

めて」

 真面目に問題を解いている仙台さんを見ていてもつまらないから、ちょっとした暇つぶしだ。

 テーブルの向こう側、顔を上げた彼女の唇にノックボタンで触れる。そして、くちはしからペンを滑らせる。ゆっくりとなぞって辿たどっていくと、仙台さんは躊躇ためらいもせずにそれを舐めてかじった。

「そういうのあんまり好きじゃない」

 私は彼女の口からペンを引き抜く。

「どういうこと?」

「頼んでないことまでするの」

 命令は舐めてであって、囓ってではない。

 してほしかったことは、舐めることだけだ。

「仙台さん、命令されるの好きだったりする? なんか楽しそうだし」

「楽しそうに見える?」

 として、というわけじゃない。でも、少なくともやりたくないというようには見えなかった。

 今まで仙台さんが私の命令に従わなかったことはなかった。

 私の望みはかなっているはずなのに、今はそう思えない。

「──楽しそうに見えないようにしてよ」

 私は、彼女の口の中にペンを強引に押し込む。ノックボタンで舌をつついて、上顎をひっかくように動かす。そのままペンを引っ張り抜くと、仙台さんは顔をしかめ、不機嫌だとわかるしわを眉間に作っていた。

「そういう顔してて」

 友だちに対してこんなことを思ったことはない。

 でも、仙台さんは友だちじゃないから、こんなことを考えたっていい。

「やっぱり宮城はヘンタイだ」

 学校では聞かないような低い声で言って、仙台さんが私からペンを奪おうとした。でも、それをかわして、私は笑顔を作る。

「そうかもね」

 学校では嫌な顔一つしない彼女が、露骨に嫌そうな顔をする。

 いい人でしかない仙台さんがいなくなる。

 誰も知らない仙台さんが現れる。

 その瞬間がたまらなく好きなのだと思う。

 私と交わることのないグループの人間で、キラキラしていて、いつも楽しそうで、学校生活の良いところを全部集めて自分のものにしている仙台さんはここにはいない。

 私は、シャープペンシルの先で仙台さんの手の甲をつつく。

「ちょっと危ない」

 仙台さんがむっとした声を出す。彼女の皮膚に芯が折れるほどペン先を埋め込むと、「痛い」という声が聞こえた。

 私はペンを仙台さんの手から離し、ワニの背中に生えたティッシュを一枚抜き取ってれたノックボタンを拭う。

「ねえ、夕飯って作ってくれるの?」

 あの日、気まぐれで口にしたであろう言葉が真実なのか確かめる。

「食べたくないんでしょ」

 仙台さんが冷たい声で言って、小さく息を吐く。そして、気持ちを落ち着かせるように一度目を閉じてから私を見た。

「でも、命令なら作るけど」

 静かにそう言って、プリントに英単語をつづり始める。

 私は五千円を払って、仙台さんに命令をする。

 でも、夕飯を作ってくれなんて命令はしない。

 命令はもっと別のことに使う。

 私は、彼女が書いたれいな文字を真似るようにプリントにペンを走らせた。


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第1巻の試し読みは以上です。


続きは好評発売中

『週に一度クラスメイトを買う話 ~ふたりの時間、言い訳の五千円~』

でお楽しみください!


ここから先は、2023年12月20日(水)発売

『週に一度クラスメイトを買う話 3 ~ふたりの時間、言い訳の五千円~』の試し読みをお楽しみください。

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